第一章 人形と魔法使いの駅(2)
「ふぅ、生き返りました」
やっとのことで水を飲むことができた青年は、満足そうな顔で電車内にある長い椅子へと腰掛けた。
「しかしあれは一体何だったのでしょうか?」
鞄に顔を突っ込んでいた子供のことを思い出す。一瞬しかその姿を確認することができなかったが、少し自分やスズとは違うような気がした。何かを探していたようだが……。
青年がその理由について考え込んでいると、鞄に顔を突っ込んでいたスズが「あーっ!」と大声をあげた。青年は驚いて顔を勢いよくあげ、何事かと状況を確認する。
「私の水とうがないよ〜! どこやったんだろ? ネコさん知らない??」
スズも喉を潤すために水筒を探しているようで、鞄の中から様々なものを取り出し周囲に投げている。
ここに来るまでスズが拾ってきた様々な物が床に転がっていく。何かの缶詰、薄く硬い鉄の板、積木、欠けたガラス瓶、下半分が丸々千切れている本。ほとんどが何の意味も持たないようなガラクタだったが、スズはそれらを宝物と呼んでいた。
その宝物達が無造作に積み上げられていく。どうやらその中でとりわけ重要な水や食料といったものが少しなくなっているらしい。
青年はその山を見て少し考え、電車で見かけた彼のことを鮮明に思い出す。
「そういえば、彼が水筒を持っていましたね」
「カレ? だれ?」
スズがきょとんとした顔で鞄から視線をあげ、青年を見た。
「誰でしょう? その鞄からスズさんの水筒や食べ物を持ってどこかに行ったみたいですが」
気がつけばあの子供は青年の目の前から音もなく消えていた。こちらを見て驚いたような不思議そうな顔をしていた気がもすると、重ねるように思い出していた。
「えぇー! 早く言ってよ〜! それってどろぼーでしょ?!」
スズは青年に飛びかかり、肩を掴む。青年は驚きと勢いで手に持っていた水筒を落としそうになり、慌てて両手でそれをしっかりと持った。
「どろぼーさんという方ですか?」
「人の名前じゃなくて、人のものをとるわるい人のことだよー」
怒るように言うスズに青年は顔を上げて思い出す。そういえば前にスズが似たようなことを言っていたような気がしたからだ。
「あぁ、私がスズさんの水を飲もうとして怒られたことがありましたね、あれがどろぼーですか?」
青年とスズが出会って間もない頃、喉が乾いた青年は水を飲もうとした時、スズの水筒を手に取ってしまい怒られたことがあった。
その時、スズは「これスズのだから飲んじゃダメだよ!」と顔を赤くして言った。青年は初めてスズに怒られて、すごく落ち込んだのである。
青年がそのことを話すと、スズは青年の肩から手を離し少し俯きながら、
「ま、まぁ〜あれとはちょっとちがうけど……と、とにかく、返してもらわないとっ」
と言って、振り返り力を入れて両手を握った。
なるほど、と青年は頷く、自分もつい先ほどまで水が飲めなくて辛い思いをしたのだ、彼女も同じ思いかもしれない。だとしたら大変だと、青年は意思を固める。
「鞄を漁っていた彼は電車から降りて向こう側へと向かったようです。追いかけましょう」
「それは、そうなんだけど、えぇと、その」
スズは少し申し訳なさそうに青年の水筒を見つめる、喉が乾いていたが昔に「自分のものは自分のもの」と言ってしまったため、水が欲しいと言い出せないでいた。
青年はその様子に気がつくことはなく、スズを見て首を傾げる。
「どこか具合でも悪いのですか?」
スズは首を横に振り、小さく、のどかわいた……、と呟く。
青年はそれを聞きハッとして水筒を差し出した。
「い、いいの?」
青年は躊躇いなく頷き、水筒の蓋を開けながら「私はスズさんがいないと何も出来ませんから」と言った。
そしてそのままスズの目の前へと差し出し、それを受け取ったスズは笑顔で。
「ありがとぉ〜ネコさんはいい人だねぇ〜」
そう言いながら水筒の飲み口に視線を落とす。その後何度か飲み口と青年の顔を交互に見て、少しだけ顔を赤らめながらゆっくりと水を飲んだ。
一息ついたあと、電車の床に散らばっているスズの宝物を二人で拾い上げた。
「よし、じゅんびおっけー! 出発しんこー!」
荷物がいくらか無くなっても相変わらず大きい鞄を背負い、スズは右手を突き上げ大きく叫んだ。
「しゅっぱつ、しんこう……」
「よしいくぞー!っていみだよ!多分!」
青年の呟きにスズは楽しそうに答えた、何か引っかかる青年であったが、一足先に電車から降りるスズに置いていかれまいと、思考を切り上げてその後を追う。
自分たちが乗り込んだ箇所とは正反対の箇所から降りると、当然ながらまた線路が続いてた。もちろん夕日も相変わらず輝いている。
例の子供は二人から見える範囲にはいなかった。時間がたっているからか、それとも子供が素早く移動したのかは分からないが、とにかく二人はその線路をひたすら歩くことしかできなかった。
二人が歩き出して数分後、青年はよくよく考えてみれば目的がどうであれ自分たちがやっていることは変わらないのじゃないか、と自虐的とも言えるような思考に陥ったが、目の前で楽しく鼻歌を歌いながら歩くスズを見て微笑みと共にその考えを捨て去った。
しばらく歩くと、スズが立ち止まり大きな声を上げた。
「あぁー! 見て見て! えきだよ、えーきー!」
スズが指差す方向に線路の横に迫り上がった長い建物があることが青年にも確認できた。
「あれも駅……確かに似ていますね、すこし小さいですか?」
「それはそうだよ〜、同じえきなんだし、ちょっと小さいけどね〜」
青年は自身が眠っていた別の駅のことを思い出した。今いる場所より遥か後方にある駅、青年とスズが出会った場所だ。
「あそこに誰かいるといいね!」と言い出すや否やスズはその場を駆け出し、駅へと向かって行く。激しく鈴の音をかき鳴らしながら。
スズさん! と声を出す間もなく青年とスズの距離は離れていった。なんとか追いつこうと努力をするが、驚くほど脚力も持久力もない青年はすぐさま足を止めた。
そして「はやいなぁ」と息を漏らしながら、青年はゆっくり駅へ向かって歩みを進めた。
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