第11話

 私には三人の友人がいる。

 その内の一人が藤堂灯里だ。私は常々、彼女のことを、天使か、あるいはその眷属だと思っている。その証に、ふわふわと波打つ茶髪に陽の光が反射して、天使の輪が出来ている。


「やぁーもぉー、あっついねぇ」


 レンガで舗装された海浜大キャンパスのメインストリートを歩きながら、藤堂は、「手加減しろー!」と太陽へ拳を突き上げた。やることなすこと、一々可愛らしい。

 藤堂灯里。

 ほどほどの背丈と曲線的な体つき、そして甘ったるい声をした彼女は、天辺から爪先まで砂糖菓子のような女の子だ。丁寧に髪を巻き、ガーリーなセットアップを着こなす様は、あたかも避暑地のお嬢様のようである。


「もぉーいーくつ寝ーるとー、」


 くるりとお嬢様が振り返った。アイドルのミュージックビデオじみた完璧なあざとさで、ふわりとフレアスカートが浮く。ふくらはぎの曲線が、ちらりと覗いた。


「夏季休暇! なわけですが」


「ああ、うん」


「次乃ちゃんは何するの?」


 大学生の夏休みは二ヶ月もの長期に及ぶ。宿題もない。有意義に過ごすか自堕落を極めるかは、自分次第だ。


「一応、やろうと思ってることはあるよ」


「有意義でいいね!」


 需要があるか分からない二十四時間耐久配信が有意義かどうかは、いささか意見が分かれそうだ。中身だって、まだ何も考えていない。無謀だが、大学生の夏には無謀が似合う、はずだ。そういう心意気を抱えて生きていきたい。


「藤堂は?」


「わたしはねー、らいかと旅行してー、らいかと海行ってー、らいかとグランピング行くー」


「君たち、ほんと仲良いね……」


「えへへぇ」


 大学生にもなって何が「えへへぇ」だ、と思わせないのが藤堂灯里だ。笑い上戸で褒め上手。ニコニコ笑っているだけで周囲を幸福にするタイプの女の子。


「おーい」


 そんな彼女が、何かに気づいて片手を上げた。

 視線を追うと、男女入り混じった数人の集団が歩いていた。皆、手にビニール袋をぶら下げている。生協帰りだろうか。

 その中の一人がこちらに気づいて、小さく手を振った。ショートカットの彼女が「らいか」だ。二ノ宮らいか。

 れっきとした女の子だ。カメラでも、星の海を行く犬でもない。


 彼ら彼女らは、私たちの前を横切るようにサークル棟へ向かっていった。

 キャンパスの端に佇むあの白い棟には、どこか苦手意識がある。切れかけた蛍光灯が照らす薄暗い廊下も、パイプ椅子が敷き詰められた無数の小部屋も、どこもかしこも濃厚な人間関係の気配がして、逃げ場がない。

 入学式の日、あらゆるサークルのビラを拒んでアパートへ引き篭もった記憶は今も鮮明だ。


「ありゃ昼から飲むつもりだな」


 すうっと藤堂の目が細くなる。彼女はハンドバッグからスマートフォンを取り出して、たぷたぷと何かを打ち込み始めた。


「どしたの」


「んー、ちょっと釘をね。らいか弱いから、無理に飲まされないように」


「過保護だ」


「あの子、酔うとボディタッチ増えるんだよ」


 危ないよねえ、と笑う。

 ふと気づいた。


「二ノ宮とお酒飲んだことあるの? あの子、まだ十九歳だったと思うけど」


「えっ、あっ」


 藤堂は、きゃるきゃると効果音がしそうなくらい長い睫毛を持ち上げて、大きな瞳で私を見上げた。すっと人差し指を唇に立てる。何それ可愛い天使か。


「今の、内緒ね」


 そして、言い訳のように補足した。


「私の二十歳の誕生日にさ。お互い盛り上がっちゃって」


 本当に仲が良い。聞けば十年来の幼馴染だそうだ。小学校から大学までニコイチというのは、幼馴染界でもSSR級だろう。百組の幼馴染のうちの0.5パーセント。そう考えると、もっと格が上かもしれない。


 第二学食に入り、食券を購入して列に並んだ。日替わりの鯖味噌をトレイに載せる。UR【幼馴染】藤堂灯里は、蒸し鶏が載ったサラダボウルとお握りを持ってきた。


「それで、相談ってなにさ」


「あー、うん、それはね、」


 私は、なめらかな口振りで考えてきたストーリーを語った。


「実はひょんなことから高校時代の後輩と一日通して遊ぶことになったんだけどそこまで仲が良いわけでもないしどこに行こうか悩んでるんだよねちなみにその子は女の子で」


「台詞考えてきた?」


「そんなことないよ」


「ふぅん」


 藤堂はざくざくと生野菜にフォークを突き刺して、むしゃむしゃと頬張る。ハムスターのようだ。


「次乃ちゃん、後輩とデートするんだ。いいなぁ」


「違います。デートではないです」


「なんで敬語……? まあ呼び方はどうでもいいけどさ、えー、なんかいいね、そういうの。慕ってくれてて可愛いじゃん」


「別に可愛くはないです」


「ええ……じゃあなんでOKしちゃったの、次乃ちゃん……」


「そこはほら、やむに已まれぬ事情があってね……」


 『友達いなくてヒマなんでどこか連れてってください。近場で』という雑絡みの模範例みたいなLINEが飛んできたのは、四日前のことだった。

 今更言うまでもないが、私は本質的にインドア人間だ。サークルにも入らず、バイトもせず、自宅で独りマイクに向かってしゃべるのが好きな二十歳だ。性根が暗いのだ。

 出かける。近場。近場ってどこまで?

 経験値の乏しい人間に向かって、曖昧な注文をしないでほしい。行先と集合時刻、ついでにランチの店まで決めてから誘ってくれ、と思った。思ったが、相手は高校生だった。

 『次乃さんのセンスに期待してます』というメッセージが完全に追い打ちだった。サイゼに連れて行ったら駄目だろうか。私はマトンの串焼きについてくる謎の粉末をバッファローウイングにつけて食べるのが好きなのだけれど。


「それで、一緒にプランを考えて欲しいと」


「そういうことです」


「いいよ」


 藤堂が、少年漫画の正統派ヒロインみたく笑う。あまりの頼もしさに思わず縋りつきたくなった。


「でも、後で感想教えてね」


「ありがとう、凄い助かる……!」


「でも意外だな。次乃ちゃんなら、デートくらい慣れてそうなのに」


「え、そう見える?」


「見える見える。美人さんだからね」


 嫌味のない言葉に、ときめきそうになってしまう。狙っているのだろうか。まさか。彼女に限ってそれはない。

 ただ、行き過ぎた美徳は魔性に通じるな、と思った。

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