揺籃期‐2-
あれからまた時は経ち、住人たちが少しずつ増え、今では小規模の集落になっていた。
住人が持ってきた主食のティクムを始めとした作物を栽培し始めたことで、今では安定して食糧を手に入れることができるようになった。
泉から流れ出した川のせせらぎを辿ると、その先には田畑が広がっている。
「綺麗ね」
優しい風に撫でられて、黄金色の穂先が揺れるのを眺めながら『街』は『鬣犬』に語り掛ける。
人々は幾重にも時を重ねながら、家を建て、田畑を耕し、そして時には収穫で時には狩猟で賑わい、いくつもの季節を超えていく。
その営みは新たな命とともに、続いていくのだ。
『街』はそんな人々との生活を愛おしく、そして少しの憧憬と共に見つめながら過ごした。
人々との年月を、『街』変わらぬ姿で見守った。
相反するように、『鬣犬』は月日が経つほどに、人々と同じような速度で成長した。
今では二人が並ぶとまるで兄妹のよう。
『鬣犬』の背丈は14歳ほどにまで成長していた。
自分より上背になった背中を見て、ふと、『街』は『鬣犬』や人々に置いていかれるのではないかと不安になったのだった。
人々の『鬣犬』に対する視線は変わらず、遠巻きにするだけである。
恐れを湛えた瞳で見つめ、できるだけで関わろうとしない。
『街』はできるだけ、『鬣犬』の傍で過ごした。
彼らが『鬣犬』をどのように想像しているのかは漠然としている。
だからこそ、傍にいて、何も害がないことがわかれば少しは変わるかもしれない。
そう思いながら、人々と接し、『鬣犬』に寄り添った。
『鬣犬』も『街』を守るという信念のもと動いているように見えた。
それでも、彼らと『鬣犬』との距離は縮まることはなかった。
人々が住み始めて10年と少しが経とうとしていた。
◇
ティクムが安定的に収穫できるようになって、森で採れる果物から果実酒ができるようになると、その時期に合わせて集落では、収穫を祝う祭りが催されるようになった。
今年も何とか、冬を超えられるほどの作物や森の恵みがそろった。
良くなっていく食糧事情に、人々も喜びを分かち合う。
とはいえ、そんな人々に対して自然もそう簡単には良しとしないらしい。
「森でよくルプスの気配を感じるようになったな…」
「この前の狩りに行ったときだろう?頻繁にこの近くで獣を狩っているのか、残骸もひどい」
「最近畜産も始めた手前、街に入ってこられると厄介だ。子供達にも対策できるまで森に行かないように言わなきゃならんな」
人々はそう口にしながら、ティクムの収穫作業をしていた。
森にはもちろん動物も住み着いていて、それは同時に獰猛なハンターも呼び寄せた。
しかし、今年はどうやらその肉食獣が繁殖しすぎたのか、森の中で狩りの痕跡を見る機会が増えたのだ。
不安はあれど、今は収穫の時。
人々は喜びを前にその懸念を振り払ったのだった。
◇
誰もが収穫祭前日で騒々しく準備をしていた日。
夕刻になった時、真っ青になった子供たちが、作業中の大人に泣きついてきた。
「森で遊んでたら、一人見つからなくなっちゃった…」
子供たちが冒険と称して森へ遊びに出てしまったのである。
ルプスの件で強く言い聞かせられていたが、逆に子供たちの興味を刺激してしまったのだ。
最初は集落の近くだった遊び場が、誰かの提案でどんどん奥へと進んで行った。
その時、ルプスの遠吠えが聞こえてきたのだ。
声の近さに驚き、恐怖を感じた子供たちは急いで逃げ帰ったのだという。
集落のところにたどり着いたとき、いつも後をついてくる幼い子がいないことに気づいて、急いで大人へと頼ったのだった。
話を聞いた人々は、顔を強張らせ、急いで捜索の準備をし、森へと急いだ。
松明が揺らめきながら暗い森をぼんやりと照らす。
その先に子供を探すも、一向に見つからず夜は更けていった。
『街』は初めての死の気配に背筋を冷たいものが伝う感覚がした。
「『鬣犬』…」
初めての不安に隣にいた『鬣犬』の腕をぎゅっと握る。
その様子を、目線を向けて『鬣犬』は見つめた。
夜も深まった頃。
家の中、『街』の隣で子供たちの捜索が終わるのを待っていた『鬣犬』は、するりと立ち上がった。
「『鬣犬』?どうしたの?」
松明の準備をすると『鬣犬』はそっと頷いた。
そのままドアを出て、森へ向かっていく。
「『鬣犬』!?」
止める間もなく、『鬣犬』は暗い森へと走って行ってしまった。
『街』は取り残されたまま、呆然とした。
初めて彼が自分の意思で『街』の傍から離れたのだ。
そして、どうしてそんな行動をとったのか、わかってしまった。
彼は、「助かってほしい」という『街』の願いを叶えようとしたことに。
そして、わずかな期待から、追いかける手が遅れてしまった。
もしかしたらこれで彼が子供を見つければ…
『鬣犬』が人々に認められるかもしれない、と。
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