第42話 食事
私がユラユラ界に潜入して一週間が経過した。
私は絶望的な気分に見舞われていた。
今日こそ、私は、人肉の料理を食さねばならないのだ。
先週は体よく断ることが出来たが、二週連続で断るのは流石に怪しまれる。私が洗脳にかかっていないのがばれてしまう。そうしたら祓い屋さんたちが考えてくれた作戦がパアになる。
朝から憂鬱な気分で、私は祭壇の上でだらだらしていた。もう、夕飯を食べる時のことを考えるだけで、体が芯から震えるようなおぞましさを感じる。
あれを平気で食っていた洗脳時代の自分が信じられない。
夕食の時間が永遠に来なければいいのに。
だがそう思っている時ほど、時間は矢のような速度で過ぎ去っていく。やがてノックの音がして、ユラユラ人が直立二足歩行で料理を運んできた。花澄もしっかりとついてきている。
充満する血の匂いで早くも吐き気がこみ上げてきた。
何だか先週は食が進まないみたいだったから、今週は肉をミンチにしてスープに入れたよ。食べやすいようにね。ちゃんと食べて元気を出してね」
花澄が言う。
「あ、あのー」
「なあに?」
「み、見られていると食べづらいので……下がってもらっても良い?」
「駄目」
即答だった。
「な、何で?」
「食事は儀式の一環だからね。きちんと行われているかチェックする必要があるんだよ」
「そっか……」
私はいよいよ絶望的な気分になって、目の前にコトリと置かれたスープ皿とスプーンを見つめた。食欲は減退する一方である。だがここで私が我慢すれば、多くの人が救われるかも知れない。守れる命があるかも知れないのだ。覚悟を決めろ、冴子。
「いただきます」
私はスプーンを手に取る。スープに浸すと、どろっとした血液と細かく挽かれた生肉がスプーンに流れ込む。それを口に含むと、つんと鉄の匂いがした。食感はざらざらしていて気持ちが悪い。後からスープの生温かさとほのかな塩辛さが追いかけてくる。急いでごくりと飲み込むと、胃がひっくり返るような嫌悪感が湧いてきた。
「……」
こんなもの、いつまでも時間をかけてちまちまやっていたら、おかしくなるに決まっている。私は行儀悪くスープ皿を持ち上げると、中身をガーッと掻き込んだ。そのまま喉の奥へ押し込み、無理矢理嚥下する。むせてしまって、盛大に咳が出た。口の中にまだ嫌な味が残っている。
「ゲホッ、ゴホッ、み、み、水はありますか」
花澄が呆れて私を見上げた。
「そんなに一気に食べたらそうなるに決まってるよ」
「いいから、水を早く……」
「はいはい」
花澄は控えていたユラユラ人に何か言った。ユラユラ人はにゅっと触手を伸ばして、透明な水の入ったグラスを私の前に置いた。私は飛びつくようにしてそれを掴み、これもまた一気飲みした。
「ブハァッ、ぜえ、はあ、……うぐっ、おえっ」
「だから、慌てすぎだって、冴子。どうしちゃったの?」
「う、うん、あの」
必死に言い訳を考える。
「やっぱり私、先週の食事を抜いたせいか、お、お腹が減ってて……思わず一気に食べちゃったっていう感じかな……」
「ふーん……そっかあ……」
花澄は何やら考え込む素振りを見せた。
「まあ、冴子は今、体がどんどん変わっている最中だもんね。体調に波があって当然だし、お腹が空くのも当たり前か」
「そ、そうだよね……自分でもそんな感じがするよ……」
私は何とか適当に誤魔化せたことにほっとした。
途端に視界がぐるぐる回り出した。気持ちが悪い。吐き気がさっきの何倍にもなって襲いかかってくる。
「ちょっと、お手洗い……」
私はふらふらと祭壇を降りた。
神様もユラユラ人も極めて少食なので排泄も少ない。よってお手洗いの数も少なく、私のいる部屋からも遠い場所にある。
私はふらつく触手で、神殿の隅っこにあるお手洗いまで何とか移動し、着いた瞬間に吐いた。胃の中が空っぽになるまで吐き尽くし、腹がねじれるのではないかというほど咳き込んだら、少し気分が落ち着いてきた。水道から出る赤い水で口をゆすぎ顔を洗うと、のろのろと祭壇の部屋に戻った。
花澄は心配そうに私を待っていた。
「大丈夫?」
「うん」
私は這うようにして祭壇の上まで上がり、定位置に着いた。
「しばらく安静にした方が良さそうだね」
花澄は言った。
「お腹が空いてる時に一気に食べたら、ちょっと気持ち悪くなっちゃうでしょ」
「うん。そうなんだよ。しばらく休ませてもらっていいかな」
「もちろん。じゃあ私たちは失礼するよ。ごゆっくりなさってくださいね」
「うん」
バタンと扉が閉まる。私は盛大に溜息をついた。
何とか疑われずに乗り切った。良かった。作戦が破綻せずに済んだ。お陰で多くの人が救われるに違いない。逆に、ここまでして何も成し得なかったら、報われないにも程があるというものだ。
あと二回、食事の儀式が待っているわけだけれど……多くの人をユラユラ界という脅威から救うためだと思って、頑張って耐えよう。我慢しよう。
そして、私が耐え切った暁には、絶対にユラユラ界には滅びてもらう。松原花澄には死んでもらう。そう、絶対にだ。
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