第三話・心はポジティブに

 既に生徒は家に着いたらしく、子供の姿は見えない。いつも年配の方達が散歩しているはずが、今日に限って誰もいない通学路を、一人歩いて家に帰った。


 家に足を踏み入れる。玄関に父と母の靴がそれぞれ揃えて置いてあるのに気づいた。

 どうやら両親は帰って来ているらしい。

 洗面所で手を洗ってリビングに入ると、両親が揃って食卓に座っていた。

 重い沈黙が場を支配していて、いつもの家庭には似ても似つかない雰囲気に、思わずギョッとした。


 俺の父は医師、母は美容師をしている。

 二人とも腕が良く、仕事が忙しいらしいので、余程のことがない限り途中で帰ってくるはずはない。つまりそれだけのことがあったということ。

 黙って二人の向かい側に座る。



 「天照の隊員に選ばれたんだって?しかも、明日出発だなんて父さん聞いてないぞ。」


 「は?なにそれ。」



 隣に座っている母さんも頷く。

 どうやら両親は、誰かに明日出発だと聞いたらしい。そんな事は、あの担任からさえも一言も聞いてない。

 誰か来たのか?そそして誰に聞いたんだろうか。眉を顰めていると、母さんが俺の方に何枚かの紙を滑らせてきた。


 何やら難しそうな言葉が小さい文字でずらっと印刷されている。しかも隙間がほとんどないに等しいようなものだったので余計に何が書いてあるのかよく分からない。



 「糸は先生から聞いてないの?」



 母さんがもう一枚紙を滑らせてきた。こちらは行間が詰めすぎなこともなく、字が小さくもなく、読みやすい。

 母さんが指を差したところを読み上げる。


 その紙は俺宛に書かれたらしく、丁寧な字で俺の名前が書かれていて、後ろに文が続いている。


 書いてある内容から、政府の関係者が家に来たということが分かった。それで両親は仕事を抜けて帰って来たらしい。



 「『__出発は明日の九時と致します。制服でお願いします。また、車で伺いますので、必要書類、衣服などの用意をお願い致します__』

 これ書いた人、俺の予定のこととか全く考えてないだろ。」


 「そんなこと言わないの。とっても光栄なことなんだから。

 取り敢えず、養成所に持って行く物の準備しなさい。私達は色々手続きに行かないといけないから。」


 「頑張れよ。折角なんだし、やるだけやってみれば良いじゃないか。」



 言いたいことを全部言って満足したのか二人は出かけて行った。明日出発という事を知って呆然とする俺を置いて。


 仕方ねぇんだよな。拒否権ないし。


 人の事情も考えず、勝手気ままに色々と決めてくる政府。

 腹が立つのを通り越して泣きたくなった。しかし泣いてもしょうがない。ポジティブにいかなくては。


 受験も潰されてて特に何もすることがないので、母に言われた通り、自室で荷物の整理をすることにした。



 「あー、これも持って行きたいけど、こっちも、捨てれねぇんだよなぁ……」



 自分のベッドに腰掛け、持って行く候補を棚の上や引き出しから出し、あれこれ選ぶ。


 俺にだって思い出の品は沢山ある。

 手に取って改めて眺めてみる。と、色んな思い出が鮮烈に脳裏に蘇ってきた。


 ポジティブに。天照に入ることは新しい門出だ。折角なら、一切合切置いていって、一から思い出を作り直してやろう。

 無理矢理前向きに考えて、そう思い込むことにし、カバンには服類やその他に必要なものだけを詰め込む事にした。


 どうせ家にほとんど帰って来れないのなら、とついでに部屋の中も片付ける。

 友達と一緒に買った物も、思い出も、全部片付けた。


 これで、全部お別れだ。


 


***




  両親が二人とも帰って来る頃には、俺の準備と部屋の片付けも終わっていて、ついでに風呂も済ませていた。

 母さんが作ったカレーを三人で食べる。


 最近は受験勉強で忙しかったから、夕ご飯を三人一緒に食べるのも久しぶりだ。

 寮に入ると一緒に食べることさえ、家に帰って来たときにしか出来ない。悲しい。



 「友達には挨拶したのか?」



 父さんの問いかけに俺が黙って首を振ると、父さんは、あり得ないとでも言いたげに眉を顰めた。

 母さんはため息を吐くと、肩をすくめてカレーを口に運ぶ。



 「受験の前だものね。」



 もし友達が何も言わずに勝手にいなくなって後から言われたら、平気か。

 否、俺はそんなに強くない。ずっと仲良くしてきた友達と離れるなんて考えたくもない。今、実際にそうなっているが。



 「そ、しょうがない。まあ、帰ってきたら会えるし。」



 食べ終わった食器を流しに持っていき、その流れで洗面所で歯を磨く。

 鏡に映る俺の顔は、いつも見ていた顔とは全く違って見えた。まるで、不安がっている幼い子供のようだった。


 脳裏に、亡霊のように纏わりついて離れないさっきの俺の顔。


 自分でも分かってんだ、養成所になんて行きたくないことも、もう、どうしようもないことも。


 そんな自分の心にフタをして、逃げるように部屋に戻った。




***




 「それじゃ。行ってきます。」


 「元気でね。」


 「怪我に気をつけるんだぞ。」



 制服に着替えて準備も終わった朝九時頃、玄関のチャイムが鳴った。外に出てみると、家の前に静かに停まっている高そうなリムジンがいた。そもそもリムジン自体も値段は高いけれど。


 驚き、人間違いだと運転手らしき人に伝えると、まさかの俺の迎えの車だったらしい。

 両親が書類を渡したあと、すぐ出発。

 俺が一番家が遠く、急がないとメンバーとの顔合わせに遅れるらしい。


 両親に別れを告げて車に乗り込むと、リムジンは静かに発車した。


 小さい頃から住んでいた街の景色が、窓から流れる様に過ぎていくのが見える。

 絶対戻って来よう。それまで頑張るんだ。どんなにキツくても耐えろよ、俺。

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