4・移動すなわち輜重ロジ

「東へ行こう」

マルコ・ポーロのように東熱をこじらせていたわしら夫婦は、早速その方面を取り扱っている旅行社を調べ、かたっぱしからそのパンフレットを希望する旨の電話をかけた。


昔だったら『日ソツーリスト』という会社、おそらく一択だったろう。

まだソビエトが厳然として存在した1970~1980年代、「今日のソ連邦」という雑誌が存在した。発行は「駐日ソビエト社会主義共和国連邦大使館広報部」


これまたパワーワードきたよ


駐日ソビエト社会主義共和国連邦大使館広報部 である。出版は「新時代社」東京にあるというだけで他の情報は目にしないが、飯倉交差点のクレムリンことソビエト大使館の関係会社だったのではあるまいか。

旦那が子供の頃から渋谷に来るたび家族で食事していたという(おおブルジョワジーよ) 東急プラザに店を構えるロシア料理店「ロゴスキー」で、レジ近くに置いてあったらしい。

1958年(昭和33年)よりひと月2回と言うハイペースで発行されていたが、1991年、ソビエト連邦の崩壊に伴い静かに廃刊の事態に相成った。

旦那がその『今日のソ連邦』誌の広告で『日ソツーリスト」社の旅行広告を観たというのである。

さすがブルジョワジーの子息の記憶力である。ピロシキやボルシチを堪能しつつ、今日のソ連邦を読み、東側についての見識を高めようと思っていたのか。


なにかにスカウトされる事態にならなくてよかったね。

いやマジで。


「ソビエト」という、政治形態が国の名前もどきになっていた国家は解体したが、日ソツーリストさんは名前を変えて生きていらした。

『ロシア旅行専門社・ユーラスツアーズ』として。すごい。たくましい。

ちなみにこちら、いにしえはソビエト唯一の国営旅行社『インツーリスト』提携だった気がする。

ガチ度が違うのである。

どれだけガチかと言うと、2022年9月15日現在、ホームページトツプのおすすめツアーに


『ウズベキスタン・日本人抑留者の足跡を訪ねる旅 9日間』という、抑留された日本人が埋葬された墓地を訪ねる旅が載っているレベルである。

タシケントにブハラ。教科書にも載っているであろう美しい中央アジアの古都に行きながら、主たる目的が抑留者についての知見を高める事なのである。

なんというインターナショナル。

いや褒めてますんで、マジで。


というわけで、一つはこちら「株式会社ユーラストリベル」さんの『ユーラスツアーズ』に決まった。


事案を決めるに相見積りをとるのは常識である。コンペである。


というわけで他社のツアーも探した。

当時新聞にたまに載っていた旅行社の広告から、


「ユーラシア旅行社」


が我々の目を引いた。

極地でオーロラを見たり、クジラを観に行ったり、アフリカのサバンナに行ったり、中央アジアを1カ月近く周遊したりと、とにかくこちらの想像の斜め上を行くツアー内容。そしてフンスと鼻息の荒い強気な値段。

今でこそ色々と騒動が起こっているらしいが、当時はネット情報もないし、そうしたトラブル案件は一般利用者の耳には入って来にくい。

週末を利用して半蔵門にあるオフィスに話を聞きに行った。

「新婚旅行なのですが」というと、ベテランらしき係りの方は眉をビクンと吊り上げた。

分かるよ。新婚旅行で御社のツアーを利用したいなんて、余程のマニア、かつ金銭に余裕がある組だろうから。

そう。ここは『安心と安全は金で買う』方針らしく、ホテルも移動の飛行機も高いランクのものだというのがうたい文句だった。

今でもネットのホムペを見ると、長く続く不況にもかかわらず大変に高価だ。

主たるターゲットは世界各地に行き尽くし、メジャーな観光地に飽きた熟年層らしい。


オヨビデナイ感が半端ねえぜ。アウェーもアウェー。超外様。


しかし行先は魅力的だ。

当時すでにきな臭くなっていたにもかかわらず「バルカン半島周遊20日間」やら「旧ソビエトの知られざる都市を巡る」やら。

前者は後に激戦地となるボスニア・ヘルツェゴビナやマケドニアの都市にしっかり滞在と載っていたし、後者はプーチン政権下では反対に行けないんじゃないか、グラチノスキの今だからこそなのではないかと言う都市名(幽霊都市ね)が並んでいた。


とってもとっても惹かれた。

お東オタなら分かってくれるよねこの気持ち。

でもなあ、予算がなあ。50万以上は無理だわなあ。


ともあれ二社目のパンフを手に入れた。

ユーラシア旅行社様からは、そののち数年にわたり、律儀に新たなツアーのパンフをご郵送いただいた。

行きたかったぜアマゾンの奥地、マチュピチュの遺跡、イースター島にガラパゴス諸島、シベリアの極寒のラーゲリ(強制収容所)都市に、アフリカの野生動物保護区内のバンガロー。


そして当時メジャーどころだった「JТB」(旧日本交通公社の営利部門)さんの『ルック』、

お手軽な値段と下町に泊めてくれるからかえって面白いと評判だった、「新日本トラベル」さんの『バカンスツアー』(銀座に営業所があったので二人で出かけた)

後に新聞広告の乱れ打ちと、お得感あふれるバカンスツアーをも上回るお手頃価格ツアーで世に出た『阪急交通社』はまだなかった。

関西ではすでに活躍していたのかもしれないが、東京の私たちは存在すら知らなかった。


大学受験時の国内移動でお世話になった『近畿日本ツーリスト』(通称近ツリ)さんの海外ツアー『ホリディ』シリーズも良かったが、ルックやバカンスツアー同様必ずウイーンをかませてくれる点、食指がいまいち動かない。


私達の中では、ウイーンは「変わらない街」だった。

周囲に翻弄され、翻弄した歴史もさることながら、目くるめく文化遺産、建物、音楽。それらすべてが「変わらない街、ウイーン」と感じさせ、「変わるヨーロッパ」を見たい我々の選択肢からは外れるのだ。

だが、旅の拠点としてウイーンにまず行く、もしくは最終日をウイーンに設定し2日間ほど日程を費やす、と言うツアーが多かった。


ノーノーノー

そういうんじゃないんだよ。

煌びやかなハプスブルクも、オペラも、今はいいんだよ。

カマと槌の影響下にあった都市が変わっていく姿を見たいんだよ。

俺たちにベルリンやドレスデンを見せてくれ。

エアバスやボーイングじゃないんだよ。改良加えつつ懸命に飛ぶスホーイやイリューシン、ツポレフが好ましいんだよ(2022年9月現在、我ながらたいへんに残念な発言である)


ここまで拗らせた新婚旅行カップルがいるだろうか←反語

私達はしつこくひつこくツアーを物色していた。


だがそうした夫婦のオタ心を満足させてくれそうな、面白そうな旅は大抵『個人ツアー』になるのだ。

日本で諸々手配して、現地ガイドさんに拾ってもらって、移動も自分達で。

オーノー。ハードルぶち高すぎやぞ。


さらっと(?)書いてはいるが、これだけで数か月かかっている。

仕事は忙しいし(私は商業印刷、旦那は広告関係)週末ごとに旅行の情報収集が出来るほど体力お化けではない。


そしてようやくたどり着いたのが救世主

「にちりょ」こと「日本旅行社」様の「ベストツアー」

成田ベルリン直行便就航祝いの記念ツアー

こんなレア中のレア物件にたどり着いたのである。

これが大当たり。

わしらの求めていたものすべてが詰まったツアーだったのだ。

その詳しい話は次話で。


なかなか旅立たなくてごめんやで。

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