第40話 呼び声
翌日の朝、花澄は祭壇の部屋に挨拶にやってきて、上機嫌に私を見上げた。
「昨日の怪物ね、ちゃんと手懐けてきたよ」
また変なことを言う。
「ええと、手懐けるって、つまりどういうこと?」
「あれは私のペットみたいなものだから。放し飼いだけど。ちょっと目を離した隙にとんでもないいたずらっ子になっちゃってたから、もう一度しつけ直したんだ。もう私の言うことはちゃんと聞くようになったから、安心して良いよぉ」
どうも、洗脳してきたかのような口ぶりである。まあ、私の身に危険が及ばないのであれば、何でも構わないが。
「そっか。それはよかった」
私は言った。
「それなら私も安心してまた視察に行けるよ」
「また行くのぉ?」
「うん。今日は……ええと……」
私は地図を広げた。
「昨日の続きかな。墓地に近い町の視察がしたい。昨日は逃げるのに必死で、何も見ていなかったから」
「そっかぁ。そしたらまた従者を二人呼んでくるね」
「うん。よろしく」
今日も無事に外出許可が下りて良かった。
さて、いざ行ってみると、町はゲジゲジみたいにうごめくユラユラ人たちで大層賑わっていた。私は押し寄せる嫌悪感と戦いながら町をぐるりと回った。
この外出の本来の目的は花澄と距離を取ることだ。本当なら、人を殺して食う化け物どもの視察なんてやりたくもない。だが一応見回っておかないと、従者のユラユラ人に不審がられてしまう。
尤も、ユラユラ人の町は非常に小さいので、早足で行けば数時間で一巡りできる。後は帰る時間をできるだけ遅くするために暇潰しをするだけだ。私はユラユラ人の群れから逃れて町を脱出し、町と神殿前とを結ぶ道のような場所にまで避難した。
服が濡れるのもいとわずに、赤い池の中に腰を下ろす。
周囲には誰もいなかった。私と、二匹のユラユラ人が、無言でただ座っているだけ。
私は考え事をしていた。
私が新しい神様になったせいで、今日もユラユラ人は人を殺すだろう。それから、私のために戦ってくれた祓い屋の人たちの安否も、分からない。私のせいで一体どれほどの被害が出ただろうか。私はその罪を償いきれる気が全くしなかった。
もちろん、一ヶ月後の作戦をきっと成功させて、花澄を仕留めるという覚悟は変わらない。それで未来の犠牲が無くなるなら、私は全力で作戦を遂行する。でも、花澄を殺せたとして、私の罪が消えるわけではない。
私は一生、この罪を背負って生きて行かなければならない。
(花澄に目をつけられたばっかりに、こんなことになってしまって……)
悲しいやら腹立たしいやらで、心がぐちゃぐちゃに潰れる思いだった。私は泣かないようにぐっと唇を噛みしめた。その時だった。
「おおうあーん」
声が聞こえた。今さっき出てきた町の方から。
私はびくっとして腰を浮かした。
二足歩行の影がこちらに向かって走ってくる。
「おおうあーん」
間違いない。昨日の怪物だ。
何故、二度も私の行く先に現れた?
花澄は本当にあれを手懐けたのか?
どうしてあの大きな目玉の視線が、四つとも全部私に向けられている?
「おおうあーん」
私は得体の知れない恐怖に襲われて、走り出した。一直線に神殿まで向かう。ユラユラ人たちも私に続いた。
いや、無駄だと分かっていた。目からビームを発する奴を相手に、走って距離を取ったところで意味は無い。
「おおうあーん」
今だ、今に殺人ビームが来る。
「おおうあーん」
もしくは追いつかれて、あの爪の餌食になってしまう。
「おおうあーん」
だが、一向に攻撃が来ない。
「おおうあーん」
走りながら鳴くばかりで何もして来ない。
「おおうあーん。おおうあーん。おおうあーん、おおうあーん」
ただ追いかけて来るだけだ。
「おおうあーん。おおうあーん。おおうあーん、おおうあーん」
……意味が分からない。何の目的で、私を執拗に追い回す?
とりあえず私は神殿まで駆け続けた。これが一体どういうことなのか、一刻も早く花澄に説明してもらおう。
神殿の入り口に飛び込む。ユラユラ人も怪物もついてくる。
どうしたらいいんだ、この状況。
「花澄ー!!」
私は大声で呼ばわった。
「このペット、どうにかしてよ!」
「あらまあ」
花澄の可愛らしい顔が急に目の前に現れたので、危うく私はぶつかる所だった。
私が止まると、ユラユラ人も、怪物も、急停止した。
花澄はヘラッと笑った。
「さっそく仲良くできてるみたいだねぇ。冴子と牧夫」
「はい?」
これは仲良くしていると言えるのか。命懸けで逃げてきたのに、どこをどう見たらそういう感想が出てくるんだ。確かに状況は限りなく鬼ごっこに近いものだったけれど、私は怖かったし、……いや、そんなことより。
「牧夫? 今、牧夫って言った?」
どこかで聞いた名前だ。
「そう。なかなか面白い名前でしょ。この子が人間だった時に持っていた名前を、そのまま付けたんだ」
私は三秒間ほど考えた。そしてとある可能性に気が付いて、ひゅっと息を吸い込んだ。
「こ、これ、ううん、この人、もしかして……石野牧夫さん!?」
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