第2話
ユルの仕事は、正規使用人の仲間たちのお手伝いです。
身につけている魔法の手袋は鉄でできていましたので、ベッドメイクやお客様のテーブルに直接食事を運ぶことはできず、いつもそばで見ているだけでした。けれど布団を運んだり、お皿を用意するのには誰よりも一番に動きます。
モーニングコールも、ユルの仕事のひとつでした。
壁いっぱいに貼られたメモから、指定の時間を見つけては片っ端からコールをしていきます。湖の精や人魚、沼地の住人などの身体がぬめるお客様もいらっしゃるので、メモを読み取るだけでもひと苦労。
それに電話の線を引いてくれる蜘蛛が、いつも何匹か逃げ出してしまうので、そうなるとかごを持って必死に追いかけっこをしなければなりません。
どうしても見つからないその時は、お客様のお部屋にノックをしに行くのも、ユルの大切な仕事でした。
そして、太陽の登る時間が苦手な
そんな時、マシューが持ってきてくれるおやつとミルクが、ユルは大好きです。
あれから何年かが経ちました。マシューは寒さに強い種族でもある狼人間だったので、ユルがうっかり手袋を外してしまった時でも根気強く面倒を見てくれていたのです。もうお腹を空かせて裸足で歩き回ることも、凍えながら眠ることもしなくて良いので、ユルは今の暮らしになんの不満も疑問もありません。ホテルの仲間たちの会話から言葉も学び、自分が皆とは少し違う——けれど同じ怪物の何かだと思っていたのでした。
「マシュー、今年は宙クジラの横断を一緒に見れる?」
「さあな。おれはツリーの飾り付けが忙しいんだよ」
「毎年そう言って断るじゃない。ちょっとでいいんだよ、ね? おれ、宙クジラを見つけるのが大の得意だって、マシューも知ってるでしょ?」
木の枝を斬りながら軽くあしらおうとするマシューに、ユルは庭の煉瓦でできた壁の上で足をバタつかせ、少しだけ頬を膨らませながら言います。
マシューははぁとため息をつきました。
「ユル、いいか。「おれ」じゃなくてホテルマンは「わたし」だ。何度も言わせるんじゃない」
「でも、マシューとお揃いがいいんだもん」
「おい、行儀が悪いぞ」
「自分はナイフもフォークも使わないのによく言うよ」
「……そのへらず口が、お客の前で出ないようにしとけよ」
諦めたようにもうひとつため息をついたマシューの横顔を見て、ユルはふふっと笑い声を零しました。そのままひょいと壁から飛び降り、彼の髪と同じ色をしたシルバーグレイの尻尾にぎゅっと掴まります。
「お、おいっ」
「ふふふっ。ねぇ、マシュー、ぼくにはいつこんな立派な尻尾や牙が生えるんだろう」
「……バカじゃねぇのか」
あと「ぼく」じゃなくて、「わたし」だぞ。そう言って尻尾を振ってマシューはユルの身体を離そうとしましたが、ユルは大きな尻尾をさらにぎゅっと抱きしめるばかり。
「マシューはこんなにふかふかで。それに温かいはずなのに、鉄の手袋越しじゃ何にもわからないのは……ぼくが氷のバケモノだからなんだね」
変なの、と呟くユルの気がすむまで、マシューはしばらくそうさせておくのでした。
宙クジラの横断する、冬のはじまり。
その日を境に、太陽がほとんど日中昇らなくなる『極夜』が訪れます。
むかしむかし、この冬のはじまりの一日、そして秋の終わりを告げる日は。宙クジラのとおり道を辿っては、怪物たちがニンゲンの国にやってくる日でもありました。そのころ怪物たちは、夜のカーテンを越えてはニンゲンをさらったり、襲って食べたりしていたそうですが、とおい約束で今ではそういう目に遭うのは境界線を侵したニンゲンだけだと決まっています。
だからなのでしょうか。月が嗤って満ち満ちるその夜は、皆の目が爛々と輝くようで少しだけ恐ろしいのです。
それがなぜなのか、ユルにはちっとも分かりませんでした。
そうして決まって、その夜だけは。
いつもそばに居てくれるマシューが、どこかへ行ってしまうのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます