第177話 ウサギは暖かい

 マーシャル公爵の吐血は大したことはなかった。連日の戦闘によって傷ついた体を治療しないまま、戦闘を続けていたことで体の中へ毒素を溜めすぎて血を吐いただけだった。


「すまない。これまでの連戦に続いて、精神的に衝撃を受けたものでな」


 マーシャル騎士団が張っていた天幕で、治療を行ったボクは、目を覚ましたマーシャル公爵に礼と謝罪を受けていた。


「だが、素晴らしい治療技術だ。今朝までの痛みが全てなくなっている」

「古傷や、持病は治せていません。ご無理はなさらない方がいいかと」

「わかるのかね?」

「専門家ではありませんが、多少は」


 こういう分野はミリルの専門だ。ボクは、医療の知識をこの世界の人間よりも多少持っているだけにすぎない。


「うむ。だが、ここで私が倒れるわけにはいかぬのだ。多少無理をしてでも、領を安定させて来るべき時に備えねばならぬ」


 ベッドで拳を握るおっさんはかっこいいね。


「先のことは手伝えませんが、今この場は我々が助けとなりましょう」


 ボクは用事が済んだので、立ち上がる。


「若き指導者よ」


 立ち去るボクへマーシャル公爵が声をかける。


「……」

「貴殿がこの場に現れたことは、我々マーシャル家にとって幸福であった。すまぬが助けてくれ」


 自分よりも若い者へ素直に頭を下げられる男に、ボクは思ってしまう。


「もっと互いに言葉を交わせれば、もしくは互いにやり方を知っていれば答えは違っただろうに」

「何?」

「いや、ボクは冒険者だ。報酬さえもらえれば問題ない」

「うむ。報酬ははずもう、それは保証する」

「ああ、頼むよ」


 ボクは天幕を出て、銀世界広がる迷いの森へ視線を向ける。最後の大仕事が残っている。


 マーシャル騎士団が張った陳内を歩きながらそれぞれの行動を見て回る。

 リンシャンは、マーシャル騎士団に指示を飛ばしていた。ルビーやバッドが、冒険者や傭兵に天幕を張らせている。

 エリーナやアンナはこれまでの行軍を頑張ってくれたので休息を。

 タシテ君はシロップを護衛にして情報集めに向かった。


 ボクは、馬車へと戻ってゴロリと横になった。

 馬車には、クウとノーラがいたので、本日はクウの膝を借りることにした。


「主人様、お疲れ様です」


 ここ一年で、随分とクウも成長を遂げてきた。

 チビウサ耳メイドから、ウサ耳冒険者にクラスチェンジだ。小さかった身長は伸びて、太ももは心地よい。

 レベルもカンストして、胸元は随分と立派になった。


「うん。クウはここまでの旅は疲れてないかい?」

「はい。主人様と一緒にお出かけできて楽しいです。シロップ姉様も、ルビー姉様も、最初は怖いと思っていたノーラ姉様も優しくしてくだいます」


 ノーラも旅を続けて本を読むごとに優しくなっている気がする。


「それはよかった。戦いを経験して、クウも自信がついたみたいでよかったね」

「はい。ご主人様は……、いつも誰かを助けておられるのですね」

「助ける? ボクが? クウは不思議なことを言うね」

「不思議でしょうか? 私はご主人様に救って頂きました。今、幸せにいられるのはご主人様のおかげだと思っています。アレシダス王立学園に従者としてお供するようになり、たくさんの人と出会うことができました」


 膨らんできた胸をボクの頭に乗せないでほしい。


「全て、ご主人様のおかげです。シロップ様に聞いておりました。シロップ様も、ご主人様がいるから幸せでいられると」

「シロップは昔からボクを大切にしてくれたよ。むしろ、守ってもらったのはボクの方だと思う」

「ふふ、お二人とも同じことを言われるのですね。ですが、一年間。一緒にお側でお仕えしてたくさんのご主人様を見てきました。たくさんの方々がご主人様によって救われて行きます。今でもリンシャン様のお父様や、ルビー姉様のご両親まで救おうとしておられます」


 柔らかな毛並みと暖かい温もりが、ボクを包み込む。


「買い被りすぎだよ。ボクはね。あくまで怠惰に生きているだけなんだ。その結果邪魔者を退かしているだけだよ。それにね。ボクにも救えない者はいるんだ」


 ふと、怠惰を与えた者たちの顔が浮かぶ。


「ふふ、そう言うことにしておきます。皆、ご主人様に救われ、ご主人様に恩を返したいと思っています」


 何を大袈裟に言っているんだろうね? ボクは誰も救ってはいないよ。

 自分の怠惰のために、必要なことをしているだけだ。

 それは昔から何一つ変わっていない。

 怠惰に必要だと思うから、こんな辺境のマーシャル領まできているだけだ。


「大将! とんでもねぇ物がこっちに向かってる!」


 馬車の外で叫び声を上げるバッド。

 ボクは怠い体を起こして大きな欠伸をする。


「ノーラ。いくよ」

「あい、わかりんした」

「クウ、勘違いしてはいけない。ボクは誰も救う気なんてないんだから。そこは間違っちゃいけないよ」

「ふふ、はい。ご主人様」


 笑顔を浮かべるクウと、名残惜しそうに本を置くノーラ。二人を連れて外へ出れば、巨大な竜巻と、雷が合わさった自然災害がこちらへ向かっている。


「うわっ、あれはどうしようもないね」

「リューク様、たすけて欲しいにゃ! あれは私のパパとママにゃ!」

「……」


 目の前で巻き起こる巨大な竜巻は、雷を巻きつけて全てを飲み込む勢いで、拠点に向かっている。

 ルビーの発言がなければ、絶対に逃げ出していただろうな。


「ハァ、マジか、間違いない?」

「間違いないにゃ! 風神ダイヤ、雷神サファイヤ。二人は自然系属性魔法最高位の【嵐】と【雷】の力を合わせて魔法を発動できるのにゃ。だけど、今の二人は暴走しているみたいなのにゃ!」


 うん。知ってるよ。

 そして、意思があるようには見えない。

 ただ、チリス領で魔王と遭遇してから、魔力吸収が上手くできない。

 呼吸法は間違っていないのに、吸った魔力は維持できないですぐに抜けていく。

 レベルが上がったおかげで溜まりにくいと思っていたけど。他にも秘密があるように思える。


「全く。マーシャル公爵は?」

「まだ、本調子ではないようにゃ。私だけではあれを止められないにゃ」


 それも知ってる。あれを止める方法は一つしかない。


「ルビー! いくよ」

「何をするつもりにゃ?」

「決まっているだろ? 止めるんだよ。お前の両親を」


 ボクは覚悟を決めた。

 今、ここであれを止める。

 

「無理にゃ! 暴走した力は普段の何倍も力が強くなっているはずにゃ! 私の両親はレベルもカンストして、最上位希少属性魔法を、最大値まで鍛え上げているにゃ。それが暴走しているのは、もう天災にゃ!」

「いいや、あれは人災だよ。誰かが止めてやらなくちゃならない。それはルビー、お前の役目だ」


 迷いの森の異常な魔物の行軍は、蝿だけの仕業だけではない。ルビーの両親が引き起こした。人災によるものが原因の一つになっている。


「ご主人様、私もお供します! ルビー姉様のご両親を助けます」


 ボクは、クウの頭を撫でてやる。

 兎耳がふわふわとして気持ちいい。


「気負うな。ここはルビーがやるべきことだ」

「ですが!」

「終わった後に、ボクは怠惰に寝て過ごすから、また膝枕を頼む」

「かしこまりました。いってらっしゃいませ。ご主人様」


 ボクはクウに見送られて、ノーラとルビーを連れて竜巻へ向かって歩き出した。

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