5 ゼロから始める南国生活

 フィリピンでの仕事は、予想したとおり最初の三週間が鬼門だった。

 二か月程度のランニングでたいした持久力がつくはずもない。おまけに俺の筋力は成人男性として平均以下。現地での作業ははっきり言ってきつかった。テントを張ったり、レンガを積んだり、トラックで運んできた物資を降ろしたりと総じて体力を使う仕事ばかりだ。参加者には若い女性も数人いたが、力仕事で彼女らとそう変わらない働きしかできなかったときはほとほと情けなくなった。

 しかし世間一般の尺度から見れば、決して過酷な肉体労働というほどのものでもない(ネット上では時折、土木作業員等を「土方」という差別用語を使って揶揄しているのを見かけるが、彼らがどれだけ大変な仕事をしているかわかった上で馬鹿にしているのだとしたら厚顔無恥も甚だしい)。慣れるまでそう時間はかからなかった。

 余裕ができると病院にやってくる患者と言葉を交わすことも多くなった。ある程度の英語さえ話せれば現地の人と仲良くなるのは簡単だった。フィリピンの人と共通の話題なんてマニー・パッキャオとノニト・ドネア(フィリピン人の伝説的ボクサー)くらいしかないと思っていたが、陽気で人懐っこい彼らは俺のたどたどしい英語にもめげずによく話しかけてくれたから、自然とこちらも色々なことを話すようになった。人と長く話す機会が極端に減っていたフリーター時代に口から出た日本語の単語全ての数よりも、あっちで話した英単語の数の方が多いかもしれないと思えるくらいだ。

 学んだ英会話が通じないことも多々あったが、大抵はジェスチャー等で意思の疎通はできた。大学の心理学の講義で習った、非言語ノンバーバルコミュニケーションが言葉の内容そのものよりも相手に与える印象に強く影響するって話を思い出したよ。

 俺たちが寝泊まりする場所は病院のすぐ近くで、都市部からは離れていたせいか、心配したとおり虫には悩まされた。熱帯サイズのゴキブリが部屋に出没するのは日常茶飯事だった。蟻くらいなら気にしないし、は虫類は苦手ではないからヤモリがいても少し驚くだけで済む。だがベッドにサソリが乗っていた日に安眠はできない。野外は言うに及ばず虫の天国だ。森に入らなくても、気味の悪い虫に出くわさずにはすまない。なるべくそういったものを見ずに済むように、地面や草むらを注視しないように心掛けてはいたが、どうしたって目に入ってしまうことはあった。一度など巨大なムカデに驚いて悲鳴を上げながら飛びのいてしまい、現地の人たちに大いに笑われた。そういえば夜に散歩していたらコウモリが飛んできて顔にぶつかりそうになったこともあった。

 虫以外にもうんざりすることはあった。英語と身振り手振りを使ったやり取りに慣れると、週に一度の休みに市街まで出かけるようになったのだが、まあ金に汚い人間の多さには辟易とさせられる。貧しいから仕方ない面もあるだろうが、タクシーも飲食店も、日本人と見るとまず正規の料金の倍はふっかけてくる。

 他にも色々と逸話はあるが、このくらいにしておこう。この手記は「フリーターのフィリピン奮闘記」ではない。ただこれだけは言っておかなければいけない。散々なことを書いてきたが、俺はあの国に行ってよかったと心の底から思っている。よくこうした滞在の体験談で聞くような、人生観が劇的に変わるようなことこそなかったものの、あそこで過ごした五か月間は、大学を卒業してからの灰色の二年間とは比べ物にならないほど生きているという実感を与えてくれた。異国で知己と離れ、便利な生活を手放してみて、初めてそれらの本当の大切さを知る。陳腐な話だが、自分がいかに恵まれた環境にいたか思い知った。両親と、美香と、孝太郎と、みんなに感謝の気持ちが湧いたよ。


 さて、お前の我慢もそろそろ限界だろう。一ページ目から膨れ上がった違和感はすぐに不安に変わり、おそらく今にもこの駄文を放り捨てて妄想に取り憑かれた親友をどうにかして病院に連れて行かなければと焦っている頃だろう。

 無理もない。お前がこれを読んでいるのは、美香の結婚式を終えて間もない頃だろうが、冒頭で俺が美香の家を訪ねたのは式からしばらく経ってからのことだ。手記と言いながら未来のことが書かれている。そもそもこの手記に書かれた俺と、お前が知っている俺の歩んできた人生はまるで一致しない。常識的に考えればこんな手記は妄想以外の何ものでもありえない。

 お前の知る俺は、スポーツに打ち込んだことがないどころか剣道で全国大会に出ているし、就職先を間違えるどころか就職活動をしていなかった。海外へは学生時代に旅行で訪れたことがあるが、行き先はタイとカンボジアでフィリピンではない。そしてその時点で十分英語が話せた。

 お前に関しても相違点がある。今の勤め先は土日が休みのはずで、平日に美香の家へ行く約束を取り付ける必要もない。

 これら全てを説明するには、フィリピンで過ごした最後の日について語る必要がある。

 その日は仕事が休みだった。市街には夜に繰り出すつもりだったから、昼は患者の子供と遊んでやろうと思い、中庭に出た。適当にその辺に立っていれば、遊びたがって子供たちの方から近づいてくる。半年近く滞在していたから、診療にやってくる人たちのほとんどは顔見知りだった。女にはモテない俺だったが子供には割となつかれるので、その日も診療を終えたある少年が俺の方に駈けてきた。

 頭が急に重くなったように感じたのはそのときだ。

 眩暈を感じてよろけた直後、激痛が頭を貫いた。後頭部を鈍器で殴られ続けているような、今までの人生で到底味わったことのない痛みだった。最初の一発目で立っていることができずに崩れるように倒れこんだ。続く苦痛に転げ回りながら、言葉にならない呻き声を絞り続けた。後頭部というよりも頭蓋の中から津波が押し寄せるように痛みが襲ってきた。

 周りに人だかりが出来、誰かが医師を呼びに走っていくのが見えた。痛みは相変わらず和らぐことなく続いていたが、少しだけ冷静さを取り戻していた俺は原因を思い浮かべた。本当に誰かに殴られて、もしかしたら今も殴られ続けているのか、銃弾でも頭に飛んできたか、若くして脳腫瘍が出来ていたか、寄生虫か何かに感染したか。

 一際強い苦痛の波が襲ってきた。そのとき視界が赤に染まった。子供向け雑誌の付録に付いているようなちゃちな3Dメガネの赤セロファン越しに世界を見ているようだった。その赤が緑に変わったとき、いよいよ混乱は頂点に達した。何がどうなっている。一体俺の脳に、眼球に、身体に何が起こっているのか。叫び出しそうになったとき視界は青に染まった。

 そしてそれが一面の黒、あらゆる色彩が消え、光がこぼれる隙間のない完全な暗黒になった瞬間、全ての苦痛が消え、同時に五感が消滅し、思考も霧散して意識がかき消えた。




 間を置かずに――少なくとも主観の上では直後に――目を覚ました俺がまず認識したのは壁にかかった緑色の大きな板――黒板だった。白いチョークで何か縦書きされている。それを見ているのは俺一人ではない。十数人の子供が同じようにそちらを向いている。いや、違う。机に目を落としている。机? そう、俺も含めた全員が椅子に座り、その前には机があり、ノートや見覚えのある教科書が広げられている。

 耳に飛び込んでくる声は、黒板の前に立つ男が発していた。手に持った本を朗読しているらしい。すぐに男が俺の中学三年生の頃に授業を受け持っていた国語教師だと気付いた。同時に、自分の視界に広がる子供たちの後頭部や横顔が、当時のクラスメイトのものだと気付いた。

 状況をよく考えるより先に、反射的に後ろを振り向いた。

 顔を上げた彼女と――美香と目が合った。不思議そうに眉根を上げた美香は昔の、バレーボールに打ち込んでいた頃のショートカットをしていた。

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