第三章「穿山甲」③

 何度見ても、この屋敷は大きい。

 見上げるほどの高い塀に、それに見合う巨大な門がついている。

 古めかしい門についたインターホンを押すと、屋敷の内部と音声が繋がり、使用人らしき人物が電話口で対応した。

 名を名乗り、しばらく待つと門の内側から和装の女性が現れた。年頃は三十くらいだろうか。

「藍那様ですね、ようこそいらっしゃいました。こちらへどうぞ」

 使用人の女性は、うやうやしく頭を下げて藍那を出迎えた。

「お荷物はこちらでお運び致しますか?」

 疲れているところにありがたい申し出だったが、藍那は丁重に断った。ザックの中身は希少な珍品ばかりだ。なるべく他人には触ってもらいたくない。

 案内の後を付いて藍那は敷地の中を歩く。

 手入れがよく行き届いた庭だった。庭師が手入れしている様子も見える。植木の枝は切り揃えられており、池の水にも濁りがない。

 内側から見ると、この敷地の広さを実感する。母家の他にいくつかの離れがあり、それとは別に立派な石蔵まであった。

 離れから石蔵の方へと歩いて行く人影がある。若い男性のようだ。両手でお盆を持ち、食事を運んでいるようである。

「藍那様、どうぞこちらへ」

 興味本位で周りを見回していると、案内人から声をかけられた。あまりジロジロと見るな、と言う事だろうか。

 意向をなんとなく察した藍那は、大人しく離れの建物へと案内された。

 通されたのは、来客が滞在する為の部屋だった。以前にも何度か宿泊したことがある。

「当主の準備が整いましたら呼びに伺いますので、どうぞこちらでお寛ぎください。湯殿も用意していますので、よろしければご自由にお召しくださいませ」

 丁寧に三つ指をついてお辞儀をすると、和装の女性はどこかへ去っていった。

 一人になった藍那は背中からザックを降ろし、一息をついた。お迎えが丁寧なのは良いが、あれが続くとなると、どうも疲れる。

 長い距離を歩いてきて、体は汗だくだった。風呂の用意をしてもらえたのは有り難い。

 客室に用意されていた手拭いを首にかけ、藍那は部屋を出た。勝手知ったる他人の家、というやつだ。来客用の風呂の位置も、なんとなく覚えている。確か隣の離れにあったはずだ。

 鼻歌交じりに渡り廊下を歩いていると、中庭の方で人影が動くのが見えた。

 母家と離れに囲まれた中庭に井戸がある。その横に男がしゃがみ込んでいた。

 桶に水を溜め、何かを洗っているようだ。桶の水が、赤く染まっている。

「君、何してるのぉ?」

 藍那は声をかけてみた。

 男は振り返り、立ち上がった。

 年若い青年だった。長身だが、薄っぺらい身体をしている。白いシャツと黒いスラックスを着ているせいか学生のようにも見えた。

 その瞳はおそらく藍那の姿を捉えたはずだったが、それらしい反応はなかった。

「ねぇ、聞こえてる?」

 重ねて声をかけてみる。

 すると、青年はゆっくりと頭を下げて会釈をした。サラリとした前髪が額にかかる。何か言葉を口にするでもなく、水の入った桶を持ったまま立ち去ってしまった。

「……変わった子だなぁ」

 廊下の真ん中で、藍那はポツリと呟いた。

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