第二話・黒瀬糸の憂鬱
四階の教室の窓から覗いているのは、雲一つない真っ青な空。
二月下旬にしては珍しく、風がいつもより少し暖かいのを感じる。春が近づいてくるのを感じる風。
開け放している窓からは、受験勉強に向けて、騒ぎながらも続々と帰って行く三年生の生徒達の声がここまで聞こえてくる。
受験、そして卒業。中学生の超重大イベントを間近に控えた中学三年生。そんな中、
理由は明白。
SHRが終わり、糸が教室から出ようとした途端、担任に呼び止められたからだ。
すました顔をして窓の外を眺めているが、心の中では不平不満を垂れている。教室で一人寂しく、なかなか来ない担任を待ち続けて早十数分。
正直言うと、このまま先生の話を無視して帰りたい。そして家に帰って友達と電話を繋ぎながら勉強したい。流石に受験も近いのでしないが。
「すまん、黒瀬。待たせたな。」
呑気にそんなことを考えていると、勢いよくドアを開けて先生が入って来た。腕には重そうな分厚い封筒が抱え込まれている。
恐らく俺に関係するものだ。しかし、なぜそんな沢山の量の書類があるんだろうか。
「色々準備するからちょっとだけ待ってくれるか。」
かなり焦っている様子の担任。来たら言ってやろうと思っていた文句を飲み込み、頷く。
一体何の話をするつもりなんだろうか。
何かしたっけ。
今まで馬鹿騒ぎや危ないことばっかやって担任に怒られることは何度もあった。しかし三年の後期からは特にこれといった目立つ事は何にもしていない。
机を動かしたり、机の上に置いてある持ち主不明の体操服を退けたり、と忙しなく動いている担任を尻目に、糸は冷静に考える。
準備が終わったのを見計らって、担任が座った椅子の向かい側の椅子を引いて座る。
「ちょっと時間遅れたけど始めようか。
黒瀬、何で俺に呼ばれたのか分かる?」
「……全く。」
頭を振ると担任は満足そうに、そうだろうな、と言って頷いた。
どういうことだろうか。
怒っていないところを見ると、何かやらかして呼ばれた訳でもないらしい。
「黒瀬、
「名前だけ。でも俺なにしてるかとかそういうの全く知りませんけど。」
「お前、自分の好きな事にしか時間を使わないから、知らなくてもしょうがないな。
天照は、ざっくり言うとモーテラを倒すための戦闘部隊のことだ。」
天照のことを確認した。俺がよく分かっていないことを知ると、詳しく話し出す。
天照自体は名前だけは聞いたことがある。戦闘部隊とは言っても堅苦しいものではなく、世間での人気も高い。それはテレビにも時々出演しているのを見かけるほどだ。
しかしそれに何の関係があるんだろうか。天照のことって絶対関係ないだろ、前置きか?訝しげに思っているのが分かったのか、担任は苦笑して首を振った。
「こらこら、そんな疑うような目で俺のことを見るんじゃない。
まあ安心しろ、結構良い話だから。」
良い話と担任に言われても、全く安心出来ない。糸は何を言われ、何をされるかと思うと、気が気ではなかった。
「結論から言うとだな……」
担任はピシッと姿勢を正すと、急に改まった口調になった。少し嫌な予感がしながらも、何を言われてもいいように身構える。
次の一言を待つ。
「黒瀬糸。君は天照の隊員に選ばれた。よって、数日後の君の高校受験は中止だ。」
「は?」
数秒前、担任の口から放たれたその言葉が理解出来なかった。糸にとっては全く嬉しい報せでもなんでもなかった。
高校受験は中止?天照の隊員?二つの言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
え?どういうこと?混乱と動揺が頭を支配し、埋めつくす。
この担任は中一のときからの付き合いの先生だ。数え切れないほどの回数、生徒指導室で友達と一緒に怒鳴られたことがある。
「俺もな、まさかお前が天照に選ばれるとは全く思いもしなかった。」
俺が理解出来ていないのに対し、担任はどんどん話を進めていく。
担任が本当に何を言っているのかが分からない。
「___対戦闘用の薬『キュアース』の開発に成功したが、耐性を持つのは十代後半のみということが分かり、政府はキュアースの耐性を持つ学生をノマエラに派遣することを発表した。
ここまでは授業でも教えたぞ?」
社会の授業は、何をしても頭に入ってこない。つまり授業を聞いていない。
これまで、政府のことなどには興味が全くなかったからかもしれない。縁のないことだと思っていたのもある。
「ここらからは、ごく少数の人間しか知らないんだが……
天照は、毎年全国の学校から送られてくる中学三年生のデータを使って、厳しい審査の末に選ばれる。
選ばれた中学生三年生は、卒業を待たず養成所での訓練を開始する。
養成所とは言っても、普通の高校とほぼ同じ扱いで、普通科と同じ授業も受けれて高卒認定資格・給料も貰える。」
普通の中学三年生のガキにとっては、蜜のような甘い言葉。しかし何と言われても絶対首を縦に振る気はない。
友達と一緒の高校に進学して、馬鹿騒ぎしまくる青春ライフを満喫したい。それは俺が高校に進学するのを決めた理由でもあって、夢で、目標でもある。
政府の養成所に入学しても、俺の夢は叶わない。
それに卒業を待たずにとはどういうことなのか。卒業式に出席出来ないのか。
「政府の決定だから拒否権はない。
取り敢えず、お前の受ける予定だった高校の先生方に電話はしておいた。」
「は?戦闘部隊の隊員とか、死んでも嫌なんだけど。」
この世界中、隊員に相応しい奴なんて絶対山程いる。そして授業中に騒いでるような問題児にも出来る様な甘い世界な訳もない。
本当不快だ。糸は眉を顰めた。
「そんなこと言うなって。
天照に入っておけば、将来の安泰が約束されてるんだぞ。」
ムキになって担任がメリットをつらつらと話し出す。甘い誘惑に負けて養成所なんかに入るのも嫌で、負けじと言い返す。
いつの間にかSHRが終わってから、時間が大分過ぎてしまっていた。
「将来の安泰だけが幸福ってわけじゃなくない?
それに俺、約束された将来とか安泰な未来とかいらねーよ。それって自分で作ってくもんだろ。」
「俺も反対はしたんだ。だが政府の決定だ。抗えるものじゃない。」
二人の間に沈黙が続く。担任は俺が口を開くのを待っているようだった。
仕方ないのかもしれない。拒否権がない時点でもう答えは決まっているようなものだ。
「……はぁ、分かったよ。」
全く……最悪すぎだ。この国の政府。糸の顔はますます険しくなる。
担任は苦笑いをして、机に置いた分厚い封筒を俺に渡した。家に持ち帰れということらしい。
何が入っているのか分からないが、とりあえず封筒をリュックに無理矢理押し込む。担任に別れの挨拶を口にして学校を後にした。
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