第18話

 かくかくしかじか、これまでの粗筋を伝えた。話を聞き終えた芹は、眉間に深い深い皺を作り、それを親指と人差し指で摘むと、熱帯夜みたいに重苦しい溜息を吐きだした。


「あんの馬鹿妹が……」


 ドスが効いている。怖い。


「オーケイ。確かに、東雲さんには知る権利があると思う」


 芹は皿の端でくるくると麺を巻いて、ぱくぱくと口に運んだ。あっという間にパスタが消えていく。妹同様、見た目によらず健啖だ。

 ハンカチで口元を拭ってから、彼女は口を開いた。


「二年前の話よ。一果と私は吹奏楽部に入っていて、一果はトランペットの1stだった。ソロパートを吹く役ね。要は一番上手かった」


 頷く。1stの意味は知らなかったけれど、一果がソロパートを任されていたことは知っていた。なにせ一果は、なんだって軽やかにこなしてみせるのだ。


「六月くらいだったかな。はこべが入部してきた。私は木管だったけど、あの子は金管を選んだ。まあ、あんまりいい気分はしなかったわね。フルートなら教えてあげられたのに、って」


「……なんか意外」


「ん?」


「いや、なんというか、思ってたより仲が良さそうで」


 ショッピングモールで見せた、氷の刃みたいな攻撃性が嘘のようだ。てっきり、もっと険悪な関係を想定していた。

 私の言葉に、彼女はついとそっぽを向いた。


「別に普通でしょう。姉妹なんだから」


「姉妹だから仲が良い、なんて決まりは無いと思うけど」


「……話を戻しましょう。とにかく、あの子はトランペットを志望したの」


「それで、一果に懐いた」


「そう。彼女、後輩にモテるでしょう?」


 それはそう。私の姉は、昔から歳下に好かれるのだ。変なフェロモンでも出しているのかよ、というくらいに。


「気づいたら四六時中、一果の周りをウロウロしてたわ。衛星みたいに。それで、夏の終わりだったかしら。はこべが告白して交際が始まった。ただ、」


「ただ?」


「はたから見てても、バランスが悪かった。恋愛というより、ファンとアイドルみたいな感じ。あるいは、信者と教祖」


「そ、そこまで?」


「あるいはそれ以上ね。正直、妹があそこまで恋愛脳だとは思ってなかったわ」


 恋愛脳。

 確かにな、と思う。はこべは人生の比重を大きく色恋に傾けている。それも、終わった片想いにだ。そのために相応のコストやリスクを支払ってもいる。

 好きな女のために髪を藍色に染め抜く女だ。脳の中身を分析したら、さぞかし鮮やかなピンク色をしているに違いない。

 私はためらい、迷い、それでも結局、口を開いた。


「あのさ。あー、ええと。はこべって、昔からそっちなのかな」


「『そっち』って、何が」


「いや、わかるでしょ」


 芹は残っていたお冷を飲み干して、すっと目を細めた。心臓に氷を当てられたようだ。そういう顔をすると、この女は本当に怖い。見せ方ひとつで、美しさというものは、ある種の武器になり得るのだと思った。


「知る訳ないじゃない。妹の性的指向なんて」


「……そうなの?」


「あからさまなサインなんてなかったしね。まあでも、初恋だったんじゃないの。知らないけど」


 初恋。

 生まれて初めての恋。

 消化に失敗すると、生涯に渡る禍根を残すもの。


「それで、結局、はこべがフラれた……んだよ、ね?」


「そうね」


「どうして?」


「結局、重さが違いすぎたのよ。先輩後輩の延長線で考えてた一果と、あのメンヘラ予備軍とは」


「あぁ、うん、なるほどね……」


「冬まで持たなかったわ。それでまた一悶着あって、はこべは別れた後もずっと、一果に執着してた。でも、不健全でしょ」


「……まあ、痛々しい、とは思う」


「優しいのね。それとも私に気を遣ってる? とにかく、はこべに一果を忘れて欲しくて───それでね、私と一果が、付き合うふりをすることにしたの。ルームシェアもその一環」


 芹が、まじまじと私の顔を見た。


「思ったよりは、驚かないのね」


「……驚いてるけど。まあ、もしかしたらとは思ってた」


 だから芹に声を掛けたのだ。ショッピングモールでのこれみよがしなマウントは、「早く一果のことなんて忘れてしまえ」と言っているように聞こえた。

 直感は当たっていた。芹の言葉の背景にあったのは、恋敵へのアピールではなく、姉としての忠告だったわけだ。


「でも、それだけで一緒に暮らしちゃうんだね」


「妹の件がなくても、ルームシェアは誘うつもりだったのよ。親友だもの」


 気のせいだろうか。親友、という単語の発音に、舌が痺れるような酸味を感じた。

 モールでの一幕を思い出す。元カノの権利を主張するはこべに向けた彼女の苛立ちは、ひどく真に迫っていた。

 確かに一果と芹は、親友なのだろう。けれど、本当にそれだけなのか。恋敵として妹に嫌われてまで、妹のために嘘を吐く。そこに何か、姉妹愛以外の不純物が混じっていると思うのは、私の考えすぎだろうか。


「白頭さん」


「何?」


「一果のこと、好き?」


 苦味の強いコーヒーをブラックで飲み干したような顔で、芹が言った。


「好きよ。今は、友人として」


 芹が、手首の内側を見た。妹同様に骨の細いそこには、アクセサリみたいな腕時計が巻かれている。


「ごめんなさい、そろそろ時間だわ」


「あ、うん。今日はありがとう」


「どういたしまして。こちらこそ、はこべをよろしくね」


「よろしくするかは分からないけど」


「そうなの? てっきり、そのつもりがあるからこんな所まで来たのだと解釈してたわ」


「……いや、まあ」


 どうなのだろう。そういうつもりだったのだろうか、私は。

 分からない。自分の心がパロメータになって可視化されたらいいのに。ゲームのステータスコマンドみたいに。

 言葉を濁す私の肩を小突いて、芹は去って行った。鬼ごっこで、鬼に触られたみたいだな、と思った。

 何かの役目を引き継がされたような、そんな気がした。

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