第一章 人形と魔法使いの駅(10)

「スズさん!」

 青年が勢いよく扉を開くと、待合室では首から水筒をかけたスズが床に座り込んでいた。当人は痛そうに涙目でお尻を撫でている。

 「いてて、あ! ネコさん! なんでここに?」

 「大丈夫ですか?」青年がスズのもとに駆け寄り、手を差し出した。

 スズは少し恥じらいながら、青年の手をとり立ち上がった。そして青年に向かって大きく口を開いた。

 「あのねあのね! すごかったの!」

 目を輝かせ、いつもの様子で喜びを表現していたスズだが、少し様子が違っていた。

 「えーとね、あの、すごくて、あれ? なんだっけ?」

 先ほどのガット同様、体全体で表現しようと手を広げかけ止める。行き場を失った両手は中途半端な位置で停滞している。

 スズは視線を上下左右に動かし、懸命に思い出そうとするが、だんだんとその表情は曇っていく。

 「あれれ? どうしよ、ぜんぜん思い出せない……すっごく、すごかったのに、ぜぇったい、ネコさんにお話しようと思ってたのに」

 内容を覚えていないことよりも、そのことを青年に伝えられないことを悲しむスズを見て、青年から、自然と笑みがこぼれる。

 「まぁまぁ、いつか思い出せばいいんじゃないですか? とにかく合流できて良かったです」

 「う、うん、ごめんね?」

 珍しくしゅんとしているスズを見て、何か思うところがある青年だったが、それを表現することはできないでいた、そして。

 「おいおい、なんだってんだ?」

 後ろから青年を追いかけていたガットが追いつき、二人を交互に見て不思議そうに首を傾げた。

 青年が人形の名前を口にするよりも早く、スズがガットに飛びついた。

 「うわぁ! すごーい! お人形さんが動いている!!」

 スズよりかは少し小さな人形の手を掴み、珍しそうに見つめるスズにガットは満更でもないような、迷惑のような微妙な表情を浮かべた。

 「おい、あんまベタベタ触んじゃねぇよ」とスズの手を振り払う。

 「わー!! しゃべった!!」

 さっきも喋っていましたが、と青年はつい口に出しそうになったが、すんでのところで止めた。楽しそうなスズの邪魔をしたくなかったからだ。

 それを聞いたガットはというと、満足げな顔で青年を見た。まるでこう言う反応が正しんだよ、と言わんばかりの顔であった。

 「つかてめぇ、その水筒どこで拾った? あっちの部屋に入ったのか?」

 二人が探してた目当ての水筒がスズの首からかけられていたことに気がついたガットは表情を険しく変え、スズに問いかけた。

 「え? すいとう?」

 スズは首を傾げて答え、ガットは少しイラついた様子で「とぼけな、そこにあんだろうが」と水筒を指差し、スズの目線がその方向に移動した。

 「え、あー! いつのまに!」

 スズは今初めて気がついたように驚いている。 

 「おいおい、あの部屋に入って取ったんだろうが」

 「もともとスズさんのものでは?」

 青年の指摘に「こ、こまけぇことはいいだろうが、と、とにかくあの部屋にあったんだな?!」と声を荒らげた。

 「入ってないよ! だってカギかかってたし!」

 対抗してかスズも少し怒った声で答えた。

 「はぁ? そんなわけないだろ! あれに鍵なんてねぇよ!」

 「ほ、ほんとだもん! ほんとにカギかかってたの! ねぇ、ネコさん?」

 捲し立てられ、弱気になったスズが青年の方をむいて助けを求める。青年は一瞬慌てたが、すぐに口をひらいた。

 「まぁまぁ、お二人とも落ち着いてください。それよりガットさん、水を分けて欲しんですよね?」

 「あ? あぁ、そうだな」歯切れ悪く答えるガット、先までのスズに対する態度が良く無かったと自覚しているのか、バツが悪そうだ。

 しかし、スズ本人はそんなことお構いなしといった表情で持っていた水筒を差し出し、その行動にガットは目を丸くし、水筒をじっと見つめる。青年は微笑んでその様子を見ていた。

 「い、いいのかよ?」

 もちろん、と笑顔で答えるスズは「はじめから言ってくれたらよかったのに」と続ける。

 遜色ない善意に対して、たじろぐガットは戸惑いながらもその手に水筒を受け取り、頭を下げた。

 「悪かったな……なんか色々と」

 「こまったときはおたがいさまだよ! あ、でももう人のものとったらダメだからね!」

 スズとガット、青年は身長差がある二人を見て、まるで悪さをした弟を許す姉かのように思える。

 そんな風に微笑む青年をガットが睨むので、慌てて目をそらし「よかったですね」と空に言い放った。

 しばらく青年を睨んでいたガットは受け取った水筒を両手に抱え、駅長室へと向かおうとする。

 「ねぇねぇ、おにんぎょうさんもいっしょにいこうよ!」

 急ぎ足のガットの服を掴み止めるスズ、人形の口からぐっと情けない声が出る。

 「ばっ、急に服引っ張るなよ! びっくりするだろ!」

 「あ、ごめん」服を離され解放されたガットは襟を正す。そして「行くわけないだろ、俺はじじいを起こさなきゃなんねぇからな」とぶっきらぼうに言う。背を向けていたので表情から感情を読むことはできなかったが、青年にはそれが少し悲しげに見えた。

 「じじ……って、だれ? ほかにもひとがいるの⁈」

 スズの目が大きく開き輝く、自分たち以外の人物の存在にその大きな好奇心が揺れ動いているのだ。

 その次に出るセリフを予見した青年はスズの肩に手を置き、声をかける。

 「スズさん、どうやらそのお方は眠っているようなのでまたにしましょう」

 「そうなの? もしかして、ネコさんはあったことある⁈ ずるい!」

 頬を膨らませて青年を見上げるスズを他所目にガットの方に視線を向けると、ガットは何かを言いたげな表情で二人を一瞥し、そのまま駅長室へと歩いていった。スズは青年への講義のためか、気がついていないようだ。

 それを見届けると「さ、行きましょうか」とスズを駅の入り口へと誘導する。

 「あれ? お人形さんは?」

 「彼には彼の大事な用事があるのですよ、スズさん、私たちもあるでしょう?」

 「そうだけどさぁ〜」不満げに文句を言うスズとそれをなだめながら青年達はガットとは反対方向、駅の出口へと歩みを進めた。

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