2・猿岩石にはなれないぜ

慎重に一年かけて選ぼうと言い交わした舌の根も乾かず、行く先はなし崩し的に決まった。

わたしら2人は世に隠れなくオタクである。旦那はミリオタ、わたしは西洋史オタ。

結婚前から、旦那実家の四畳半のオタ部屋でテレビを見ていた。

日本で昭和天皇がなくなり、大喪の礼、即位の礼とバブルがはじける予兆を庶民が見逃しつつある1989年には、ポーランドとハンガリーで非共産党政権が樹立、世界の心配をよそにソビエトは軍事介入してこなかった。

11月にはベルリンの壁が崩壊、チェコスロバキアのビロード革命。

12月のクリスマス、ルーマニアでのチャウシェスク元大統領夫妻の銃殺映像が世界を駆け巡った。

2人共興奮して見入った。隣の部屋では義兄が聞き耳を立てていたらしいが、婚前交渉に及ぶ暇もないほど(場所的にも(ヾノ・∀・`)ムリムリ)、世界は目まぐるしく動き、自分達の生きている間は変りそうもないと思っていた世界が、急スピードで動いていた。

結婚した年の1991年にはバルト三国がソビエト連邦から分離独立、12月にはソビエト自体が崩壊した。

ユーゴスラビアも1989年から粛々と崩壊の道へ進んでいたのだが、あまりに複雑なのでここでは記さない。

ご興味の向きはご自分で調べて圧倒されてほしい。


当時日本のテレビや新聞は、ドイツやモスクワ支局から報道で、案外さらりとしたものだった。

不穏な空気は充分感じられたが、『起こっている地域がヨーロッパ』だという根拠のない安心感らしきものはあった。

複雑きわまる東欧の歴史と民族問題を説明するには、日本の大衆に提示する材料もノウハウも乏しかったように思う。

海外の衛星放送を見るしかなかった。


「せっかくだから」

「東に行こうよ」

それだ。

夫婦の意見は即決した。

周囲からは「危ない」「戦争に巻き込まれても海外旅行保険は出ないぞ」「撃墜されたらどうするの」

という心配の声が相次いだ。

そして油を注いだのはフランスや西ドイツで活動が報じられた『スキンヘッド』後にネオナチとして活動を激化させる集団の動きである。

アジア人を襲撃したり、示威行為を働いたり、それらの危険さは日本でも報じられ、旅行パンフにも「気を付けるように」との注意書きがあったような気がする。


海外旅行が初めてというわたし、言葉もわからぬ東欧の街でスキンヘッズたちに囲まれたら金をとられるだけでは済まないであろう。

ヘイトクライムと言う単語こそなかったが、銃を持たず平和の中で育った日本人が旅行先の海外で危ない目にあう事件は多々起こっていた。

そんな感じで『歩き方』的なバックパック旅行は始めから除外された。

やっぱツアーだよ!

ぞろぞろ添乗員さんの後について歩くツアーだよ!

団体バスや飛行機で、こちらをご覧くださーいと全員くるりと回頭するツアーだよ。

ご飯も契約先の食堂でツーリストメニュー、そして必ず土産物屋に寄るという


至れり尽くせりのツアーがいいじゃないか !


だけど、こっぱずかしい『新婚旅行客向けツアー』は無しな。

一旦気まずくなったら地獄でしかなさそうだし。


というわけで、わしら夫婦はあせらず一年くらいかけて

「東欧周遊」

「現実的な予算の」

「食事、ホテル、観光、移動と保障された」


ツアーを探すことにした。

バルカン半島方面がウルトラきな臭くなっていたので、様子を見ながら、あくまで『命大事に』である。





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