13 運命を見つめて

 男女の友情は成立するか――俺には簡単な問いかけだ。男女の間にも当然友情は生まれる。ただ時にそれ以外の感情が同時に存在しえるという、それだけのシンプルな話だ。

「ああ、女の子が好きそうな話だね」

「美香さんは成立する派でした。あたしには物心つく前からずっと一緒だった男の子の幼馴染が二人いるって言って。お互い性別のことなんて関係なく接してきたって誇らしげでした」

「あいつはこっちが照れくさくなるくらい友達のことを褒めるからなあ」

 麻里子さんは躊躇うように少し黙ってから、一気に語り出した。

「でも他の部員は、『その二人、絶対美香さんのこと好きですよー』ってからかったんです。『ずっと気持ちを隠して友達としてそばにいるなんて、少女漫画の報われない男キャラみたいでかっこいい』とか言って盛り上がっちゃって。でもわたしは、みんながそうやってはやし立てるのがすごく嫌でした」

 勢いに気圧されながらも、俺は先を促した。

「どうして?」

「お二人の気持ちは、茶化していいようなものじゃないと思ったからです。美香さんのことをどう思ってたのか、会ったことのないわたしにはわかりっこないけど、もし本当に気持ちを押し殺して友情を大切にしていたんなら、それって何ていうか、普通に告白したりするよりずっと、本当に好きな気持ちが強いんだなって」

 赤面してしどろもどろになりながら、麻里子さんは言葉を紡いでいった。

「そんなに純粋に誰かのことを想えるのって、すごいなって。だから関係ないわたしたちが軽々しく、『本当は美香さんのことが好きなんじゃないか』なんて口に出しちゃいけないと思ったんです」

 なんて真面目な子なんだろうと感動したよ。会ったこともない男二人の心情をこんな真剣に考えてくれる人が世の中にどれだけいるだろう。

「でも、この前の式の日、勇助さんと初めて会って、答がわかった気がしました」

「答って?」

「勇助さんの気持ちです。美香さんを見る目で、わかっちゃいました。ごめんなさい、まだ会ったばかりなのにこんなぶしつけなことを言って」

 勘違いしてるよ、あいつは家族みたいなもんで……とごまかそうとは思わなかった。この期に及んでそれで納得させられるとも思えなかったし、何よりそうしたはぐらかしは不誠実に思えた。この後麻里子さんが何を言うつもりなのかを考えれば。

「いや、いいんだ。君の想像どおりだよ。あいつのことが、ずっと好きだった。ガキの頃からずっと……」

 思えば俺がそのことを認めたのは、孝太郎を抜かせば彼女だけだった。

「わたし、美香さんがうらやましいです。こんなふうに長い間、真剣に想われて」

「好きでもない相手に想われても重いだけかもしれないけど」

「そんなことないです。勇助さんみたいな人から好かれて嫌な女の人なんていませんよ」

 彼女はそう言うと目を伏せた。

「美香さんだって絶対に迷惑だなんて思わなかったはずです。だって美香さんがあんなに褒めてた男の人なんて、勇助さんだけでした。馬鹿正直で隠し事が下手で……これは美香さんが言ってたんですよ。そういうところを尊敬してるって。一番信頼できる友達だって」

「まあ隠し事はしてたわけだけどね」

 胸に何かが引っかかった。一周目の人生で、美香が言ってくれたことを思い出していた。卑怯なことを嫌い、正正堂堂とした俺のことを信じていると。

 俺はあの頃の俺とは随分変わったつもりだった。勉学に励み、身体を鍛えてきた。だが美香にとって大事なのは、親友が正直で信頼できる人間だという、その一点だったのだ。

 彼女が自分なんかの内面に確かな美点を見出してくれたことを嬉しく思った。俺が自分を何の取り柄もない人間だと思っていたときから変わらずに、俺に敬意を持ってくれていたことを。

「結婚式の日、わたし勇助さんにお会いできるのを本当に楽しみにしてたんです」

 そうとわかれば尚更、俺には美香の信頼を裏切るような真似はできなくなった。

「思ってたとおりの人でした」

 俺は彼女に対して誠実でいるために、彼女のことを諦めた。一緒になれたとしても、数年後に死に別れることがわかっていたから。

「まだ会ったばかりなのに、こんなのおかしいって思われるかもしれないけど、でもわたしずっと、あなたのことを知ってたような気がして……」

 彼女を深く傷つけるとわかっていて側にいることはできない。

「まだ二回しか会ってないけど、でも……」

 しかし、他の女なら傷つけてもいいのか?

「あなたのことが、好きになりました」

 麻里子さんははっきりそう言うと、まっすぐに俺の目を見つめてきた。

「その……まずは友達からでいいんで、考えてみてくれませんか? わたしと付き合うの」

 彼女の気持ちに応えられたら、きっと幸せな日々が送れるだろう。俺は彼女に惹かれ始めていたし、付き合えばもっと好きになっていくだろう。

 そして幸福な生活の中、俺は死を迎え、彼女を悲しませる。

 それは結局、美香の信頼を裏切る不誠実な行為ではないか?

 もちろん麻里子さんと付き合ってみたところで、俺が死ぬ日まで俺たちの交際が続くとは限らない。或いはその日が近づく前に別れるようにすれば、俺が死んだときの悲しみを和らげることもできるだろう。だが最初から別れることを前提に付き合うなんてそれこそ不誠実というものだ。

 これが例えば俺が不治の病に侵されていて、余命が短いのがはっきりしているといったようなシチュエーションなら、ずっと一緒にいられないことをお互いが承知した上で付き合ったり、もしかしたら結婚することだってできるかもしれない。そういう難病もののラブストーリー、映画の予告編なんかで見たことあるだろう?

 だが俺にはそんな役どころすら演じられない。数年後の決まった日に急に発作に襲われて死ぬのが確定してるんだ。そんな話をどうして信じられる? その後中学生に戻って人生をやり直すことになるんだ。実はこれがもう三周目なんだ。そこまで説明するつもりか?

 それに何より彼女は本当にいい人だった。美香が信じているような誠実な人間でありたいという動機を除いても、純粋に麻里子さんを悲しませたくなかった。

 そうなると選べる道は一つしかなかった。

「ごめん」

 俺は深々と頭を下げた。

「麻里子さんはすごい話しやすいし美人だし、とても魅力的だけど、今は誰とも付き合う気になれないんだ」

 四十年以上も生きていれば、こういうときもっと適切な断り方ができるものではないか。だが絶望的に不器用な俺の口から出てきたのはこんなどうしようもない言葉だった。

 彼女はしばらく俯いた後、水を一口飲んで呟いた。

「やっぱり美香さんのこと、忘れられないんですね」

 俺が忘れられないのは、自分が死ぬ運命にあるということだ。だが彼女の勘違いをあえて否定はしなかった。

「馬鹿な男だと思うだろうけど」

「はい、大馬鹿だと思います。でもわたしは、そういうところがいいなって思ったんです」

 そう言って彼女は明るい笑顔を見せた。胸が痛んだよ。気丈に振る舞う姿を見せられたからだけじゃない。何か美しくて貴いものを失ったり諦めたりするときは、いつもこんな痛みを伴うんだ。何度経験しても慣れることはない。

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