第一章 人形と魔法使いの駅(9)

 「変な名前だな、呼びにくいし」

 青年とガットは駅の扉を開け、待合室へとたどり着いていた。その時ガットから名前を聞かれ、青年は自分が唯一覚えている名前を名乗ったのであった。

 「そうですかね……?」

 スズも名前を呼ばないことから、自分の名前は呼びにくいのではないか? と懸念する青年であった。

 「つかお前らどっから来たんだよ?」ガットは前を向いたまま青年に問いかける。

 どこから、と言われし青年はしばらく考え込んだ。別の駅でスズに起こされてからここに来るまで、何の疑問も抱かずに一本道の線路を歩き続けてきたからだ。しかしどれだけ考えても、どこからという問いには答えられそうになかったので、ひとまず自身が目覚めた場所を答えることにした。

 「いや駅ってお前、なに当たり前なこと言ってんだよ」

 ガットは納得いかない様子だったが、別の質問に切り替えた。

 「んじゃあのうるせぇ奴は? 妹かなんかか?」

 「妹? えぇと、すみません、どうやら記憶喪失? というものらしくて」

 身長差があるガットに合わせるように、ゆったりと歩きながら頭を下げる。そんな青年に対してガットは視線だけを向けるとため息をついた。

 「記憶喪失ってそんなんだっけか? まぁいいか、別に興味ねぇし」

 会話を切り上げ少し早足になるガットについていきながら、青年は疑問を口にした。

 「そういえば、ガットさんは何故私たちの荷物を? 喉が乾いていたんですか?」

 「そんなわけねぇだろ」ガットが悪態をついて答える。

 「俺は飲み食いの必要はねぇ、俺じゃなくて、じじいがいるんだよ」

 ガットはこっちだ、と手招きをしながら続ける。

 「じじいさんというのは、ガットさんを作った方のことですか?」

 目の前の存在は人形で、天下の魔法使いと呼ばれる人物によって作られたらしい。当然ながら青年にはそれが誰なのか、魔法使いとは何なのか見当もつかなかったが。

 「ああ、じじいはな、すげーんだ。今はまぁ、休憩しているが、ずっと前はそりゃもうすごかったんだ」

 ガットは歩きながら両手を大きく広げ、楽しそうに語る。背丈もあいまってスズが重なって見えた。

 「俺みてぇな人形を作れるだけじゃねぇ、椅子や机……火も自由自在だ! 本人は魔法使いって言ってるが、俺にとってはもっとすげぇやつなんだよ!」

 そうなんですね、と相槌を打つ青年に、さらに嬉しそうに語り続ける。

 「本当の家だってやべぇくらい広いんだぜ? でっけぇ暖炉があって、人形だって他にもっといっぱいいたしよ、俺以外にも仲間もいっぱいでさ」

 「その方達はどこに?」青年が聞くと、ガットは立ち止まり視線を落とした。

 「もういねぇ、みんな動かなくなっちまった。でも、じじいが起き上がればまた動けるようになるんだ、そのためにも色んなもんが必要なんだよ」

 「なるほど、それで私たちの荷物を?」

 青年はガットに並び視線を向けた。一瞬目が合うも、ガットは再び歩き出した。

 「もうここいらのもんは大体漁ったからな、いつもは遠出して取りにいってんだけど、今回はたまたまお前らがいたんだ。ちょうどよかったぜ」

 がはは、と豪快に笑うガット、青年はその姿を見てずっと黙り込んでいた。

 流石に言いすぎたと思ったのか、一通り笑い終えた後に恐る恐る青年の方見るガットは、黙っている青年を見て目を細めた。

 「ま、まぁ、ちゃんと返すよ。でもちょっとくらい分けてくれたっていいだろ?」

 大袈裟に両手をあげながら言った。

 「それを決めるのはスズさんですが……じじいさんはどちらに?」

 青年の声にガットは自分よりも高い位置にあるドアノブを指差した。

 「開ければいいんですか?」ガットは青年の声にうなづく。

 青年は駅長室、関係者以外立ち入り禁止、と書かれている扉を開けた。木製の扉が軋みながらゆっくりと開いていく。

 駅長室は待合室よりもさらに狭く、あるのは椅子が一つと、年老いた男が眠っている大きなベッドと横に大きな机、その周囲には開いた缶詰や空箱が散乱していた。

 青年が視線を落とすと、足元にガットの姿はなく、いつの間にやらベッドの元へと歩いて行ってた。そして、机に向かって何かを探している。

 「たしかここいらに……って、あれ? ないぞ」

 机の上を首を振って探すガットは次第に焦りを見せる、引き出しを忙しなく開け閉めしたり、机の上にあるものをひっくり返したりしていた。

 青年は自分も手伝おうかと、考えたが、そのおりにベットで眠る老人の顔が目に入る。

 その老人は穏やかで、幸せそうな表情をしているが、青年には別の点が気になった。

 「確かにここに置いておいたんだがな、いや、ははは」

 ガットは振り返り申し訳なさそうに笑う。続けて「じじいが勝手に飲んじまったのかもなぁ? ほら、人間は水がないと死んじまうだろ?」

 そう言いながら机を離れ、ベッドの周り歩き始る。本棚やベッドの下、小さな隙間など、絶対に水筒が入りそうにない場所にも目を向けていた。

 「あの」と青年が手を上げ、話しかけてもそれを無視し、ガットは何周も部屋を歩き回っていた。

 「じじいの気まぐれには困ってるんだ、せっかく俺がとってきてやった食いもん飲みもんにも手をつけなくてよ」

 探す過程で缶詰や水が入っている容器が転げ落ちる、どれも相当古いもののようで所々錆ている。

 「すみません」

 青年の声は確かに届いているはずだが、ガットは聞く耳をもとうとしない。しかし気にせず続けた。

 「わりぃわりい、どっかにあるはずだからよ、ちょい待っててくれ」

 「この方、死んでますよね?」

 死ぬ、青年がスズに初めて教えてもらった言葉だ。

 駅のホームで眠っていた青年に対して、スズは「しんでるかとおもった〜」と安堵していた。

 死ぬとは動かなくなること、遠い場所にいくことだと教わっていた。

 「何言ってんだよ、そんなわけないだろ? だって俺が動いてるんだから」

 ガットの言い分を理解できない青年であったが、目の前のベッドで横たわっている老人が既に亡くなっているという事実だけは理解できた。

 「ですが……」

 「ちゃんと飯食って、ちゃんと寝てれば長生きするって、こいつが言ったんだ! だから俺は食うもんを探してっ」

 ガットが初めて見せる表情でこちらに訴えかけている、先ほどまでの陽気さとは段違いだ。

 そして青年も初めてぶつけられた感情に戸惑い、何と答えるか迷っていた、その時。

 「いったぁーい!」

 扉の向こう、待合室から大きな音とともに、これまた大きな声が聞こえてきた。

 スズの声だ、と気がついた瞬間、青年は扉を開けていた。なぜそうしたか、自分でもわからないままに。

 後ろからガットの声が聞こえるが、気にせずに待合室へと向かった。

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