第三章「穿山甲」⑬
魚月は石蔵の中の座敷から、天窓の向こうにある暗い空を見上げていた。
月も、星も見えない。
なんだか、嫌な感じがする。
無意識に、自分の太もものあたりをさすっていた。『月鱗』を剥がしたばかりで、そこに痛痒い感覚が残っていたからだ。
そこに触れて、魚月はぎょっとした。
つるん、とした表面が指に触れた。もう、新しい鱗が生えてきていたのだ。
ここ数日、魚月には予感めいた不安があった。自分の中で何かが大きく変わろうとしている。正体のわからない衝動が、身体の奥の方から突き上げてくる。
「兄様……」
自分の肩を抱きしめるようにして、魚月は秋人の事を呼んだ。
怖い。そばにいて欲しい。
だって、私には兄様しかいないんだから。
友達も、恋人も、他の家族もいない。この先もずっと、兄様だけが私と共にある。
その時、強烈な稲光が走った。
天窓の向こうが激しく光り、地鳴りのような轟音が石蔵の中に鳴り響いた。
魚月は耳を抑えて布団に潜り込んだ。兄様はこんな時に何をしているんだ。雷が鳴る時には側にいて、っていつも言っているのに。
外に、強い雨が降り出したのがわかった。
また雷が鳴るかもしれない。
はやく来てくれないかな。
そう思った時。
ガチャリ、と扉が開く音がした。
魚月は、布団の中から顔を出した。
秋人が来たと思ったのだ。
けれど、何かがおかしかった。
秋人はいつも二度、ノックする。そして、なるべく小さく扉を開く。『月鱗』の影響が周囲に及ぶのを恐れてのことだ。
目の前の扉はノックもなしに広く開け放たれていた。外からゴウゴウと雨風が吹き込んでいる。そこに立つ人影があった。
背格好は秋人と似ていたが、明らかに何かが違う。魚月は気付いた。それは匂いだ。
その人影には、別の誰かの匂いが染み付いている。常人には似たような香りに感じるかもしれない。けれど、他ならぬ魚月だけにはそれがわかる。
自分とは異なる『月鱗』の香り。
知らない女の匂いだ。
石蔵の外で、また稲光が轟いた。
まぶしい光に照らされて、そこに立つ人間の顔が魚月にもわかった。
男だ。笑みを浮かべている。赤い亀裂が走ったように歪んだ口角が見えた。
見開かれた眼球が、ぐりんと動く。
その口から、ダラリと舌が垂れ下がった。
魚月は、その男の顔に見覚えがあった。
小さい頃に見かけたことがある。お屋敷の中から、魚月のことを眺めていた人物だ。竜堂家の嫡男で、戸籍上は魚月の兄にあたる。
その男の名は、竜堂不由彦といった。
不由彦は、石蔵の中を進み、靴を履いたまま土間から座敷に踏み込んだ。
魚月の頭上に、笑う不由彦の影が落ちた。
その腕が、魚月の着物に触れた。
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