揺籃期‐3-
捜索は未明まで続いて、皆が緊張と疲れを示していた。
もしかしたら…という不安もあったが、皆子供が生きていることを祈りながら探し続けた。
そんな中、どこからか、獣の劈くような咆哮が響き渡り、皆がその声の恐ろしさにぴたりと動きを止める。
しん、と静まり返った後、人々は慌ててその声のした方へと歩を進めた。
一人が、崖の近くに小さな影を見つけた。
近くにいる仲間を呼び、恐る恐るその陰に近寄ると、びくりと体を震わせて子供がこちらを振り返った。
ほっとした大人たちが駆け寄り、子供を確認する。
血が、服についている。
「大丈夫か!?怪我は…!?」
話しかけると、震える声で子供は崖の下を指さした。
「『鬣犬』が…」
『鬣犬』と聞いた彼らは戦慄した。
ついに不吉な『鬣犬』が我々に牙をむいたのではないか、と誰もが思った。
恐る恐る15mほどある崖の下を見てみるとそこにはいつも見る『鬣犬』の姿はなかった。
そこにはゆうに大人の二倍はあるルプスが絶命していたのである。
近くの川にはその血が流れ赤く染まっていた。
信じられないような顔で皆が顔を見合わせる。
「あれが『鬣犬』か…?」
まだ、震えが治まらない子供はそれでも大きく首を横に振った。
「ちがうよ…ちがうんだ…『鬣犬』が、僕をかばって…」
泣きそうになりながら発したその声に、誰もが言葉を失った。
そして、子供の命の恩人である『鬣犬』を罪人に仕立て上げようとした自分たちにばつの悪さを覚えた。
「もしかしたら、下流に『鬣犬』が流されているかもしれないな…」
探そうか、と誰かが呟いた。
その場にいる誰もが『鬣犬』に対する罪悪感で、その言葉に頷き、『鬣犬』の捜索をすることとなった。
◇
『街』は眠らず、子供と『鬣犬』の姿を待っていた。
森の入り口ががやがやと騒がしくなり、待ちきれなくなった『街』はその場に駆けていった。
「見つかったの…!?」
子を抱きしめる母親を見て、『街』は安心して緊張を解いた。
そして、安堵する皆の様子に頬を緩める。
「無事だったのね。本当によかった」
そして周りを見渡しながら、そこにいる人々に尋ねた。
「『鬣犬』はどこにいるの…?」
その一言を聞いた人々はきまりが悪そうに、視線をそらした。
「実は…」
『鬣犬』のことを聞いた途端、『街』は血の気が引く思いがした。
すぐに探しに行こうとするも、そこにいる皆に止められ、森へ向かうことができない。
「離して!!『鬣犬』を探しに…!」
それでもそのまま『街』は森へ向かうことはできなかった。
『街』は『鬣犬』の帰りを祈るように待った。
捜索は難航しているのか、いい知らせは届かない。
それでも、『鬣犬』なら戻ってきてくれる。
そう信じて、緊張で悴む手をぎゅっと握り、目を閉じて待っていた。
朝焼けが過ぎ、太陽が登って少したった頃、『鬣犬』は戻ってきた。
『街』の望まぬ形で。
◇
誰もが呆然とする『街』に何も言葉をかけることができなかった。
ただ、その亡骸に寄り添う悲痛な姿を見ることしかできなかった。
それでも、長時間その状態でいることはできない。
そっと一人の住人が『街』の肩にそっと手を置いた。
「彼を…安らかに眠らせてあげましょう。」
されるがまま、その場を『街』は離れる。
触れることも嫌がっていた住人たちは、さも当然の如く『鬣犬』を荼毘に付すため、丁寧にその亡骸を綺麗にした。
その姿を見ながら、『街』はただ抜け殻のように見つめていた。
準備が整ったとき、ようやく、『街』はその顔をゆがめ、涙を流した。
こんなことになるなら、あの時引き留めていればよかった。
こうやって、会えなくなってしまうなら、期待などしなければよかった。
打ち寄せる後悔に止めどなく涙は流れる。
それでも彼は戻ってこないのだ、と心は悲鳴を上げた。
荼毘に付されるその姿を目に焼き付けるように『街』はじっと見つめ、そして、ふい、と視線をそらした。
そこを去ろうとする『街』へ躊躇いがちに住人が話しかけようとすると、『街』はそっとその声を遮った。
「一人にさせて…」
そうして、泉の方へ一人進んでいった。
泉のほとりについたとき、『街』は慟哭した。
何度も何度も土に拳をぶつけて、何度自分を恨んでも、『鬣犬』が傍に戻ることはない。
彼がみんなに認められても、彼はいないのだ。
ひたすらに泣いた後、ぼうっと泉を見つめ、今までのことを思い返していた。
人々を愛おしいと思う年月とともに、『鬣犬』と過ごす日々も『街』にとってはかけがえのないものになっていたのだった。
そうしていても太陽は『街』を照らしていく。
そのまま、『街』は泣きつかれて蹲るように眠ってしまった。
◇
日が陰り、夜の帳がそっと近づこうとしていた頃、『街』は目覚めた。
すでに周りは暗く、仄かに月が水面を照らし始めていた。
水面の月を見つめていると一陣の風が柔らかく彼女の髪を翻した。
『鬣犬』の躯も埋葬されてしまったかもしれない。
そう思いながら、広場へ戻ろうとしたとき、そっと肩に触れる手があった。
そっと振り返ると、そこにはあったばかりの時の『鬣犬』が佇んでいた。
「『鬣犬』…?」
そっと頷く『鬣犬』に驚きで目を見張る。
幻ではないのか、とその仮面をつけた頬に触れる。
仮面は前と違う木製のものではあるが、そこに確かに『鬣犬』はいた。
彼は帰ってきたのだ。
今度は嬉しい気持ちで彼に抱き着いてまたひとしきり泣いたのだった。
◇
嬉しさのあまり、『街』は広場に『鬣犬』を連れていった。
しかし、彼女は人々の『鬣犬』に対する認識を甘く見ていた。
皆はしん、と静まり返った。
その静寂とともに瞳には畏怖を湛えて。
そう、死んだ者が戻ってくるなど…
人々にとっては『鬣犬』が異形であることを認識させられただけだったのだから。
-揺籃期‐ 終
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