第39話 逃走
そいつは紛れもない怪物だった。しかも、私が今まで遭遇した怪異の中でも、ダントツに恐ろしげでちぐはぐな容姿をしていた。
まず、図体が大きい。全長は神の姿の私と同じくらいで、直立二足歩行をしている。
髪の毛に当たる部分はみんな緑色の触手で出来ていた。顔に当たる部分は人間のような輪郭をしていたが、目玉が四つもついていて、そのどれもが拳大の大きさだった。目玉の下には何やら口のような裂け目があって、そこからよだれを滴らせている。
胴体はぼよんぼよんに太っていた。ボロボロで穴の空いた白いローブを着ているが、そこからにょきっと飛び出ている手足には、魚の鱗のようなものがびっしりとついている。そしてその先にある手足は毛むくじゃらのクマの手足のようになっていて、大きな鋭い爪が生えていた。
更に背中にはコウモリに似た翼が四対ほどあるようだった。ただそれらは小さくて、飛行に適しているとは言えなさそうだった。
「おおうあーん」
怪物はまた言って、こっちに向かってどたどたと走ってきた。私は急いで怪物に背を向けて再び走り出す。ユラユラ人たちもゲジゲジのような動きで一目散に町の方へと向かった。
だが、町へと繋がる道に入る直前になって、後方からビームのような謎の緑色の光が四本、発射された。
「わあっ」
私は咄嗟に手で頭を庇った。足がもつれてしまい、顔面からビシャーンと赤い池の中に突っ込む。空洞であるはずのおでこが地面に激突してしまい、ひどく痛んだ。
だが呑気に痛がっている場合ではない。慌てて起き上がって後ろを見る。すると、二匹のユラユラ人の頭部に、それぞれ二つずつ穴が空いているのが見えた。彼らはその穴から大量の紫色の体液を流しつつ、池の中に倒れ込んだ。だがまだ生きている、と思った次の瞬間、怪物がその四つの目からさっきと同じビームを発した。それらはユラユラ人の胸を的確に捉えた。
ユラユラ人たちから再び紫色の液体があふれ出す。やがて二匹の体が、しゅわしゅわと蒸発し始めた。
……死んだのだ。
「……」
正直、彼らが死んでも何とも思わなかった。ただ一つの恐怖が私の頭を支配した。
(私も殺される!)
怪物の四つの目が、確かに私を見据えているのが分かった。
(まずい……)
とにかく次のビームが来る前に距離を取らなくては。私はまた駆け出した。
「おおうあーん」
後ろから声がする。
「おおうあーん。おおうあーん。おおうあーん。おおうあーん」
私は躊躇なく町の中に突っ込んで行った。町ではたくさんのユラユラ人がふらふらと出歩いている。彼らを盾にして逃げ切る算段だ。
「おおうあーん」
怪物を目にした町のユラユラ人たちはパニック状態に陥った。怪物が四方八方にビームを乱発し始めたので、騒ぎは大きくなった。みな、怪物から逃げようとして右往左往している。まさに阿鼻叫喚といった様子である。
今のうちだ、と私は走った。この触手にまみれた姿でこんなに速く走れるとは知らなかった。とにかく、私は神殿に向かった。大いに癪だが、ここは花澄に対処してもらうのが一番だと思ったのだ。
ところが、町を抜けて、神殿の前の何もない広場に出た時には、あの怪物はいなくなっていた。
「……?」
人混みに阻まれて進めなかったのか、それとも私を見失ったのか。さっきあの怪物は、私のことをしっかり見つめていたから、ターゲットは恐らく私のはずなのだが……。
私は疲れた触手を引きずって神殿に戻った。祭壇に登って横になり、わきに置いてある呼び鈴をチリーンと鳴らした。
数秒後、花澄が部屋に現れた。
「どうしたのぉ? 随分と早いお帰りだけど……視察で何かあった?」
「怪物がいた」
私は早口で言った。
「へ?」
「変な化け物が。目が四つついてて、手足がクマみたいで、大きさは私と同じくらいの……。何か鳴きながら私のことを追いかけてきた。何とか撒けたけど、護衛二匹は殺されたよ。……花澄は何か知ってる?」
「……」
花澄は黙り込んだ。
「花澄?」
「……まさか」
「え?」
花澄は目を閉じた。
「うん、……うん。今はそこにいるんだね」
「あのう……」
「安心して、冴子」
花澄は優しげな声を出した。
「あの怪物のことなら、私はよく知ってる。今後はきつくしつけておくから」
「……どういうこと?」
「しつけが終わったら、きっと冴子とあれは仲良くなれると思うよ」
「はい?」
全く意味が分からなかった。だが花澄は質問する隙も与えずにすたすたと出て行ってしまった。
しつけって、何をするんだろう、と私は考えた。やっぱり洗脳とかなのだろうか。それがうまくいったとして、ただ洗脳されただけで本性は殺人鬼である怪物と、仲良くなりたいとは思わない。いや、ユラユラ人をやたらめったら殺すという点のみにおいては、私とあれは話が合うかもしれないが。
何はともあれ、花澄にはあれを早くどうにかしてもらわないと困る。神殿の中では花澄に怯え、神殿の外では怪物に怯え、逃げ場も無いまま一ヶ月を過ごすというのは酷な話だ。
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