第3話 ライバルはだいたい短パンだよね
コーポヴィーナスから五分もかからない場所に年中無休24時間営業のコンビニエンスストアがある。午後六時を回ったばかりであるが、四月の空は薄闇に染まり肌寒い風がルティナを包む薄手のコートに吹き付ける。
コンビニのある水天駅前のレンガ通りへとたどり着こうとしたとき、路地裏からルティナを呼ぶ男の声がした。
「おい、お前ルティナだろ」
反射的に路地裏へ振り返ると黒髪短髪の少年が路地裏に立っていた。
「いえ、違います」
目が合ったような気がしたが相手が暗闇にいるため表情が見えない。
「あっ、すいません間違えました。おいムネ違うってよ」
「そんなはずないですよ。あの人嘘ついてますって。簡単に信じちゃダメですよ」
声変わりして間もない男子の声と、か細い女子の声が交錯する。
君子危うきに近寄らずを実践すべく歩みを早めようとした矢先、ルティナは腕を掴まれ路地裏に引き込まれた。
「悪いな。ムネモシュネが言っているから改めさせてもらうぜ」
ルティナを引き込んだ男子は黒地の半袖シャツに白色の短パンを履いていた。寒くないのだろうか。黒地の半袖シャツには胸部に大きく『小僧の寿司』と楷書体の白文字がプリントされていた。外国人向けのお土産として豊洲か築地で売ってそうだ。
「お前がルティナ=イラストリアスだな。俺は、
「勿忘さん。何の用ですか」
「サトシって呼んでくれ」
「隣の女子は誰ですか?」
「サトシって呼んでくれ」
「あの、勿忘さんとサトシさん、何の用ですか」
「私はサトシじゃないです。ムネモシュネです」
薄く緑がかった髪色のゆるふわセミロング女子は、頬を膨らませて名前を訂正した。聖女神学園指定のブレザーを羽織り、チェック柄のスカートを履いている彼女は同じ学園の生徒であることを証明していた。怒っているようには決して見えないあどけない表情や所作を見ていると癒やしキャラとしてクラスに一人は欲しくなるタイプだ。
「なあルティナは何で学校来ないんだよ。初日から不登校とかやってくれるじゃねえか。同じクラスなんだぜお前とこの俺様、つまりはサトシは」
どうしてもサトシって呼ばせたいらしい。
「えっとサトシ君初めまして。僕はルティナ=イラストリアスだよ。同級生Aと呼んでね」
「何で積極的にモブになろうとしてんだよ。お前も俺と同じで女神マスター目指してんだろ?俺と神権勝負しないか?」
「お断りします」
神権勝負は断ることができる。ルティナはそれを体験談で知っていた。
「そうこなくっちゃな! いくぜっ! まずは俺のターン! 水天街商店モールの生パンパンを生け贄に記憶の女神ムネモシュネをドロー!」
唐突に神権勝負が始まった。拒否できるんじゃなかったのか。勿忘覚はポケットから生パンパンを取り出し、隣に立っていたムネモシュネの口に突っ込んだ。
「ふぃふぉふをへふぁひ! ふひぇふぉひゅっ……ゲホッごほっ! おろえっ!」
生パンを口に含んだまま名乗りを上げればむせるのは必定だ。ムネモシュネの口腔から地面に向けて生パンパンの残渣がドローされた。
「おい、しっかりしろよムネ。掴みが大切だって、一人早食いパン競争するって言ったのはムネだろ? ほら学食の牛乳だ。おかわりもあるぞ」
勿忘覚が心配そうにムネモシュネの背中をさする。
「ゴキュッ、ゴキュッ! はあはあ……ありがとうサトシ君。天上にいる豊穣の女神フレイヤがビヨンビヨンってホッピングしながら手を振っていたよぉ」
「そっか……お帰りムネ」
ルティナのことはそっちのけで二人は見つめ合っている。朝ドラでもお目にかかれないレベルの大団円だ。僕はお邪魔みたいだからカレールウを買いに行こう。ルティナは抱き合う二人を横目に踵を返し路地裏から出ようとするが、見えない壁に阻まれた。
「おい、さりげなく逃げようとすんなよ。神権勝負は始まってるんだぞ。ムネが女神領域を展開してるからな。簡単には出られないぜ」
これは参った。女神領域の意味はわからないが、あいにく手持ちの女神達は自宅で絶賛バックギャモンプレイ中だ。ルティナは困惑した。
「でも女神がいないと戦えないんだけど」
「男なら拳で語れるだろ? よしムネ! 景気よくワンパンかましてこい!」
相反する事を言っている勿忘覚を「こいつ正気か?」みたいな顔をしてムネモシュネが覗き込んでいた。ムネモシュネが額に手を当ててため息交じりに注意した。
「サトシ君、相手に女神がいないと神権勝負にならないんだよ。あと私は女子だからね? 女子は拳じゃなくてパジャマ着て語るんだよ。女神領域は解除するね」
「ちっ、情けねえな。レオル=イラストリアスの息子って聞いて楽しみにしてたのによ。イラストリアス家ってのはとんだ腰抜けしかいねえんだな。そもそも何で日本に……」
サトシ君は肩をすくめて挑発を続ける。勝手に勝負をかけられ勝手に失望されるのは心外だが、ここは愛想笑いでもして場をやり過ごそうと思っていた矢先――――。
「黙れ短パン小僧」
上空から威厳のこもった透き通る声が響いた。
見上げると、月をバックに一人の女性が空に浮かんでいた。
虹色のコントラストが美しいポニーテールの女性は、白金で出来たかのような鎧を着込み、ゆっくりと降下した。音一つ立てずルティナの背後に着地したその女性は、妖しげに輝く金色の瞳を歪ませながら静かに嗤った。
「何だよ、ちゃんと準備してるんじゃねえか女神をよ。おいムネ、こいつがあのエフィメロスって女神なのか? 倒すべき対象の……」
勿忘覚が振り向いた先ではムネモシュネが腰を抜かし震えていた。瞬く間にムネモシュネの顔は青ざめ、歯をカタカタと鳴らし始めた。
「ち、違います。な、な、なんであなた様が……」
「記憶の女神ムネモシュネ、まさか私と戦うつもりか?」
虹色の髪をたなびかせた騎士は一歩、また一歩とムネモシュネへと近づく。
勿忘覚も異変を感じ取ったのか、ムネモシュネの前に出ながら指示を出す。
「ムネ! 2万ボルトだ! 護身用のスタンガン使って逃げるぞ!」
勿忘覚はやけにリアルな電圧を叫びムネに命令するが、彼女は微動だにすること無く汚れたアスファルトに座り込んだままだった。
「サトシ君駄目、無理。勝てる勝てないとかじゃないから。わかるでしょ? 強制負けフラグのイベントバトルってやつ。降参しよ、ね?」
ムネモシュネは虹色の騎士を見つめたまま無表情に返答する。
「はあ? 戦う前に降参とかねえから! いいか俺はだな」「サトシ、早く」
ムネモシュネはサトシ君に二の句を継げさせることはなく、冷たく機械的な低い声で端的に自分の女神トレーナーへ命令した。
「降参します」
即座に勿忘覚は虹色の騎士に振り向くとバンザイの姿勢をして正座した。二人の真の関係性を垣間見た気がした瞬間だった。
「おい短パン小僧、降参しますだと? 少年を虐めようとしていた貴様がか?」
「いえ! すんませんしたっ! あのお金なら少しありますので!」
サトシ君は正座したままジャンプを始めた。短パンのポケットから小銭が擦れ合う金属音が聞こえる。
「ムネモシュネ貴様は視たのであろう? 未来の記憶を。何を視た? この少年を襲うことと何か関係あるのか?」
「…………」
虹色の騎士がムネモシュネに問いかけるが彼女は何も答えない。
「ちっ、答えないか。女神の誓いとは面倒だ。少年よ、今回は貴様の勝ちだ。何を望む? 女神の権能か? それとも短パン小僧からお小遣いでもせびるか? 神権勝負に勝てば相手が出来ることを一つ命令することができるぞ」
虹色の騎士が振り返りながらルティナに望みを聞いてきた。ルティナの望みはコーポヴィーナスを出た時に決まっていた。この願いは誰にも変えることのできない切実なる願いだ。その願いを叶えてもらえればもう十分なのだ。
「辛口のカレールウとバニラアイス2個とジャリジャリちゃんのソーダ味1個を買ってきてください」
*****
勿忘覚と記憶の女神ムネモシュネは、駆け足でカレールウを買いに行ってしまった。
路地裏には僕と虹色の騎士が残されてしまった。
気付かないふりをしているが、僕の隣に立っている虹色の騎士がチラチラとこちらを見つめてくる。僕は意を決して彼女の方へと振り向いた。
不意を突かれたのか、ビクッと体を震わせた彼女の見開いた目は金色の美しい目をしている。
「お姉さん、先ほどはありがとうございました」
「お姉ちゃんだ。今後はそう呼べ」
こだわりがあるらしいが少し恥ずかしい。
「お、お姉ちゃん」
ルティナが照れ気味に彼女を呼ぶと、虹色の騎士はビルの壁に手をつき大きなため息をついた。まずかったのだろうか。
「…………最高かよ」
虹色の騎士が小さく呟いた一言はルティナにはよく聞き取れなかった。
「お姉ちゃんの名前は何て言うの? 僕はルティナ=イラストリアスだよ」
「そ、そうかルティナって言うのか。お姉ちゃんでいい。唯一無二のお姉ちゃんがいい。そ、そうだこれをあげよう」
虹色の騎士は、金色に輝く一枚のコインを差し出した。五百円硬貨ほどのサイズだが、中央にドットのような点が刻印されていた。
「虹色のお姉ちゃん、これは何?」
「ふひゅっ! んんっ、これはな女神コインって言ってだな。ルティナがゲットした女神からもらえるんだぞ。でへへっ、私はルティナにゲットされちゃったわけだな」
不気味な笑顔を浮かべながらも虹色の騎士は丁寧に説明してくれる。荒い息づかいとやたらと距離が近いことを除けば理想の姉なのかもしれない。
「でも、僕とお姉ちゃんは今日会ったのが初めてじゃないの?」
「パンを咥えて曲がり角でぶつかって一目惚れって奴さ。初めてだけど初めてじゃないんだよ」
虹色の騎士は僕を抱きしめると、謎かけのような返事を耳元で呟いた。虹色の髪から甘ったるい匂いが鼻孔をくすぐる。
……この匂いは以前も嗅いだことがある。
「お姉ちゃんの匂い……もしかしてお姉ちゃんって」
「カレールウ買ってきましたよ~って、わわわっ抱き合ってる! サトシちょっと向こう行って夜空の星でも数えてて」
「わかったぜ! あっ、北斗七星の上に赤い光が見えたぞ! 吉兆星ってやつだよな!」
ドンピシャのタイミングでムネモシュネとサトシ君が現れたが、ムネモシュネは手に持つカレールウの箱でサトシ君を表通りへ追い払っていた。カレールウの箱には『バオバブのお姫様カレー《超甘口》』と書かれていた。
「おいムネモシュネ、今すぐこの少年の記憶を消し飛ばせ。私のこと限定でな」
虹色の騎士がルティナからパッと身を引き離すと、表通り側にいるムネモシュネへ命令した。
「虹色のお姉ちゃん? 何で僕の記憶を消すの?」
「すまないなルティナ。本当は干渉しちゃいけない決まりなんだ。それにこのままだと身バレしそうだし」
「お姉ちゃん……やっぱりお姉ちゃんは「ムネモシュネっ! 私が降臨したときガッツリお漏らししてたよな? 発動しないならメガミトーカーで拡散するぞ早くしろ!」
「ルティナさん、今宵起こった路地裏における女神エンカウントは程々に忘れなさい! フォーマッテイングスウィートメモリー!」
ムネモシュネは虹色騎士による恫喝を受け、身をすくめながらダークブラウンの瞳を輝かせルティナに向かって宣言した。
きゅぴーんという音とともにルティナの視界は白い霧に包まれた。
気付けばルティナはコーポヴィーナスの前に立っていた。
右手に持つエコバッグには超甘口のカレールーと溶けかかったアイスがある。左のポッケにはミント味のチューインガム。
買い物に向かって同級生の勿忘覚とムネモシュネに絡まれたことは覚えているが記憶がアヤフヤになっている。路地裏で声をかけられて……それから……何だったっけ?
「ただいま」
金属が軋む音とともに玄関の扉を開くと通路正面にある和室でエフィが正座をしていた。
――――下着姿で。
「お帰りなさいませルティナ様。カレールウは手に入りましたか?」
「おおっ! ルティナ帰ったのか! 全勝だよ全勝。ルティナが帰ってくるまでにコイツを全裸にしてやろうと思ったんだけどな。エフィは今晩ずっと下着姿で暮らさなきゃいけないんだ」
「そうなんだ。カレールウ買ってきたよ。風邪引かないようにね」
ルティナは玄関で靴を脱ぎ下着姿で居間から出てくるエフィメロスに自分が着ていたコートをかける。
「ありがとうございますルティナ様。カレールウを買い忘れるという失態を演じたメイドのためにお遣いをして頂き、お疲れにもかかわらずその気遣い心遣いに感激しております。やはりルティナ様は女神マスターになられるお方であると確信いたしました。とりあえずいつものをしたくなりました。してもいいですか?」
花柄の刺繍があしらわれているブラジャー&パンティの女子高生が両手を差し出して近づいてくる。彼女ははいつだってこうだ。
〝いつもの〟を要求してくるときは来客も下着姿であることもお構いなしなのだ。
「はいはいわかったよ。アイス溶けちゃうからちょっとだけだよ」
エコバッグを床に置いたルティナは両手をエフィの脇下へと差し入れ、背中をそっと抱き寄せた。呼応するようにエフィもルティナの腰に手を回し抱き返す。
「もっとギューッとしてください。最近配線の接触が悪くて充電に時間がかかるのです」
と、ルティナという充電池を利用したバッテリーチャージを開始した。
「あの、菖蒲もいるんだけど。なんで玄関先で抱き合ってるの? 試合に勝ったのは私だよ? 菖蒲にもハグのご褒美はないの? 下着姿になればいいの?」
居間から後神さんの震える声と衣擦れの音が聞こえてくる。ルティナは入学式初日(欠席)からハグする相手が一人増えることになりそうな予感がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます