10 いざ決戦の日へ

 見たい映画があるから一緒にどうかという口実で誘う気だったのだが、そんなときに限って見たい映画が上映していない。カップル向けの軽いラブコメ邦画――こういうのが一つくらいは大抵の時期に上映しているものだ――を一瞬候補に入れたが、俺の映画の好みなら美香だってわかっている。これはどう考えても俺が見たがる映画ではなかったし、美香だって別に好きな類じゃない。

 結局ウインドーショッピングというやつに誘ってみることにした。服を買いに街まで行かないかと。

「何? 勇助もついにオシャレに目覚めた?」

「まあそんなとこかな」

 俺たちは基本的にいつも三人で会っていた。だが今日は二人きりで会わなくてはならない。俺は事前に孝太郎の予定が空いていない日を下調べしてから誘ったわけだが、そのことに若干の後ろめたさを感じないでもなかった。大学でも多忙な日々を送っていた美香が俺と孝太郎の二人と同時に会える機会はそうそうなかったからな。

 この一世一代の告白に成功したとして、俺たち三人の関係にどういう変化があるか――だがそれはもう散々考えたことだった。少なくとも俺は、俺と美香が恋人として付き合うことになっても、俺たち三人の友情には少しの傷もつくことはないと信じていた。

 さて、そうして当日俺たち二人は買い物に出かけたわけだが、思えば服を買うことをメインの目的にして俺たち三人が会うことは今までなかったことだ。俺と孝太郎、特に俺がファッションにまるで興味のない人間だとよくわかっていたからだろう。だがいざ美香の買い物に同行してみると、これがまあ長い。世の男性諸氏はこうやって女性の長い買い物に根気よく付き合っているわけで、恋人のいる日常というものは確かに疲れもするのだろうなと考えながら、空手をやる前の俺なら歩き疲れただろう距離を美香と連れ立って歩く。時折、凡庸なルックスの男と美女という組み合わせに向けられる露骨な好奇の視線に出くわす。だがもうそんなものに心を惑わされはしない。

 ようやく買い物を終えたときには、俺たち二人の両手は紙袋でふさがっていた。美香の提案で地元に割と近い洒落たカフェに入った。ムードのある店内に足を踏み入れた瞬間、ここが決戦の場所だと覚悟を決めた。

 ところが座って一息つくと、美香はいきなり俺の服装について厳しい小言を放ってきた。

「勇助さ、もっと定期的に服を買いに出かけた方がいいよ……服装が中学の頃からあまり変わってないじゃん。基本おばさんが買ってきた服着てない? おばさんのセンスがいいからコーディネートは悪くないけど、もっと冒険してみてもいいと思うけど」

 痛いところを突かれた。俺はこの三周目の青春を空手や何やらで自分を高めることに費やしてきたし、恋の勝負をかけるのは大学に入ってからと決めていたから、そこから徐々に垢抜けた服装を目指す予定だったのだ。しかし一朝一夕でお洒落男子になれるはずもなく、大学生活が始まった忙しさにかまけてついつい外見を磨くのを後回しにしてしまったのだ。まあ運動習慣で汗をかきまくったのと食事にかなり気を遣う高校生活だったせいか、肌は自分でも驚くほど綺麗になったが。それに何より――

「まあそこはほら、筋肉に勝るファッションはねえからさ。でも逞しくなった今の俺にはこの服は合わない?かもな。せっかくだからワイルドな男を目指してみるかな、なんて」

 フィジカルが強さに直結する度合いが大きいフルコン空手と比べると伝統派の空手の選手は筋肉質でないことが多いが、三年間必死に鍛えた身体は脱ぐとそれなりに様になる。それに空手の鍛錬は姿勢の改善にも繋がった。人間背筋を伸ばして堂々と歩くだけでも見てくれは多少良くなるものだ。

「なんちゅうプラス思考。しかし男子ってやたら筋肉を見せびらかしたがるよね。女子は胸の大きさを大っぴらに自慢したりしないのに」

「そりゃ筋肉は努力で作るから」

 そこから話は美香が先日出席した中学一年のときのクラスの同窓会の話になった。一年のときは俺たちのクラスは別だったから、もちろん俺は出席していない。

 その席で俺の話題が出たらしい。何でも出席した女子の一人が、地元で偶然ランニング中の俺を見かけたらしい。美香から俺が空手をやっていた話を聞くと、全員が一様に驚いていたそうだ。

「全然そんなふうに見えなかったってさ。まあ元々武道なんてやりそうな見た目じゃなかったしね。でもその場で一人、勇助のこと当時からかっこいいと思ってたって子がいたのよ」

「えー、マジかよ?」

「うんうん。ほら、昔球技大会のときさ、上手くできなくて野次飛ばされてる男子をかばったことあったじゃない」

 奇しくも一周目の人生で美香に語られた一件がまた話題に上った。もしかしたらあのときの美香も、数年前の同窓会で一度思い出していた話だったからこそ細部まで鮮明に話せたのかもしれない。

「あれをたまたま見てて、勇助君ちょっといいな、って思ったらしいよ」

「へえ。まあわかる人には俺の魅力がわかるってことだな」

 軽口を叩いてはみたが、俺は精神的に全く余裕がない状態だった。その話で動揺したわけではない。恋愛に関する話題が自然に出た以上、ここから話の舵を切って告白まで持っていくべきと考えたからだ。目の前のアイスコーヒーのグラスの結露に負けないくらい、俺の掌からは汗が滲み出ていた。

「勇助は大学で、そういう浮いた話とかないわけ」

「いや、俺は特にそういうのは……」

「サークルとか入ればいいのに」

「いや、空手部は見学したんだけどはっきり言ってお遊びのレベルだったし、それに最近別の武道も初めてみたんだよな。だからそんな時間はなさそうだ」

「えっ、空手以外にも何かやるの? 柔道とか?」

「いや、剣道を」

「へえ、剣道といえば、この前コンパで知り合った先輩が剣道の実力者だって話だったなあ」

「そりゃ奇遇だなあ」

 何食わぬ顔でとぼけた。ループしていると知らないふりをするのが嫌でも上手くなる。

「大学生ならサークル入らなくたって、いくらでも出会いはありそうだけど」

「いや、そうでもねえよ。別に気になる女子もいねえし」

 気になっていたのはお前だけだ! という叫びを飲み込む。まだ早い。このタイミングは唐突すぎる。

「大体、勇助はどんな女の子がいいわけ?」

「えー、いやー、やっぱり優しくて明るくて、まあかわいい子がいいかなあ」

「何その無意味極まる回答。小学生に訊いてももう少し実のある答が返ってくるよ」

「そう言う美香はどうなんだよ」

 極めて自然な返しだったが、ほんのわずかの答を待つ時間、俺の心臓は早鐘を打っていた。少しでも俺に当てはまる特徴が上がったら、それに背中を押してもらう気持ちで告白するべきか? いつまでもタイミングをうかがっているわけにはいかない。空手の組手と同じだ。後の先を取ろうと待ちの姿勢を取っていても、相手が動かなければ膠着するばかりだ。そんなときは自分から飛び込まねば。

「あたし? そうだねー……あたしがおばあちゃんになっても、ずっといっしょにいて、楽しく暮らせる人がいいかな」

「人のこと言えないくらい漠然としてるな」

「でも結局それが一番大事じゃない? 短期間だけ燃え上がって、すぐに破局するカップルなんかもいて、そういうのも当人たちはいい経験だって感じるのかもしれないけど、あたしは将来に続かない関係ならほしくないなあ。長い時間お互いを理解するために費やしても最後には別れちゃうなんて、もったいないと思わない?」

「まあ男にはそういう、刹那的な今だけの関係ってのを望んでる奴もいっぱいいるけどな」

「そうだろうねえ。まあ意識的じゃなくてもさ、例えばあたしくらいの美人になると、顔だけ見て寄ってくる男子がいっぱいいるでしょ。それで中には、顔が好きなだけなのに、真剣に愛してるって勘違いしちゃうような困った人もいるのよ。仮にそんな人と結婚なんてしちゃったら、しばらくは問題ないかもしれないけど、そういう人は結局あたしが好きなわけじゃなくて美女と付き合いたいだけだから、将来あたしが若くなくなったら、別の若い美人に目移りするんじゃないかなあ。それで平気で、他に好きな人ができたなんて思っちゃうんじゃないかな。そんなの本当の愛じゃないのにね」

「まあ至極真っ当な考えだな。というか普通すぎてつまらん!」

「こんな質問の回答におもしろさを求めないでよ」

 俺が茶化すと彼女は抗議したが、目は笑っていた。だが冗談を言い合いながらも、俺は内心ひどく動揺していた。大事なことを失念していたからだ。いや、無意識に考えないようにしていたのかもしれない。

 もしこの恋が成就してもループが終わらなかったとしたら?

 忌まわしきループが愛を得ることで終止符を打たれるという仮説は、溺れる者がすがるにしてもあまりに頼りない希望だ。姫の愛が王子の呪いを解くおとぎ話でもあるまいし、現実的に考えればこの超常の現象が人間関係の変化などで常態に復するわけがない。

 俺は逃れようもなく、数年後に死ぬことが定められた人間なのだ。

 美香と愛し合えるようになっても、俺は近い将来彼女を残して逝くことになる。

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