第306話 他の動き 9
《sideテスタ・ヒュガロ・デスクストス》
誰も入ってこれないダンジョンの最奥で、冷たい岩の上に座り、頭だけになったゾウフを見下ろす。
「なっ、なんでワシは死んでおらぬ! どうなっておるのじゃ!」
体は消滅してすでに無く。頭だけの存在になったゾウフ。殺す方法も調べてはきたが、この方が面白い。
ゾウフの頭を抱えた焦茶色の髪をした少女が、目を虚にしてテスタを見ていた。
彼女はゾウフによって作られた最高傑作。
蠱毒に放り込まれ、能力を強制的に高められた少女は、己の心も体も全てを壊した老人の頭を抱き抱えて虚と化していた。
いや、その瞳の光は完全に消えたわけではない。執念と怨念、恨み辛みを混ぜ合わせた濁った炎が宿っていた。
「貴様が玄武と言うわけか」
我は少女の瞳の奥へと魔力を流し込む。
なんと心地よく、なんと素晴らしい瞳をしているのか。
「そっ、そうじゃ。ワシの最高傑作を差し出す。だから、どうかワシを殺してくれ!」
ふと、何か勘違いしている老人に視線を戻した。
「悲しいことを言うなよ。我は貴様を気に入っているのだ。汚物を混ぜたような性格。クズの集合体と言ってもいい野心。それらは心地よく我の身を知らしめてくれる。その最悪すら我は妬ましい」
ここはダンジョン。
ゾウフの存在はダンジョンマスターということになる。だからこそ、殺すことはもったいない。
「わっ、ワシを生かしておけばダンジョンがワシを元に戻すじゃろう。それでいいのか? ワシが戻ればお前を殺すぞ」
「そうか、それはとても残念な提案だ。汚物が何度甦ろうと汚物に過ぎない。だが何度も相手にするのは面倒だ」
我は魔法で目と耳を縫い付けて、体が生えないように首から先も縫い目を作って封印する。
生きながらに変化しない。
ゾウフと呼ばれた首にすぎない。
「問おう。我の物となる意思はあるか?」
「意思とは何ですか? ご命令頂ければ何でもいうことを聞かせていただきます。新たなマスター」
「そうではない」
「えっ?」
「私はマスターではない。貴様の夫となるものだ」
「夫?」
「そうだ。我では不服か?」
夫という言葉を聞いて、少女の瞳に光の揺めきが見える。
意味がわからない言葉を言われて動揺したのか? はたまた封じ込めていた感情が湧き上がってきたのか、我にはどうでもいい。
「わっ、わかりません。私には」
「そうか。ならば、これから知っていけばいい。名は?」
「サクラと申します」
「そうか、サクラよ。我はテスタだ。今日より、お前の夫であり、お前の主だ。よろしく頼む」
「はっ、はい! だっ、旦那様」
これよりダンジョンマスターサクラを介して、我は我の目的のために動き出す。
「テスタ様、撤収の準備ができました」
「ビアンカ、我はしばらくダンジョンの研究に入る。バドゥには、玄武領を好きにして良いと伝えてくれ。そして、デスクストス家の者たちには撤退の指示を」
「かしこまりました。よろしいのですか?」
「目的は達成された。アイリスの奴も目的の相手の命を刈ったと聞いている。あとは皇国の出方次第だ。バドゥがそのへんは上手くやるだろう」
交渉ごとなど面倒だが、得意なバドゥが妬ましい。
♢
《sideハク・キリン・キヨイ》
「やっとか! バカにしているのにも程がある。このような窮地の中で来るなどと何を考えているのだ!」
冒険者バルの来訪を告げられて、ワシは怒りしか感じていなかった。
各地で広がる戦乱と敗北報告。
最も被害が大きかった玄武領では、未だに王国軍の駐留が確認されている。
それでも招待したのがワシである以上。客人として出迎えなければならぬ。何と面倒なことじゃ。
「王国からの来訪者、冒険者バル殿が来られました」
小姓の声によって襖が開かれて、謁見の間へと冒険者バルが現れる。
薄紫色の髪は椿油によって全てをまとめられ、薄紫の雅な着物に身を包んだ歌舞伎者は、百九十センチの大柄で美しい男であった。
堂々とした足取りで、お館様の前までくると、風格と気品に満ち溢れて、居並ぶ者たちは言葉を失ってしまっていた。
彼の目は謙虚ながらも、真摯な意図を秘めていた。
見惚れる。
ワシは怒りなど忘れて一人の男に見惚れてしまっていた。
お館様に近づくにつれて足音は静かになり、彼の存在がより一層際立った。
お館様のお目通りを受けるために、歌舞伎者は心静かに身を清め、謙虚な態度を示していた。
その間、目は一瞬たりともお館様からは外れることなく、礼節を重んじる心意気を示している。
完璧な礼儀作法であり、ここまで皇国の礼儀を熟知している者は皇国の中でもそうはいない。
お館様ですら、その華麗な装いと立ち居振る舞いに目を奪われている様子が窺える。
歌舞伎者の存在は、まさに雅な美しさそのものだった。
彼の深遠な表情からは、数多くの経験を積み重ねた技量と風格が伝わってくる。
その瞬間、お館様の心に感動と敬意が湧き上がっている。
歌舞伎者の姿勢と気品は、彼の存在を超越し、歴史と伝統を背負っているかのように感じられた。
歌舞伎の精神と美学を象徴し、お館様の心に深く刻まれるていく。
この男は危険だ。
一目で全てを惹きつけるカリスマ性、生まれながらに持つ気品、そして人を惹きつける魅力を持っている。
「お初にお目にかかります。王国筆頭冒険者バルにございます」
ピンと伸びた背筋が、ゆっくりと下げられ、お館様への敬意が伺える。
筆頭と言われても疑いようもなし。
「よくぞ参ったでおじゃる。バル殿。我が十二代皇王キヨマロ・アマテ・キヨイでおじゃる」
お館様は頬を染めて、自ら名乗りをあげた。
それは皇国では最上級のおもてなしである。
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