第7話 自転車がないなら電車とバスで乗り継いでサファリパークに行こう


 近代的に改装された日立駅から神峰動物公園行きのバスに乗る。エフィメロスが作ったサンドウィッチはランチボックスに詰め込まれ水筒とともにショルダーバッグで運ぶことになった。もちろんルティナが運ぶ役目である。

 朝早く自宅を出て一時間半ほどで神峰動物公園へと到着した。 神峰動物公園は日立市に存在する。この日立市は急斜面の渓谷のような陸地から太平洋を望む海岸沿いの工業都市である。

 神峰動物公園も同様に斜面を切り開いて造成されたレジャーランドだ。


「ルティナ様の御母様が祀られている神峰神社もあるんです」


 エフィメロスはバスの車内でそう呟いていた。今日の彼女はいつもの給仕服ではなく、薄オレンジのカーディガンを羽織り、薔薇があしらわれたフリル付きのロングスカートを履いていた。道中、彼女は日立の地のガイドを続けながらも、誰かとずっとメッセージのやりとりを女神専用通信端末メガフォンでやり取りしていた。女神協会から貸与されているものらしい。

 ゴリラの模型がお出迎えする神峰動物公園の入り口に到着し、二人はチケットを購入する。

 ゲートの向こうからはゾウの鳴き声と子供達の歓声が聞こえてくる。


「神峰動物公園にいる女神ってどんな女神なの? テイマーの女神とか? 動物を使役するとかかな? ちょっと興奮してきたよ」

「夜はシビックセンターのプラネタリウムを鑑賞して帰りましょう」


 エフィメロスはルティナの質問に答えず、神器アイオーン――いや、使用率からしたら日傘と呼ぶべきか、傘地をばさっと開き、くるりくるりと回しながらルティナの手を繋いでゲートへと誘い始めた。傘地の小間に白薔薇が装飾された純白の神器。表情は変わらないが日傘の柄を右手で器用に回している時はご機嫌の合図であることをルティナは知っていた。


「ゾウを見た後はカピバラハウスでカピバラさんを観に行きましょう」

「う、うん。そうだねところで女神なんだけど」

「ちょっと待ってくださいね。ニシキヘビと触れ合えるコーナーもあるんですね。カワウソもお可愛いこと……」


 エフィメロスはルティナの手を引き、入り口のゾウを見た後、爬虫類コーナー、カピバラハウスへと至り、その後も、パンフレットの地図を見ながら動物鑑賞を楽しんでいた。


「さて、お昼にしましょうか」


 カバを見ることができるエリアには野外コンサート会場のようなコンクリートのスタンド席が設けられていた。二人は鈍重な動きで水中を泳ぐカバを見ながら、昼食をとることになった。


「ルティナ様、カバの汗って赤いんですよ? はい、あーん」

「へえ、知らなかったなあ。あっ自分で食べ……んぐっ!」


 問答無用で口に詰め込まれたベーコンレタスのサンドイッチを頬張りながら、ルティナは女神との遭遇は叶わないんだろうと少しだけ気落ちしていた。

 かといって、無表情ではあるものの明らかに楽しんでいるエフィメロスの前では不満など言えるはずもなかった。ルティナはカバと同じようにボウッとした表情を浮かべながら、ジャケットのポケットに入れて準備してきたびびり玉を取り出し感触を確かめていた。

 すると、エフィメロスのメガフォンがポップなメロディーとともに振動を始めた。この曲はショッキング・ブルーの『ヴィーナス』だ。エフィメロスは画面を数秒見つめた後、着信に応答した。


「はい、こちらは浄水器と物干し竿と羽毛布団のイメージ商材を販売するライアーライアーコーポレーションです」


 エフィメロスが詐欺の臭いがプンプンする会社名を答えていた。


「……女神ジョークですよ。え? まだ着かないのか? まも着ですよ。日立駅前で要介護老人の保護取り扱いがありまして。少し遅れて……サンドイッチ食べてるのはわかってる?」


 エフィメロスは大きくため息をつきながらメガフォンの通話を切断した。


「ルティナ様、お食事中のところ申し訳ありません。間もなく女神出没のゲリライベントが開催されます。キリン園に行きましょう。びびり玉の使い方はマスターしましたか?」

「う、うん。ちゃんと練習したからね。ねえエフィ、その女神知り合いなの? ホントにゲリラなの? スケジュール通りじゃないよね?」


 返事をすることなく、弁当箱をいそいそと片付け始めるエフィメロスを横目に唐突なゲリライベントの開催告知と、前提となる通話に不安しか覚えないルティナだった。


*****


 キリン園にはキリンがいた。

 そりゃそうだと突っ込まれても仕方がない。だが、エフィメロスが指示する先にはキリンがいたのだ。あれが女神だと言わんばかりに。仏頂面で指示をするのだ。


「はい、あれがSR女神・尾張のジラフ。つまりはキリンの女神です。覚えていますか? 入学式当日に後神菖蒲のバックギャモンボードを踏み潰した女神です」

「あ、うん。ちゃんと伏線は回収するんだね。で、どの子?」


 5頭いるキリンを見るが、体の大小はあるけれど、どのキリンを見てもキリンであった。


「あの、真ん中にいる子キリン……の後ろにいる、あっ今、獣舎の方へ振り向いたアイツです。違いますルティナ様、その子はオスのキリン、ルティナ様と同じくらい立派なキリンさんが股間についてるじゃないですか」


 エフィメロスの説明を受けながら、ルティナは右手にびびり玉を握ったまま右往左往しているとエフィメロスが左指で輪っかを作り指笛を鳴らした。

 すると、一頭のキリンが首を上げ下げしながら近づいてくる。鉄柵があるとはいえ手を伸ばせば十分に頭を撫でることができるくらいまでキリンが首を下げてきたのだ。


「ルティナ様、びびり玉を投げてください」


 投げるも何も零距離なんだけどな。ルティナはなんとも言えない気持ちを抱えながら頭を差し出しているキリンの頭部にコツンとびびり玉を当てた。

紫色の光と煙が広がったかと思うと、ルティナの目の前にいたキリンが消え失せ、足下では漆黒の球体が回転を始めた。どうやらびびり玉の中にキリンが入ったらしい。飼育員さんに怒られるんじゃないだろうか。

 1回、2回、びびり玉が小刻みに震えると『女神ゲッチュウ! げほっ!』という置戸博士のしわがれた声と、無理矢理裏声を出したからか咳き込む音がびびり玉から聞こえてきた。


「はいルティナ様、女神ゲットおめでとうございます」


 無表情で拍手をするエフィメロスに、ルティナは冷め切った声で応じた。

「ああうん。そうだね。じゃあ帰ろうか」ルティナはびびり玉を拾い上げた。

「そうですね。それとプラネタ「いやいや出してよ」……プラネタリウムなんですけどね」


 びびり玉から声が聞こえる。


「うん。プラネタリウムね。それ「ねえ二人とも無視ですか?」……なんだけど」


 ちっ、と舌打ちをしたエフィメロスがルティナが手に持つびびり玉を奪い取ると自らの口元に近づけた。


「聞こえてるならわかりますよね。これから私達はプラネタリウム鑑賞なんです。わかりますか? 男女が二人でお出かけですよ? 女神探索という名目のデートなんですよ」


 建前とは何だろう、名目ってどういうことだろう、思考の海に沈んでいくルティナに構うこと無くエフィメロスは黒い球体に話しかけていた。だがキリンの女神も負けてはいなかった。


「いやいやいや、わざわざ休日にだよ? 困ってるクラスメイトのために人肌脱いだ。あっ、女神肌だった。ぴっちぴちの女神肌脱いだ私はなんなん? 女神捕まえたい人がいるって頭下げたの誰だっけ」

「なんなん言われても……えっ? ルティナ様このボール喋りますよ」

「無理筋だよエフィ。出してあげよ? ね? ほら貸して、この真ん中にある正方形の切れ目がボタンになってて……」


 ルティナが再度エフィメロスからびびり玉を取り返すと、慣れた手つきで球体にある隠しボタンを押し込む。


「あっ、ルティナ様ここではまずいですよ」


エフィメロスが制止しようとするがもう遅い。


「えっ? 今ここで? 何考えて……っ!」


 びびり玉からの声が途中で途切れると、先ほどと同じく紫色の光と煙幕が広がる。

 煙が収まったその先には全裸の女の子が体を隠してしゃがみ込んでいた。


「……だから、女神肌脱いだって言ったと思うんですけど」やや茶色がかったボブカットの少女が恨めしそうな目でルティナを睨み付ける。

「ごめんね明智さん」


 ルティナは素直に謝った。見知った顔だ。クラスメイトだった。


「ねえ、獣舎にジャージ置いてきてるから取り入ってもらえないかな」

「はい」


 ルティナは彼女を見ないように駆け足でキリンさん専用の獣舎へと駆け込んだ。


*****


「え~とですね。かの明智光秀がTS転生後にキリンの女神として転世し後神さんのバックギャモンボードを無慈悲に踏み潰したクラスメイトで学級委員長の明智光代さんです」


 エフィメロスが唱えるお経のような紹介の意味がルティナにはさっぱりわからなかった。


「時は今 雨が下しる 五月哉! ちゃおっ! 明智光代です。みっちゃんって呼んでね!」


 エフィメロスの紹介とともに、ジャージ姿の彼女は右目にピースサインを当ててくるりと回った。小ぶりな胸部中央には明智と描かれた白い布が縫い付けられている。聖女神学園指定のジャージだ。学校内でのスカウトが禁止されているから一計を案じたというわけか。

 ルティナはエフィメロスの遠回しな優しさに胸の奥がくすぐったい気持ちになった。


「雲一つない五月晴れだけどよろしくね。いつもクラスメイトのために色々とありがとう。学校ではあんまり話したことなかったよね。みっちゃんのお陰で女神武踏会に出場できる可能性が高まったよ」

 ルティナは謝辞を述べながら明智光代と握手を交わした。


「ルティナ様、みっちゃんって早くないですか? 私もそんな感じで呼んでくださいよ」


 エフィが平坦な声色で不満を口にする。


「エーちゃん怒らないでよ。ね? エーちゃん――これでいい?」

「あっ、なんかロックの女神様が降りてきそうなんでやっぱナシで」

「――で? プラネタリウム行くっしょ? みっちゃんも見たいんだけど」


 クラスではほとんど言葉を発さない彼女が饒舌に喋る姿は興味深いとルティナは思った。


「みっちゃんはいい加減に丹波攻めを完遂してください。右府様も怒髪天でござ候」

「おいやめろ。あのパワハラ野郎の名を口に出すな」


 思い出したくないことを思い出したのか、低くこもった声でエフィメロスの言葉に突っ込む。


「みっちゃんはノリツッコミもできるんだね。でもあんな出鱈目な紹介でいいの?」


 ルティナは思った疑問を口にした。


「え? 全部本当のことだよ? みっちゃんは元・明智光秀でござるっ!」


 明智光代は決め顔でもう一度ターンをして右目にピースサインを当てていた。


「そうなんだ、難儀でござるね。じゃあみんなでプラネタリウムを観に行こうか」


 ――もう何が起こっても動じないようにしよう。ルティナは神峰動物公園で草を美味しそうに食べているキリン達に向かってそう誓ったのだ。

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