第23話 記憶


 あれから何ヶ月過ぎただろうか。相変わらず私は、七日に一ぺん、人肉のお料理を御馳走になっていた。他の時間は主に祭壇の上でゴロゴロしている。体の様子もだいぶ変わってきていた。もう腕は完全に触手と化していて、一本一本を器用に動かせる。足は歪な形に変形してきたので、私は歩くことができなくなっていた。まあ、元々、移動は祭壇の上に乗って行われるから、さして不便も感じなかったが。


 だが私には悩みがあった。一向に背が伸びないし、太りもしないのだ。お母さんはあんなに背が高くて、胴体も見事に太っていたのに、私はなかなかそうならない。

 それから顔もそうだ。未だに人間らしい顔つきを保っている。これでは神様としての貫禄がない。困ったものだ。

「焦ることはないよ」

 花澄は私をなだめた。

「そのうち立派に変身できるからね」

「うん」

「冴子は強い力を持った神様だから、絶対にうまくいくよ」

「うん」

「冴子は私の言うことを信じていれば大丈夫だから」

「うん」

「信じている限り、必ず報われるからね」

「うん」


 私は祭壇の上でうつ伏せになって、ごろんごろんと体を転がした。その時、腰の辺りに、小さくて固いものが当たったような気がした。

「ん?」

 どうやら左ポケットに何か入っているようだ。確認のために触手をポケットに突っ込んだ。因みに私はまだ制服を着ている。入浴や着替えをしなくても清潔でいられる体になったから、わざわざ着替える必要がないという理由もあるが、一番の理由は私がまだ神の姿になれていないことだ。

 ブレザーのポケットの中から出てきたのは、透明なビー玉みたいなものだった。これは何だったかなと私は一生懸命考えた。そして思い出した。


「お母さんのだ」

「えっ?」

 花澄は驚いた声を上げた。

「お母さんの形見だ。死んじゃったお母さんの……」

 しゃべっている内に、私は色んなことを思い出した。私はよっこいしょと身を起こした。


「そういえば、もう随分と叔母さんに会ってない。学校にも行ってないよ」

 花澄は眉尻を下げた。

「それでいいんだよ。冴子はここにいるのが大事なんだから」

「でも、前はちょっとくらい席を外しても問題なかったよね。よくユラユラ界とウツツ界を行き来してたよね」

「それは、そうだけど」

 口ごもる花澄に、私はお願いをした。


「ねえ、私、ウツツ界に行きたい。叔母さんとかに会いたい」

「うーん、それはぁ……」

 花澄はちょっと渋った。

「あれ、駄目だった?」

「駄目というか、何というか。……行っても、面白いこと無いと思うけど」

「そんなことないよ。学校はともかくとして、せめて叔母さんには会っておきたい。どうしても駄目?」

「……ううん、駄目じゃない」

 花澄は諦めたように首を振った。

「良かった」

 私は笑みを向けた。

「それなら、明日にでも旅行に行くよ。準備、お願いしてもいいかな」

「分かったよ。支度は信者たちにやってもらおうね」

 そう言って花澄は部屋を辞した。


 私はお母さんの命の結晶を、明かりの下で掲げて見上げてみた。

 綺麗だと思った。どこまでも澄んでいて美しい。

 そういえばお母さんは、これを私に託す時、何と言っていたっけ……うーん、思い出せない。大事なことのはずなのに。お母さんの最期の言葉。

 私はしばらく考えていたが、どうも思い出しそうになるたびに思考が鈍ってしまう。その隙に記憶はどこか遠くへと逃げ去ってしまう。その繰り返しで、私は一向に答えに辿り着けない。

 まあ、いいか。たぶんきっと、そのうち思い出せる。そんなことより、今はウツツ界のことだ。


 旅行に行く支度は、多分そんなに大変じゃないと思う。移動のための車椅子と、触手を隠すための毛布さえあれば後は何とかなる。食べ物はいらないし服も着たままなので、お金も必要ない。

 ただ問題なのは、誰をお付きの者とするか、そして何人をお付きの者をするかである。これは揉めそうな気がした。当然、花澄はメンバーの中に入るだろう。だが残りの席で争奪戦が起こってもおかしくない。

 血を見る事態にならないといいけれど、と私は思った。ユラユラ人は割と血気盛んで、すぐ喧嘩をしては、相手の触手を引きちぎったり、相手に噛みついて肉を抉り取ったりする。怪我をしては元も子もないというのに、彼らはなかなか喧嘩の習慣を改めるつもりになれないらしい。全く愉快な連中だ。


 さて、翌日の昼下がりである。

 とりあえず、お付きの者のメンバーは決まったらしい。二、三人、顔や胴体に痣を作っている者もいたが……総勢十人のユラユラ人が私の旅に同行することになった。みんなやる気満々といった様子だ。

「そんなに気張らなくてもいいよ」

 私はみんなに声を掛けたが、あまり効果は無い。大事な大事な神様の御身をお守りするのだと、みんなして息巻いている。肩肘張らずに立っているのは花澄くらいのものだ。


「それじゃ、行こう」

 私は言った。信者の一人が直立二足歩行で車椅子を押し始める。他の信者たちもぞろぞろと続く。

 私たちは、神殿を出た先に作ってあるゲートを、順々に通り抜けた。

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