第12話

「とりあえず、何か共通の趣味とか無いのかな?」


 藤堂が身を乗り出した。ふわりと波打つ髪が揺れて、桃に似た甘い匂いが鼻をくすぐる。

 趣味ね。はこべは何が好きなんだろう。

 星の数ほどあるサムネイルの中から、私を見つけ出したくらいだ。この手の配信はよく見るのかもしれない。

 それから、身だしなみに気を遣っていて、髪を染めるのが上手い。時間を潰すとき、スマホではなく文庫本を開くタイプ。音感がある。

 他には───他は?

 何も思いつかなかった。

 してみると、私は彼女についてほとんど何も知らない。姉がいることさえ、先日知ったばかりだ。

 一果と、私の双子の姉と付き合っているかもしれない、はこべの姉。

 意識して、余計な思考を頭から追い出す。今は、脇に置いておくべきことだった。好奇心に目を輝かせている藤堂に向けて、首を横に振る。


「趣味とかは、ちょっと分かんないな……」


「そっかぁ。それなら、水族館か映画がいいと思うよ」


 なぜならば、と藤堂が指を立てた。


「基本的にそこまで混んでないし、その場で共通の話題ができるからね。あとは女の子同士だし、ウインドウショッピングで充分じゃないかな」


「なるほど」


 含蓄がある。そして現実的だ。

 海浜美浜駅に隣接するショッピングモールには、ミニシアターが併設されている。駅からは少し離れるが、水族館だって行動圏内だ。

 その後の展開を考慮すれば、映画の方が無難だろうか。

 そう思って、ネットで上演予定を検索した。この夏話題のアニメ映画と、いかにもヒロインが死にそうな恋愛映画。マーベルヒーローの新作。それから、SNSで見かけたジャパニーズ・ホラー。古典名作のリバイバル。

 私の手元を覗き込んだ藤堂が、古老のような口振りで言った。


「極論、映画はなんでもいいんだよ」


 再び、ピンと人差し指を立てる。


「結局は話の種だからね。真剣に見て、感想を言葉にすることが大事。それが相互理解への第一歩だよ」


「それは、たとえサメが空を飛ぶような映画でも?」


「もちろん。たとえサメが空を飛ぶような映画でもだよ、次乃ちゃん」


  †


「みんなはさ、初デートの場所ってどこだった?」


 その日の二十一時、私は画面の向こうにいる二百人に向けて問いかけた。ぐわっと勢いをつけてコメントが加速する。


『池袋の水族館』


『映画。MadMax 怒りのデスロード』


『嘘だろ……』


『サイゼ行ってフラれました。もう二度と行きません』


『それは風評被害だって』


「サイゼ美味しいよね。アロスティーニについてくるスパイスがめっちゃウマい」


『あの粉は非合法。実はレジで買えるけど』


『脱法スパイス好き』


『風評被害再び』


『私は別にサイゼでもいいですよ』


「子供の頃、よく間違い探しやってたなぁ。マジで解けないの」


『わかるわ』


 私は流れていくコメントをスナック菓子みたいに摘みながら、有名レストランチェーンの思い出を語った。

 なるほど、藤堂の言うとおりだ。

 会話を盛り上げたいのなら、共通の話題を見つけなくてはいけない。私と二百人の視聴者は同じ体験で繋がっている。誰しも人生で一度くらいは、あの店でおっかなびっくりエスカルゴを食べたり、間違い探しに敗北を喫したりしていて、だから今、コミュニケーションが成立している。

 一方通行のトークが価値を持つこともある。配信者なんて、その最たるものだ。ただ、それは話芸であって会話ではない。私ははこべに面白トークを聞いて欲しいのではなく、会話をしたいのだ。

 会話をして、はこべのことを知りたい。

 そう思う理由は、自分でもよく分からないけれど。

 いずれにせよ、折角の休日だ。楽しく有意義な一日にしたいじゃないか。例えその時間に、どういう名前が付くにせよ。


 †


 海浜美浜駅の東口には、黄金色に輝くイルカ像が鎮座している。この街で生まれた、ある芸術家の作品だそうだ。そのときが来れば、この街は陸を離れ、最果ての海へと漕ぎ出すのかもしれない。

 だが今はその時ではない。差し当たり、イルカ像の主な役目は待ち合わせの目印だ。

 私が約束の十分前に到着すると、既にはこべが佇んでいた。

 彼女は目敏く私を見つけ、意地の悪い魔女のように目を細めた。


「五分前行動は、忘れたんじゃなかったでしたっけ?」


「思い出したの。朝、起きたときにね」


「へえぇ、そうなんですね」


 からかうように口元に当てた手の先で、磨かれた爪がつやつやと光を反射している。

 爪だけではない。服装も、なんというか、ちゃんとしていた。肩が露出するデザインのブラウスに、ハイウエストの巻きスカート。露わになった鎖骨が眩しい。

 悔しいけれど、認めざるを得ない。

 今日のはこべは、可愛らしかった。これまでで一番と言っても良いくらいに。


「───見惚れちゃいましたか?」


 後ろ手を組み、斜め下から覗き込んでくる。自分の顔がどの角度で一番映えるかを熟知している動きだ。手練れのあざとさだった。

 私はキャスケット帽で目元を隠して、「別に」と言った。

 はこべの唇が吊り上がる。悪い顔。


「じゃあ、行きましょうか」


 オーバーサイズのTシャツから伸びた私の腕に、彼女の細腕が絡みついた。皮膚と皮膚が擦れて、たちまちに熱を浴びる。


「ま、どこへ連れて行ってくれるか知りませんけど」


「……ほどほどに期待しといて」


「そうします」


 真っ白な光が射す構内を、恋人みたいに並んで歩く。

 彼女の膨らみが、二の腕に触れた。バニラの香りが鼻先をくすぐる。その甘さのせいで、足がふわふわと地面につかない。


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