線路の果て、鈴鳴りの少女の旅
カズコウ
第一章 人形と魔法使いの駅(1)
「ここにもしたいがあるよ! でんしゃのしたいが〜」
大きな荷物を背負う派手なシャツとシンプルなスカートの少女が、もうすでに動かないであろう四角く長い乗り物を指差して笑う。その少女が揺れると、りんりんと首につけている鈴が綺麗な音を奏でた。
その小さな体よりも大きな鞄を背負いながら、線路の隙間を軽々と飛び越えていく少女を遠目に、少し後ろを慎重に歩く猫背の青年は小さくため息をついた。
青年は何の荷物も持っていなかったが、明らかに少女よりも疲れている様子で、しきりに汗を拭っている。
「あのー、水が飲みたいんですが」とかすれるような声で青年は少女を見て言った。
しかし、その少女の興味は目の前の乗り物に向いており、後ろを歩く青年のことなど気にしておらず、扉を無理やりにこじ開けて乗り込んでいた。
青年は仕方がないと、少女の後をのそのそと追っていく。
夕陽と線路、数時間前から変わらない景色の中、この二人はその足でずっと歩いていた。何もない線路の上をただひたすら。
青年はその乗り物の名前が電車ということを少女から聞いていた。少女はそんなことも知らないの、と不思議がっていたが、この青年には記憶が無かった。
少女の声によって目を覚ました青年は自分の名前以外何も覚えておらず、行くあても目的もなかったため、言われるがまま彼女の後を着いてきた。
青年はこの乗り物の中に何かしらあればいいな、と期待をしながら、少女の後を追うように乗り込もうとするが、体力も足も限界に来ていた彼は、大した障害にはならないであろう入り口との高低差にも苦戦しながらゆっくりとよじ登った。
はぁ、とため息をつき、あたりを見渡す。見渡したところで青年にはこの乗り物に何の意味があるかはわからない。ただ、疲れた体を休めたいという感情が湧いただけだった。
「お〜い、ネコさーん」
奥の方から少女の声が聞こえる。どうやら自分を呼んでいるようだ、と青年は声の方へと視線を向けた。
ネコさんとは青年の名前である。しかしそれは本名ではないし、青年が動物の猫というわけでもない。青年が猫背という理由から少女が勝手に呼んでいるだけである。青年は当然自分の名前を名乗ったが、彼女には覚えられていないようだ。
ネコっていうのはねぇ、こんなかわいーいどうぶつなんだよぉ、と両手を頭に当て青年の問いに答えてくれたことを思い出す。その他にも記憶のない青年は様々なことを少女に教わっていた。
そんな青年の回想は勢いある足音と鈴の音によってかき消された。
ドタバタと少女が青年のもとに駆け寄ってくる。その手には何かを持っているようだが、青年には隠すように手を合わせて閉じている。
「スズさん、私はネコさんではありませんよ」
青年にスズと呼ばれた少女は顔を可愛らしく膨らませた。
「えー、だってネコさんはねこぜだし! あと名前がねこっぽいし!」
「猫っぽい……いえ、そんなことよりも、お水を頂きたいのですが」
呼び名よりも優先度が高い、乾いた喉を潤すために青年はスズに手を差し出した。
彼は身につけている衣服以外には何も所持しておらず、全ての荷物はスズが抱えていた。つまり、青年が最も欲している水はスズが持っているということだ。
しかし、どういうことか目の前の少女が常に背負っている大きな鞄はない。
「これあげるね!」
要求を無視しながらスズは大きく叫び、手に持っていた物体を青年の差し出した手の上に置いた。
青年は突然、意味がわからないことを言われ、驚いた顔で手の上に乗せられたものを見る。
それは小さな玉だった。かなり硬く、外で輝く夕日と同じ色をしている。スズはそれを多く持っており、そのうちの一つを手の上に置いてくれたようだ。
この時、青年には疑問が浮かび上がった、まず何故鞄を背負っていないのか、そして水は頂けないのか。
だが、青年はそれらを全て言葉にせず、たった一言言い放つ。
「これは?」
その理由は目の前のスズの眼が渡された玉や夕日よりも眩しく輝いていて、この少女の興味は今、掌の上の玉にしか向いていないのだろうと青年は判断したからだ。
「これはね! ビー玉って言うの! あっちでいーーっぱい見つけたんだよ〜きれいでしょ」
そう言いながらスズは小さな掌に大量のビー玉を見せた。そこには赤、青、黄色など様々な色をしたビー玉が夕日を反射してきらきらと輝いている。
「たしかに綺麗ですね」
「でしょ〜! ネコさんはゆうひが好きだからオレンジ色をあげるね! いっつもゆうひ見てるしっ」
スズはくるくるとその身を回転させながら、あかあおきいろ〜と上機嫌にビー玉の色を歌い上げていた。
別に好きで夕陽を見ているわけではないんですが、と心の中で思いながらスズの鞄を探すべく青年は奥へと向かう。受け取ったビー玉をズボンのポケットに入れながら。
電車の中は閑散としていた、窓から差し込む夕日の光が車内の埃に反射して輝いている。少なからず物も落ちているが、そのどれもは紙クズや汚れた布切れなど、あまり必要そうには思えないものばかりだった。
青年は表現できない不思議な気持ちを抱きながらしばらく車内を歩いていると、目当てのものは見つかった。が、少し様子がおかしい。
数分前に見たスズが背負ったいたものとは違い、鞄の穴から二本の細い足が飛び出ており、その足が鞄に同調して揺れている。
青年は立ち止まりその様子をじっと見ているしかなかった。
すると鞄から二本のこれまた細い腕が出てきて、鞄を掴み勢いよく上半身が飛び出した。足と同じく上半身も非常に細く体格は幼い子供と同じくらいでスズよりも一回りほど小さかった。
その子供は飛び出した勢いで尻餅をつき、首を左右に何度か振った。その手には水の入っている水筒や、ここに来る途中で手に入れた食べ物が握られている。
数秒、両手にあるものを嬉しそうに眺めていたが、青年の存在に気がついたかのように勢いよく振り返る。
「うわっ、なんだお前!」
と叫び、両手をその小さな背に勢いよく隠す。
「あー、私の名前は……」
「ネコさーん!」
目の前の子供に自己紹介をしようとしたところをスズの呼びかけにより遮られ、反射的に顔を声の方に向けようとすると同時に青年の背中に衝撃が走る。
スズが走る勢いそのまま青年の背中へと抱きついたのである。そしてそのエネルギーを受け止めきれず、青年は情けない声を出しながらそのまま正面に倒れ込んでしまう。このままでは子供に覆いかぶさることになるはずだが、いつの間にか正面にいたはずの子供は姿を消していた。そしてそのまま大きな鞄が彼とスズを受け止める。
「もう、かってにどこかいったらダメだって言ってるでしょー」
背中にしがみついている元気な少女のお叱りを聞き流しつつ、青年は考える。
あの子供は一体誰なんだろうか、どこから来てどこへ行ったのだろうか、自分たち意外に他に生き物がいるのだろうか、何故鞄から水や食べ物を持ち出していたのだろうか。
しかし、そんなことよりも、と。
「……水を頂けないでしょうか」
起き上がる気力もなく、鞄に顔を埋めながら最後の力を振り絞って、そう呟いた。
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