case 3 失った男 7 「出現」


 天気はひどく荒れており、空は暗く、風は木々を揺らし、多少の重さなら軽く動かしてしまうほどで、雨は激しく地面に打ち付けられている。

台風だ。かなりの規模の台風がここいらを通過中のようだ。


 さすがに台風の中出勤しろと言うほど無茶な会社ではないようで、俺は今家にいる。

だが外にいるよりかは幾分ましだが、家にいても落ち着かず、常に神経を張り巡らせているため疲れてしまう。

 玄関の覗き穴は段ボールにガムテープ貼り、その上から強力な磁石で塞いである。窓は全てカーテンをしており外から覗くことはできない。

あとは電話だが、電話線を抜くとなると会社からの電話さえ俺に届くことができなくなるので仕方なくそのままにしてある。

 しかし、ここまでしても奴らの事だ。俺の思いもよらぬ事をしでかしてくるに違いない。だから細心の注意をはらい、いつ誰が襲撃してきても良い様に、武器になる物を抱えて壁際でうずくまっている。


 それにしてもひどい台風だ。雨や風が大きく唸る中、それらを引き立てる様に雷が大きな音を立てている。それと同時に電話のベルがなる。そしてその中に、雨でも風でも、ましてや雷でもない小さな音を聞いた。


「なんだ、どこからかな。」


辺りを見まわし耳をすませる。


「や、どうやらこっちの方からだ。」


音のする方向に目をやると、それは窓から聞こえてくる様だ。


「なんだ、何かいるのか。」


万一にそなえ、身構える。すると、窓からノックの音がした。


「だれだ、こんな日にこんないたずらをするやつは。やい、卑怯者め。」


 声を上げるが外から声は聞こえず、電話のベルと雨音の合間にノックの音がするばかり。

 誰でもいい、電話はこの際無視だ。いつでもかかってこい。これでぶっ叩いてやる。

そう意気込んではいたが、ノックの音がするだけで窓から入ってくる様子はない。いつのまにか俺は寝てしまっていたようで、気がついたら翌日の朝になっていた。


「うーむ、眠ってしまっていたようだ。夕べのノックは誰の仕業だったんだろう。まさか、嵐に乗じて奴らがやってきたのだろうか。台風はまだ去っていない。今夜もまた来るのだろうか。」


 台風が去らぬまま夜になる。果たして今夜も、電話のベルと同時に、窓にノックの音がした。


「やはり来たか。こうなりゃ一か八か窓を開けてみるか。いや、しかし。奴らが銃でも持っていたら。ナイフでいきなり切り付けてきたら。こんな武器じゃ太刀打ちなどできやしない。ううむ。」


俺が尻込みをしていると、雷が派手に光った。

すると、窓に人影が映り込んだではないか。やはり誰かいるようだ。腰が抜けた俺は入ってこない事を祈りつつ、今日も眠ってしまった。

次の日も、その次の日も雨風は続き、夜になるたびに電話が鳴り、誰かがノックし、去って行く。

 予報によると、一昨日で台風は過ぎていたが、昨日今日と暴風域による大雨や雷の警報が出ていたが、今夜を最後に天気は落ち着くという。

つまり、このノックの音も今日で最後かもしれない。俺の直観が、正体を突き止めるには今日を逃してはならないと言っている。このところあまり充分な睡眠がとれてはいないが、気をしっかり持っている。寝てしまう事がないように。そして……。


「そらきた。」


 電話が鳴り、窓にはノックの音が。

コンコン、コンコンコン、コン……。

不規則になる音を何秒か聞き、意を決して窓を開ける。


「なんだ、誰もいないじゃないか……。や、あれは。」


遠くの方に、走り去る者がいた。

そんな、まさか。いや、そんなはずは無い。しかし今現に、俺はその姿を目に捉えている。


「彼女ではないか。おい、待ってくれ。」


 夜のため暗い上に、雨が降っており視界が悪いが、あの背格好は確かに死んだはずの彼女だ。その死んだはずの彼女が、俺の前方を走っている。追いかけるべきか。いや、しかし彼女は……。


「まってくれ。たのむ、なぜ逃げる。俺だ、俺だよ。おーい。」


 雨音が俺の声を掻き消しているのか、または風の音のせいか。それとも聞こえていないのか。走り去る影に俺は呼びかけたが、全く反応しない。彼女なら振り返ってくれるはずだ。振り返らないと言う事は……。

 いや、だがあれは確かに彼女だ。俺の脳裏に焼きついた愛する彼女。愛しい彼女。心を全て捧げたかけがえのない彼女だ。

 俺は決心し、窓から飛び出し懸命に追いかけた。雨も、風も、跳ねる泥も何もかもお構いなしにひた走りに走る。


 

 しかし、寝不足が祟ったのか足元がおぼつかない。窓から出るのを尻込みしていたせいで彼女との距離は開くばかり。ついには見失ってしまった。

俺は叫んだ。腹の底から後悔の念をぶちまけた。


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