1・ご祝儀は東欧で散りそうです

1991年4月の仏滅(安いんだよ)。

わしと旦那は結婚した。

2か月ほどわしのほうが早く生まれたので、2人共が25歳である時期を選んだのだ。

(年上妻とは呼ばれたくなかったんだよ)

当時、バブルがはじけたとはいえ、利殖に励んでもいない一般サラリーマンにはあまり関係なかった。

株が暴落しようがテレビのワイドショーで盛んと「奥さん方も株買わないと損よ」とのたまっていた株屋芸能人を視なくなったと、姑が言うくらいだった。

そもそもわしの勤める印刷会社、激務過ぎて残業・深夜・休日出勤代を使う機会もなかったのだ。

帰りの駅で「でぃすこ」なる未知のトワイライトゾーンに繰り出す、巻き毛・ボデコンなねーちゃん達を見ながら、今日も夕飯作れなかったなーと思いつつ帰るのである。(ボデコンとは、ボディスーツと言う下着で締め付けた体の線をぱっつんぱっつんの服で強調した、誘蛾灯のような服装を言うんだよ)

終電がなくなったら上司の机に置いてあるタクシーチケットが無限に使えた 。

そんな時代だったらしい。


(基礎力を確かめよう)

1991年4月と言うのは、米澤穂信先生の「さよなら妖精」の冒頭、守屋と太刀洗がマーヤと出逢った時期だよ。


その頃ともかく忙しかった。

なので、新婚旅行は一年延期した。


結婚式場からそのまま飛行機でハネムーン、と言う描写を昭和バリバリのドラマで観たことがある。なんてパワフルなカップルだ。

式と披露宴の後なんてぐったりで、そのあと空港に移動して出国手続きその他バリバリ、ツアー仲間と合流して出発ロビーまで歩いて…なんてゾッとする。

かくして、忙しいことを理由1、めんどいことを理由2にしてわしらは新婚旅行を延期した。

土曜日に結婚、日曜日1日休んで月曜日からまた激職に身を置いた。

1年後の新婚旅行ってそれ、ただの旅行じゃないか。

はいその通りです。

『遅れてきた新婚旅行ですから』と言えば2週間くらいは有給とれるだろうという、こざかしい目算はあった。

かくしてご祝儀は旅行のためにプールして置き、行く先をじっくりと選ぶことにした。

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