第26話 擬態
花澄は一旦、ウツツ界の自宅に帰ると言って、木嶋家を後にした。
そういえば結局、花澄はどういう立ち位置の人なんだろう。
出会った時は、ウツツ界に住んでいて、学校にも通っていたけれど、ある日を境にユラユラ界に入り浸るようになった。それからはユラユラ界に「帰る」という表現を使っている気がする。
日本語が喋れて、日本風の名前も持っていて、ウツツ界に家があって、人間の姿をしているから、当たり前のように人間だと思っていた。
でも彼女はユラユラ語が喋れるし、ユラユラ界へのゲートを作れるし、ユラユラ界でそれなりに地位が高そうだった。そして極めつけは、「怪異であっても人間に擬態できる」という事実。もしや彼女は人間に擬態したユラユラ人なのか?
別にどっちだって構わないけれど、妙に気になる。明日聞いてみよう。
私は久しぶりに叔母さんと食卓を囲んだ。メニューは白米と味噌汁と焼き魚とほうれん草のおひたし。叔母さんの料理を食べるのは久しぶり、というかそもそも人間の食事を食べるのが久しぶりで、私は強い郷愁を感じた。
私たちは、この数ヶ月間でどんなことがあったのかを、お互いに話して過ごした。私の話があまりに突飛なので、叔母さんは当惑していた。
夕飯を終えて、私は家事を手伝おうとしたが、叔母さんに止められた。
「その体じゃ無理があるでしょう」
「でも……」
「いいから休んでいなさい」
「あ、うん……」
私は車椅子に深く腰をかけた。手近なところに会った本棚から適当に小説を選んで読み始める。そういえば読書というのも久々だ。
叔母さんはお風呂も入れてくれた。私はもうお風呂に入らなくても清潔を保っていられる体になっていたけれど、湯船に浸かるのは気分が良いので、ありがたく頂戴する。
何か月かぶりに制服を脱いだ。
ブレザーを籠に放り込むと、コトンと音がした。そういえばお母さんの形見の球をポケットに入れっぱなしにしていたなと思い出す。それから確か、反対側のポケットには朱色のお守りを入れっぱなしにしている。私はこう見えてちょっと粗雑なところがあるから、何となく捨てる機会を逸して、そのまま入れっぱなしなっているのだ。
(ま、別にわざわざ捨てることもないか)
私は服を全部脱いでしまうと、腕の触手で湯船に捕まってよじ登り、お湯に浸かった。お風呂で体を十分に温めてからベッドに入ると、とっても心地が良かった。
翌朝、花澄が家にやってきた。私の部屋で、擬態の特訓をするという。
「よろしくお願いします」
私は改まって挨拶をした。内心、どんなことをやらされるのか見当もつかずどきどきしていた。
「うん」
花澄は相変わらず柔和な笑みを浮かべている。
「まずはイメージトレーニングをしよっか。自分が人間だったらどんな姿だろうって想像するの。もともと人間だった冴子は、もとの姿を思い出すだけでいいから、簡単だねえ」
「うん」
私は実際に自分の本来の姿を思い出してみた。
「できたぁ? じゃあ次は、お腹にぐっと力を入れて。鳩尾の下辺りにね。その間、人間の姿をイメージするのを忘れちゃだめだよ」
「うん」
普段使わない筋肉なので、これには少々苦労した。
「そうそう、良い感じ。お腹があったまってきた?」
「うん」
「じゃあその熱を、体全体に解き放ってみてね」
「解き放つ?」
「こう、ぐわああーって、全身に熱を伝えるの」
「ぐわああー?」
「そう。ぐわああー」
ここで私はつまずいた。花澄の言っていることが理解できないまま、一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日目を迎えた。
その間ずっと私は懸命に、腹部の熱を末端にまで伝えるよう工夫していた。そして三日目の朝、とうとう感覚を掴むことに成功した。
触手の一本一本がまとまっていき、腕になる。足の形も人間らしく整っていく。
「おおーっ」
花澄は拍手した。
「できたねえ。良かった良かった」
私は鏡の前で一回転し、それから自分の姿をまじまじと見た。ちゃんとした人間の手足に、少し高めの身長。完璧に再現できた。これは、叔母さんは喜ぶに違いない。
「私、叔母さんに会って、見せてくる。まだ出勤前だろうし」
「いってらっしゃい」
私はトントンと日本の足でしっかり階段を下り、叔母さんのところまで歩いて行った。
やっぱり叔母さんは、私の擬態の成功をそれは喜んでくれた。
「本当にこんなことができるんだ。すごいんだね」
「うん。頑張った」
「……冴子の元気な姿が見られて、本当に良かった」
叔母さんの目が一瞬潤んだ気がした。
叔母さんとしばし歓談した後、私たちはユラユラ界に帰ることになった。
「やっぱり行くんだ」
「うん。ごめん」
「……じゃあ、元気で。殺人鬼に気を付けて。連続不審死の事件、まだ起こっているからね」
「ああ、うん。私なら大丈夫だよ。叔母さんこそ気をつけて」
その頃にはクラゲ型のユラユラ人たちも全員集合していた。私たちは叔母さんの家を出て、白波神社に向かい始めた。
今度は私は自分で歩いていた。ユラユラ人が空っぽの車椅子を押していた。
道中で私は、ずっと気になっていたことを二つ、花澄に尋ねることにした。
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