第2章
第28話 混乱
私は叔母さんから頂いたお小遣いを大事に持って電車の駅前まで出向き、前から行ってみたかったカフェに入った。そこでキャラメルマキアートとベイクドチーズケーキを注文して、心行くまで優雅なおやつタイムを楽しんだ。神様の主食は人肉だけれど、人間が好んで食べる食べ物もちゃんと食べられるのだ。
ご機嫌な気分で、今度は服屋のウインドウショッピングでもしようかと思い、ショッピングモールの中を気の向くままにぶらぶら歩いていた。
「お嬢さーん!」
後ろの方で聞き覚えのある声がした。何だかずうっと以前に似たようなシチュエーションがあった気がするなあと思いながら、私は振り返った。
紳士服売り場の方から、二人の男性が早足で歩いて来ていた。顔を良く見ると、案の定、彼らは石野牧夫と光川亮太のコンビだった。我ながらよく覚えていたと思う。
「お久しぶりです」
私がぺこりと頭を下げると、二人も丁寧にお辞儀をした。
「やっと会えた」
石野さんは言った。
「まさかあの後すぐ、こんなに強力な洗脳と呪いをかけられてしまうなんて。迂闊だったよ。すまなかった」
「洗脳? 呪い? 何ですか、それ?」
石野さんは悲しそうに光川さんを見た。
「これは荒療治をするしかないようだね、光川君」
「そんなにまずいですか」
「まずい。……お嬢さん、今、人間に擬態しているんだろう?」
ずばり言い当てられて私は目を丸くした。光川さんも「えっ」と言った。
「師匠、擬態ってどういうことです?」
「そのままの意味だ。もうお嬢さんはかなり人間からかけ離れたところまで来てしまっているんだよ」
「どうして分かるんですか?」
私は尋ねた。
「化けるのは、結構上達したと思うんですが」
「そう、確かに見た目だけは完璧だよ。でも気配がまるで違う。正体はまるで恐ろしい化け物のようだ」
私はムッとした。私の真の姿を化け物扱いするなんて、失礼な人だ。
「とりあえず僕がこのユラユラ人二匹をやっつけよう」
石野さんはユラユラ人にペタリペタリと手を乗せた。しゅわしゅわとユラユラ時は足元から徐々に消えていき、やがて完全にいなくなってしまった。
殺されてしまったのだ。
「何するんですか! 私の大事な信者に!」
私は驚愕して叫んだ。だが石野さんはふるふると首を振るばかりで、その件については一言も発しなかった。代わりに別の話を始めた。
「これまでは松原花澄のガードが固くて、お嬢さんを見つけることができなくなっていた。だから、ちょうど護衛が手薄な今この時に会えたのは、ほとんど奇跡と言っても過言ではないよ。僕たちはとても運が良かった。さっそく洗脳を解いてあげよう」
「だから、洗脳って何です? それにどうして私の付き人をあんな目に……!」
「そうだなあ」
石野さんは頬を掻いた。
「気づいていないだけで、お嬢さんは、とある人物の支配下にあるんだ」
「は……?」
「このままでは君の神様としての仕事にも影響が出る。だから洗脳を解いた方がいい」
「本当ですか……?」
いかにも怪しいと私は思った。この人たちは私を騙して、何か変なことに利用しようとしているんじゃないだろうか。
「心配はいらない」
石野さんは落ち着いた声音で言う。
「どうしても不安なら、お嬢さんのポケットに入っている親御さんの形見を取り出してみるといい」
「形見? ああ……」
私はポケットから丁寧にあの球を出した。
「それをね、握ってごらん。そして内なる声に耳を澄ませるんだ」
「内なる声……?」
馬鹿馬鹿しい。そう思ったが、知人の目の前で言われたことを断るのも角が立つ。私は左手でキュッと球を握った。
途端に、わああーんという耳鳴りがし始めた。それから、激しい頭痛と、めくるめく記憶の奔流。
私は神様なのに、ようやく神様らしい姿に近づいているのに、ユラユラ界が私の故郷なのに、花澄はとっても優しくて良い人なのに、それが全部間違いだなんてことは絶対にありえないのに、なのになのになのに、まるで私が本当の人間みたいで、ユラユラ界は異様な場所みたいで、花澄がとんでもない極悪人みたいで、私の身にとんでもない災厄が降り掛かっているかのようで、もうどうしたらいいのか、全く分からない。
「が、あっ」
私は苦悶してしゃがみこんだ。耳鳴りも頭痛も止まない。ショッピングに来た客が不審そうにこちらを見ている気がした。
「お嬢さん、落ち着いて」
石野さんが床に座って私と目を合わせ、優しく声をかけた。
「光川君がこれからお嬢さんの苦しみを取り除いてくれる。それまで少しの間でいいから我慢してくれないか」
私はほとんど過呼吸になりながら、小さく頷いた。
今のこの苦しみから解放されるなら、相手が怪しかろうが何だろうが構わない。何だって良いから、早く私を楽にして欲しい。
「それじゃあ光川君、頼むよ。とびっきり強力なやつで」
「承知しました」
光川さんは淡々とした声で答え、私の背後まで歩いてきた。
何をされるんだろう、と不安な気持ちになったが、やはりこの苦痛を取り除いてくれるなら何でも良いと思った。頭が破裂しそうなくらいに痛む。
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