第29話 愕然
光川さんは私の頭上から、妙な言葉を唱え出した。
「
唱え終わると、光川さんは「ちょっと失礼」と言って私の頭に手を触れた。その瞬間、私は意識が遠くなるのを感じた。
「ふぁ……」
前のめりに倒れそうになったところを石野さんが支えてくれた。だが私にはもう意識を保つことが出来なかった。目の前に黒い染みが浮かんできて、それが視界の全体に広がった。
私は気を失った。
目を覚ますと、そこは病室だった。ベッド脇には石野さんと光川さんがいて、椅子に座って何か喋っていた。
「あのう」
私がか細い声で声をかけると、二人ともこちらを見た。
「おお、お目覚めか。良かった。気分はどうかな?」
「えっと……」
答えようとした時、私の頭の中で情報の洪水が起きた。
ユラユラ人のこと。花澄に目をつけられたこと。洗脳されたこと。異界人の神様になって、体が著しく変形したこと。私が食べていたのは人肉だったこと。私のせいで毬絵を含むたくさんの人が亡くなったこと。
愕然とした。こんなおぞましいことにどっぷり浸かっていたのに、何の疑問も持たなかっただなんて。
「オエッ」
私は口元を押さえた。喉元まで胃液がせり上がってきた。
許せない。
松原花澄を許せない。
あんなひどいことをするものがのうのうと存在しているなんて、耐えられない。
「気分、悪そうですね」
光川さんは言った。
「それほどまでに、松原花澄の力が強かったんだよ。それを強引に引きはがしたのだから、無理もない。少し、安静にしていなさい」
石野さんは言って、私の背中をさすってくれた。
「はい……」
私は小声で答えて、体の力を抜いた。
「ここは中央病院だよ」
石野さんは親切にも説明してくれた。
「周囲には僕が結界を張っておいた。ここにいれば松原花澄に見つかる確率は少ないないから、安心してくれ」
良かった、と私は思った。花澄はどんなに遠くにいても私の心を的確に読むことができる。洗脳が解けてからは、いつ襲われるか戦々恐々としていたのだ。結界とやらが何かは知らないが、安全なら何よりだ。
「さて」
石野さんは言った。
「松原花澄の存在も特定できたし、彼女に対して何か手を打つ必要がある」
「手を打つ?」
「ユラユラ界を滅ぼし、松原花澄を抹殺する必要がね」
私は少なからず驚いた。同時に、ある記憶が蘇ってきた。
──きっと世界を滅ぼしてね。神使いを倒してね。
昔の家の中の夢を見て、お母さんが最期に私に託した言葉。
「そんなことができるんですか?」
できるとするなら、是非ともやりたい。この手で。
石野さんは真顔で首を縦に振った。
「一応、僕たちのやっている仕事を詳しく説明しよう。……この世界には怪異と呼ばれるものが複数いる。僕たちはそれらの正体を突き止めて、被害を防止するのが仕事だ」
「へえ……それでお給料が出るんですか」
「国が秘密裏に作らせた組織だからね。まあそんなことはさておき、僕らは何十年も前からユラユラ界のことを調べていたし、このところはずっと松原花澄のことを調べていた。そして確信したんだよ。彼女は間違いなく第一級の怪異に相当する存在であるってね」
私は唾を飲み込んだ。
「第一級……?」
「多大な被害を呼ぶ邪神といったところかな」
「邪神……。私も、神様だって言われたんですけど、それとはまた別なんですか」
「僕らの基準で言うと、お嬢さんは神じゃない。それに準ずる存在だね。でも松原花澄は違う。あれはもっと恐ろしいものだ。例えば、ただの人間を、お嬢さんのような怪異に変貌させることができる」
私は背筋が寒くなった。
「私がおかしくなったのって、全部花澄が仕込んだことなんですか?」
私は尋ねた。
「私は自分の意志で神社の裏に行ったと思ったんですけど」
「その時点で松原花澄はお嬢さんをターゲットにしていたはずだよ」
石野さんは淡々と答える。
「おそらく猫を洗脳してお嬢さんをおびき寄せたんだろう。その後何百人もの人間を洗脳して、お嬢さんの高校に入り込んだ。全てはお嬢さんをかどわかすために仕組まれたことだったんだよ」
私は絶句した。
「……な」
辛うじて声を絞り出す。
「……何で私なんでしょうか……」
「前に言ったろう。お嬢さんには特別な力があると。恐らく、生まれつき」
「……母にもそういうのがあったんでしょうか」
「そうかもしれないね」
「……そうですか」
私は悄然として俯いた。
「とにかく」
石野さんは続ける。
「お嬢さんのお陰で僕たちは松原花澄を見つけられた。後は、対処するのみだ。僕らの仕事が成功すれば、お嬢さんはある程度普通の生活を取り戻せるだろう。だから、ほんの少しだけこの病院で待っていてくれ」
胸の辺りから不安が湧き上がってきた。
「そのために石野さんたちは、花澄を殺して、ユラユラ界を滅ぼすんですか?」
「そうだよ」
「それって、危険じゃないですか」
「そりゃあ危険だよ。でもどうにかする」
「それなら……あの」
私は遠慮がちに言った。
「私にも何か手伝えることって、ありますか……?」
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