第8話 公園


 一晩寝てすっかり元気になった弥勒。昨日は異世界から帰ってきたり、天使と戦ったり、買い物を忘れて母親に冷たい目で見られたりと濃い一日だった。ちなみに久々に地球のベッドで寝れて弥勒は感無量の様子だった。


 そんな彼は今、公園にジャージを着て立っていた。休みの日の朝7時という時間にも関わらず。


 これはもちろん身体を鍛えるためだ。弥勒はまず体力をつけるためにランニングをするつもりだった。何をするにしてもスタミナは重要だ。戦闘中に息が上がってしまえば、それだけで付け入られる隙ができてしまう。


 昨日の天使との戦闘により、自身の身体能力の低下をより強く感じたからというのもある。あの程度の天使であれば弥勒の敵ではないが、ベストの状態で戦えないというのは思ったよりもストレスだったのだ。


 手慣れた様子で身体をほぐしてから最初はゆっくりと走り始める。まずは肺が運動状態に切り替わるまで無理にペースを上げずに走るのがコツだ。そこから徐々にペースを上げていく。


 身体能力こそリセットされているものの身体の動かし方や感覚については残っているため思ったよりも負担が少なく走れている。これはゲームの主人公である夜島弥勒のもともとのスペックが高いというのもあるのだろうが。


 そこから一時間くらいだろうか。ランニングを続けていく。季節的にまだ朝一の時間だと肌がひんやりとしたが走っていくと、それが心地よく感じてくる。呼吸を意識しながら公園の中を淡々と周回する。1周が1.5kmほどのルートを7周していく。


 合計で10kmくらい走ってから最後はウォークへと切り替えてクールダウンする。こちら側に帰ってきてから初の本格的な運動だったが、想定よりも走れている印象だった。


 クールダウンを終えてから近くの縁石に腰を掛けて、公園に向かう途中で買った水を口に含む。スポーツドリンクの甘さが弥勒は好きではないため水にしたのだ。そしてタオルで汗をぬぐっていると不意に横から声を掛けられた。


「お兄さん、速いですね! あまりここら辺では見かけないですけど、もしかして最近引っ越してきたとかですか⁉」


 急に話しかけてきた人物に驚く弥勒。声がかけられた方に顔を向けるとそこには可愛らしい少女がいた。やや青みがかった黒髪をショートにしており、その大きな瞳は好奇心に揺れている。


「い、いや今日から身体を鍛えようと思って……」


「えっ、今日からなんですか⁉ すごい走り慣れてる感じでしたよ!」


 弥勒の発言にさらに瞳をキラキラさせる少女。心なしか距離が少し近くなった気がする。少女も弥勒と違ってきちんとしたスポーツウェアを着ている。水色のウェアに足元には白いランニングシューズを履いている。普段から走り込みをしているのか結構すり減っている印象だ。


 身長は150cmを超えたくらいで同世代の中では小柄な方だろう。汗を掻いており、息も乱れている。彼女も弥勒と同じくついさっきまで走っていたのだろう。


「昔、少し運動していたからその名残かもしれないです」


「なるほど~、昔取った絹柄ってやつですね!」


「それを言うなら昔取った杵柄ですよ」


 彼女の間違いに思わずクスリとしてしまう弥勒。彼女も間違いに気づいて少し恥ずかしそうにしている。


「あっ、申し遅れました。あたし巴アオイって言います! 来月から大町田高に通うピチピチの女子高生です!」


 普通に自己紹介どころか通う学校名まで教えてきた少女、巴アオイ。あまりにも無防備なその姿に思わず心配してしまいそうになる。


「夜島弥勒です。俺も今年から大町田高に通う予定です。よろしくお願いします、巴さん」


 とはいえ名乗られたならば無視する訳にもいかない。そう思ってとりあえず無難に名乗りを返す弥勒。


「おぉ、同い年なんですね! てっきり年上かと。しかも学校まで同じだなんて……まさか運命?」


「んなわけあるかい!」


「ナイスツッコミです! なかなかやりますね、夜島さん」


 なぜかフフンとドヤ顔をしているアオイ。ここまでの流れから彼女が人懐っこく、ノリが良いというのがうかがえる。ただきちんと敬語を使っていることから礼儀はあるのだろう。弥勒は汗が引いてきたのを感じもう一口、水を口に含んでから彼女に話しかける。


「えーと、それで巴さんは何の用で話しかけてきたんですか?」


「日課のランニングにライバルが現れたので情報収集です!」


 ビシッとこちらを指さしてくるアオイ。恐らく普段から彼女はこの公園でランニングをしているのだろう。そこへ急に同年代の少年が現れて、なかなか良いスピードで走っているのを見つけた。そこで気になって声を掛けてきたのだろう。


「ちなみにあたしは陸上部に入部予定です。もちろん長距離で! 夜島さんは?」


「俺は帰宅部かな」


「ええー、勿体ないです! 一緒に陸上部に入りましょうよ!」


 陸上部に勧誘してくるアオイ。話しぶりからして中学でも陸上部だったのだろう。走ることへの情熱に溢れている。目がメラメラと燃えている。拳を強く握って、気合が入っている。


「遠慮しときます」


 弥勒がそう答えると大きく項垂れるアオイ。感情の起伏が激しいタイプだ。表情もコロコロと変わり見ている分には面白い。どちらかというと珍獣的な面白さだが。


「ならここでの朝練は続けますか?」


「春休み中はね。学校が始まったら分からないけど」


 弥勒の発言に再び目が燃え始めるアオイ。


「なら春休み中は一緒に走りませんか?」


 その言葉に動揺する弥勒。普通の男子学生なら、可愛い女の子にそう誘われたら多少無理してでもオッケーするだろう。しかし弥勒には彼女の提案を即答できない理由があった。


 それは彼女が『やみやみマジカル★ガールズ』に登場する人物だからだ。しかもただの端役ではない。ヒロインの一人、つまりは魔法少女ということだ。もし下手に仲良くなってしまえば正体がバレる可能性もあるし、ヤンデレに巻き込まれる可能性もある。


「ダメですか……?」


 弥勒の沈黙を拒絶と受け取ったのか、悲しそうな表情をするアオイ。その顔を見て心が揺れる弥勒。可能性を考えれば彼女に付き合うのは得策ではない。しかし今の彼女は魔法少女でもヤンデレでもない。ただの陸上大好き少女というだけだ。


 そんな彼女からの真剣な誘いをまだ到来していない未来を恐れて断るのか。それは正しいといえるのか。


「まぁ俺でよかったら」


 結局はそう答えてしまう弥勒。なんだか下手くそな告白の返事みたいな答え方だったが、アオイは飛び跳ねて喜ぶ。


「やったー! ならあたしのことはアオイって呼んでください! 敬語もなしで大丈夫です!」


「なら俺も弥勒で良いよ。もちろん敬語もなしで」


 アオイの喜びように思わずほっこりする弥勒。正直、これからどうなるか不安だったが最悪、原作主人公に押し付けるしかないと考える。合わせて自身の正体も絶対にバレないように注意しなければならないと誓う。


「よろしく、弥勒くん! それじゃああたしはこれからママと買い物行くからまた明日ね!」


 そのままアオイは飛び跳ねて去って行ってしまった。弥勒が挨拶する間もなく。まるで台風の様な出来事にアオイが去っていった方向をなんとなく見つめてしまう。しばらくしてふと我に返る弥勒。


「まさかの二人目のヒロインと遭遇か。もしかして俺、呪われてるとか……」


 帰還二日目にして二人目のヒロインに遭遇。このペースでいくと原作前にヒロイン全員と知り合ってしまうかもしれない。


「(いや、昨日のは素の状態で知り合った訳じゃないからノーカンだ)」


 と謎の理論で心の武装をする弥勒。うすうす色んな角度から原作に巻き込まれていることに気づいているが、見ていないふりをする。


「(いっそのこと春休み中は自分の部屋に引きこもってるか?)」


 そんな馬鹿なことを本気で考える弥勒。残っていた水を飲み干し、縁石から立ち上がる。ペットボトルを片手で握りつぶして公園の片隅にあるゴミ箱に捨てる。そのまま公園を出て家へと帰る。


 運動したからかお腹が減っている。シャワーで汗を流してから、朝ご飯を食べようと考える。食べ物のことを考えると少しだけ憂鬱な気持ちが軽くなるような気がした弥勒であった。

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