シオマネキ

平岡遼之

シオマネキ

 この間、十年来使っているデジタルカメラのメモリーを見ていると、ふと懐かしい「約束」を思い出した。僕は人との会話とか、或いは大事な約束とか、そういった類を忘れやすいたちであるが、なぜかそれだけは、克明に記憶に残っていた。

今回はここに、それを記そうと思う。


小学校に入る前で、僕たち家族は沖縄へ旅行に行っていた。三泊四日の旅。これまでにないほど素晴らしい旅だった。

泊まった所は都会のビジネスホテルでもなく、或いは高級ホテルでもない。ある一つの敷地すべてを宿泊地とする、それなりに大規模なリゾートだった。具体的に言うと、幾つかの「泊まる」ということだけに特化した建物が敷地内にあり、「食べる」ということに特化した建物があり、その他一つのことをすることだけに特化したような建物がいくつかある、という具合である。敷地の中では小ぢんまりとした、ゴルフ場を回る車のようなものに乗って移動する。その宿泊地のシンボルマークは、「シオマネキ」と呼ばれる片方の手だけが恐ろしく大きくなったカニだった。

そして僕がした「約束」というのは、「泊まることに特化した建物」から少し離れたところにある「食べることに特化した建物」の中で行われた。

先ほども言ったように三泊四日の旅である。その「食べることに特化した建物」には、足繁くとまではいかないものの、かなりの回数通っていたことになる。

食事をとろうとそこに行くと、毎回決まったお姉さんが案内してくれた。十年近くたってしまった今では、彼女の顔はおろか、どんな服装でどんな背丈をしていたかなど、彼女に関するほとんどの記憶が消えてしまっている。或いは、お姉さんであったかすらも怪しい。もしかしたら母親か父親が愛想で「おばさん」を「お姉さん」と呼んでいただけなのかもしれない。

そんなことはさておき、そのお姉さんは毎日のように僕の話を聞いてくれた。

「今日はすぐそこにある海でアスレチックをしてきた」とかいうことや、「今日は離島へ行ってマングローブを見るためにカヌーを漕いだ」とかいうことを、お姉さんは飽きもせずに(再三言っているが遠い昔の記憶なので、そのお姉さんが本当に飽きていなかったなんていうことは分かりっこないのだが)聞いてくれた。

言うべくも無いかもしれないが、僕はそのお姉さんと完全に友達になった気になっていた(それは今日も変わらない)。そしてこれも言うべくもないことだが、僕たち家族は帰らないといけなかった。関西の、都会から少し外れた中途半端な郊外へ帰らないといけない。

僕は帰る直前、お姉さんとしゃべった。或いは泣いたかもしれない。その帰りの会話の中で、

「絶対また来るから、また来るから」

という言葉が口をついた。溢れ出たといった方が正しいだろうか。お姉さんはにっこりと笑っていた。それは全く顔を覚えていないまでも、しっかりと記憶していることの一つである。


僕は今、高校一年生になっている。

かのお姉さんは、今スワローズとタイガースが戦ってスワローズが勝つくらいの確率で僕を覚えていることはないだろう。或いは、もうそのリゾートをやめてしまっているかもしれない。それもあまり低い確率とは言えないだろう。ともすれば、そのリゾート自体なくなっているのかもしれない。

なんにせよそれは古い記憶の中に閉じ込められてしまっている、こういうものを書く機会にしか表に出ない記憶である。

ただ、当時のことを思い出しながら書いていると、シオマネキがその大きな手を、こちらに向けて振っているのかもしれないという錯覚にすら襲われる。

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