第一章 人形と魔法使いの駅(8)

 「おっと、ずっと立たせていてすまないね、ほら、後ろのソファに座るといい」

 ふと気がついたように老人が言い、スズが振り向くとそこには大きく立派なソファと机が鎮座していた。

 「あれ?」スズは入り口から老人の元までまっすぐに歩いてきたはずである。その間にソファや机といった家具の類は存在しなかった。

 だが、目の前には確かにその二つがある。迷いが吹き飛んだスズは何度か瞬きをし、驚きの声をあげた。

 「わー! すごい! もしかしておじいちゃんはまほうつかいさん⁈」

 昔見たテレビアニメで、魔法使いが家具を魔法で自由自在に動かしていた光景を思い出し、老人と重ねていた。

 「そんな大層なものもないよ、ささ、座って。ミルクと砂糖がたっぷり入った紅茶と、ケーキもあるよ」

 その言葉とほぼ同時に、スズの鼻に心地の良い甘い匂いが漂う。机の上には温かい紅茶と苺の乗ったショートケーキが置かれていた。

 スズは口を押さえ、声にならない声を上げた。この旅を始めてから甘いものを食べる機会はほとんどなく、食べることができても飴玉くらいであった。

 加えてケーキなど、家にいた頃も誕生日などのタイミングでしか食べることはなかったため、その嬉しさはひときわである。

 「いいの?」とスズが聞くと、老人は「どうぞ」と優しく返した。

 すると「いただきまーす!」と座るな否や、綺麗な銀製のフォークを手にし、大きく口をあけ、目の前のケーキを頬張る。とびっきり甘いクリームは頬が落ちるほど美味しく、苺は今まで食べたことがない水々しさであった。

 半分ほど食べたスズはケーキとフォークを交互に見つめ、何かを決意したような顔で「ごちそうさまでした!」と両手を合わせた。

 「おや、お口にあわなかったかな」

 「ううん、すごくおいしかったよ!」首を横に振り言う。

 「お腹が空いていなかったかい?」

 「ちがうの、とってもおいしかったから、ネコさんにもたべさせてあげるの!」

 笑顔で答えるスズを見て、老人は優しく笑う。

 「お嬢さんは優しいんだね、でも大丈夫、お友達の分は帰るときに渡してあげるよ、だから全部食べていいんだよ」

 老人の提案で今度はケーキと老人を交互に見る。老人が「お食べ」と言うとさらに笑顔になり。「ありがとうおじいちゃん!」と言って、残ったケーキも素早く平らげた。

 ケーキの幸せな余韻と共に甘いミルクティーを味わいながら、スズは口を開いた。

 「ガットって子、帰ってこないねー」

 「はは、そうだね、あの子はすぐにどこかへ行ってしまうからね、それよりお嬢さんは帰らなくてもいいのかい?」

 スズはうーんと、首を傾げながら唸る。結局泥棒は見つかっていないし、水筒もまだである。それに青年のことも気がかりであった。

 しかし、ガットという子供のこともそうであったが、この老人のことも気になっていた、もう少し一緒にいたいとほどには。

 「もうちょっとだけいてもいい?」

 両手で紅茶のカップを持ちながら少し小さめの声で老人へと投げかける。

 老人は「ああ、もちろん」と即答し、スズはへへ、と嬉しそうにはにかんだ。

 「おじいちゃんは何をしている人? やっぱりまほうつかいさん?」

 一度否定されたものの、やはり諦めきれないスズであった。 

 「うーん、じゃあ、そういうことにしておこうか」

 「やっぱり!」とスズは勢いよく立ち上り続け様に「みせてみせて!」と老人をはやし立てる。

 すると、暖炉の炎が消え、部屋が真っ暗になる。しかしすぐにスズの左右で火が灯し始めた、それもオレンジや青と言った通常の火の色だけでなく、黄色、緑、紫など、ありえないような色をしたスズの周りを囲む。

 それはまるで火で作られる虹にようで、スズはクルクルと目を回す勢いで灯される火の流れを追う。

 「すごいすごいすごーい! ほんとにまほうだー!」

 周りを囲む火達は踊るように揺れ動いたかと思うと、次第に火の勢いがましていき、段々と浮き上がる。

 その浮き上がった火は勢いよくスズの目の前に集まっていき、驚いたスズが少しのけぞると、集まった火が混じり合い、一つの大きく明るい太陽のような炎の塊となった。

 「わぁ……」

 スズが恐る恐るその太陽に手を近づけると、指先からほんのりと心地よい暖かさが伝わってくる。それは暑くなく温くなく、まるで日向にいるかのような暖かさだ。

 指先が太陽に触れると、それは直上し天井に到達すると、弾けとんで流れ星となり薄暗い部屋が明るく照らされる。

 流れ星は天井だけでなく、スズの取り囲み渦のように輝き回る。線路と夕焼けだけの道にはなかった夜を思いだす。

 それはまるで昔テレビで見た流星群のような光景で、スズは天井や周りを見つめながら言葉を失うどころか、息をする暇さえなかった。

 やがて、散らばった星の光が消え、最後に一つ、微弱な火が頭上から舞い降りてくる。スズは両手を差し出し、その火を受け止めた。手に触れた瞬間火はゆっくりと消えていった。

 そして暖炉の炎が再び灯ると、スズは大きく息を吐いた。

 「……っはぁー、すごすぎだよー! おじいちゃん!」

 少しの間忘れていた呼吸をし、感動に打ちひしがれていたスズは、火を受け止めた両手を見ながら嬉しそうに言った。

 「はは、喜んでもらえて何よりだ、しかし、そろそろお友達も心配しているんじゃないのかな?」

 「だよねぇ、うん、わかった! そろそろかえるね!」

 軽快な音をたて、再び老人のもとへと小走りで向かう。そして、椅子の左斜め後ろにたち、勢いよく頭を下げた。

 「おじいちゃん! 今日はありがとう! すっごくたのしかったよ!」

 「どういたしまして、またいつでも来るといい、今度はお友達と一緒に……」

 「うーん、それはちょっとむずかしいかも、スズたちはいかなきゃいけないし」

 ギシと老人が座る椅子が軋む。

 「進む? どこにいくんだい?」

 少し老人の声色に悲しげな感情が混じる。

 「しゅうてんのえき!」

 老人は「終点の駅……? お嬢さん達はそこを目指しているのかい?」とゆっくり、低く聞き返した。

 「うん! パパとママに会いにいくの!」

 笑顔で答えるスズを背に、老人は少し黙り込んだ。それは短い沈黙であったが、老人にとっては塾考するに十分なほど長い時間であった。

 「……そうか、なるほど……お嬢さん、右の机を見てごらん」

 老人に言われ右側に視線をやると、大きく丈夫そうな古い机があり、その上にはスズの水筒がポツンと置いてあった。

 一瞬スズは固まっていたが、すぐに最初の目的を思い出し、声を上げた。

 「あー! スズの水とう! なんでこんなところに?」

 「これはお嬢さんのものだろう? ガットが持ってきてしまったみたいなんだ。……本当は最初から気がついていたんだけど、久しぶりに人と話せて嬉しくてね、年甲斐もなく意地悪をしてしまった。お嬢さんには悪いことをしたね」

 スズが嬉しそうに机にかけより、水筒を手に取る。そして老人は言葉を続けた。

 「お詫びと言ってはなんだが、引き出しをあけてごらん、その中身をあげるよ」

 「ひきだし?」スズは水筒の紐を首からかけ、老人の言う通り、引き出しを開けた。

 その中には、切符が一つ入っていた、それはスズも一度は見たことのある切符だ、駅で拾ったものとは違い、真新しく綺麗であった。

 切符には文字がはっきりと印字されていたが、スズにその字を読むことはできなかった。

 「くれるの?」切符を手に取り、老人のほうへと向き直る。

 「ああ、もうワシには必要ないもので、お嬢さんには必要なものだからね、大事にするんだよ」

 背中を向けたままであったが、その視線はしっかりとスズに向けられているように感じて、スズは笑顔で大きく口を開く。

 「うん! だいじにする! 何につかうのかわかんないけど! ありがー」

 老人に向かって礼を言うスズだが、その言葉は最後まで紡がれることはなく、この場所にきた時と同じようにスズの視界が光に包まれていく。

 その中でかすかに、老人の声が聞こえる。内容はよく聞き取れなかったが、スズにはガットをよろしく、と聞こえていた。

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