最後の奇跡(下)

 私たちが川辺のサクラの木のところに行ったら、サクラ色のウサギは木の根元付近に居た。

 だから、私もヒデちゃんも、ウサギの姿を見つけることはすぐにできた。


「あ、ウサギさんっ」


 私がそう言った後、ウサギはピョンピョンと小さくジャンプしながら、こちらにやってきた。

 私たちがその場に座ると、なぜかウサギはヒョイッと私のひざに乗った。それから、私たちはウサギとおしゃべりを始めた。


「私んらーは、ウサギさんを最近ここで見かけるようになったけど、最近サクラの木に住み始めたの?」


「キュー、キュー」


 ウサギは首を横に振ったので、違うようだった。


「そんなら、俺らが生まれるずーと前からなのか?」


「キュキュイ、キュキュイッ!」


 次に、ウサギは首を縦に振ったので、その通りのようだった。

 また何時間か過ぎて、私たちは帰宅したのだった。




 夕方の四時頃に、私は近くの小さな個人経営のスーパーに行って、豆腐と牛乳を買ってくるように、お父さんから頼まれた。

 私が自転車でのおつかいが終わった後、私は川辺の大きなサクラの木のところに寄った。


 すると、当時小学一年生だったなっちゃんが、サクラの木の横で一人泣いていたのだった。

 私は堤防に自転車を停めて、急いでなっちゃんのもとに行った。


「なっちゃん、どうしたんっ? 何かあったの?」


 なっちゃんは下を向いたまま、サクラの木のてっぺんの方を指差した。


「わたしのボーシが風に飛ばされてね。そんで、このサクラの木のてっぺんに引っ掛かっちゃったの。お母さんに買ってもらった、大事なボーシなのに……」


 私が上の方を見ると、オレンジ色のリボンの付いた薄い黄色の帽子ぼうしが、サクラの木のてっぺんの枝に、引っかかっていた。


 その時は、いつものようにサクラの木の近くに、あのサクラ色のウサギが居なかったことを、私は知らなかった。


「よしっ! 今、私が木に登って取ってくるから、なっちゃんはそこで待っていてね」


 そして、私は慣れた足取りでサクラの木を登り始めた。

 今日は普段より風が強いみたいだったから、私は細心の注意を払いながら、ゆっくりと登っていた。

 なっちゃんは泣きながらも、顔を上げて、こちらをじっと見つめていた。


 てっぺんに近づくにつれ、風が少し強くなったような気がした。 風がこちら側に吹く回数も、増えているような気もした。

 風がこちらに吹いた時は、私は一旦足を止めるようにした。

 そして、ようやく、てっぺんまで辿り着いた。


 と言っても、なっちゃんの帽子は、木の中央より何十センチメートル右の方にあった。

 その時点で、私は地面から五メートルはある高さに居た。慣れていると言っても、間違えて落ちてしまったら、ひとたまりもない高さだ。

 

 私は一度呼吸をして、一歩一歩右に進んだ。それで、やっと私が手を伸ばせば帽子ぼうしを取れる位置まで辿たどり着いた。

 その時、下からヒデちゃんの声が聞こえた。


「おーい、ツル。大丈夫か?」


 私が下を見ると、二十人ぐらいの人がサクラの木の周りに集まっていた。木登りに集中していたから、全く気が付かなかった。

 お父さんとヒデちゃんのお母さんなど、色々な人がみんなで私を心配そうに見ていた。


「大丈夫、大丈夫〜」


 そう言った後、私は手を伸ばして帽子ぼうしを取ろうとした。

 その時、また強い風が吹いた。


「ツルッ! 危ねーぞっ!」


 下から、父さんの声が聞こえた。

 それから、私が帽子ぼうしを手に取った瞬間、私は枝から足を踏み外して、頭から五メートルくらい下に落下したのだ!


「キャアァァァァァー!」


 ヒデちゃんのお母さんらしき人が悲鳴を上げたのは、ちゃんと分かった。


 しかし、その後、また昨日に続いて、不思議なことが起こった。

 落下している途中に、私は突然、白い光に包まれたのだ!

 そして、気が付くと、私はお尻が痛くならない程度に軽く尻餅しりもちをついて、無事に地面に到着したのだった。

 私の右手には、しっかりとなっちゃんの帽子ぼうしが握られていた。




 実を言うと、その後のことを、私はあまり覚えていない。

 たくさんの人に「大丈夫か?」と駆け寄られたり、声を掛けられたりかなぁ。

 遠くの方では「あの白い変な光は、何だったんだ?」というような声がしたっけ……。

 なっちゃんと彼女のお母さんは、何度も頭を下げて、私にお礼を言ってくれたような?


 ああ、それと。お父さんに怒られた後に、珍しくめられたみたい。

 でも、みんなが帰った後に、お父さんと二人だった時のことは、今でもはっきりと覚えている。


 その時にやっと、あのサクラ色のウサギが、そこに居ないことが分かった。

 お父さんは先に堤防に行って、私の自転車を引きながら歩いているのに、私は必死で、サクラの木の前でウサギを探していた。


「あれれ? ウサギさんっ。ウサギさーん……?」


「おい、ツル。何やっているんだ? さっさと帰るぞ」


 グルグル何十回サクラの木の周りを回っても、私はウサギの姿を見つけることはできなかった。

 それから、仕方無くお父さんと一緒に家に向かって歩いていても、まだあきめられなくて、何度も何度も振り返って、私はサクラの木を見た。

 しかし、ウサギの姿は、本当に見当たらなかった。



 結局、その日以降、川辺の大きなサクラの木の近くに行っても、サクラ色のウサギは、ばったりと消えてしまった。

 それと同時に、サクラの花びらも全て散ってしまっていたので、私は余計に悲しくなった……。

 ただ聞こえてくるのは、あのウサギの足音や鳴き声ではなくて、サクラの木が風に吹かれる音だけだった。

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