第22話 幸福

 私は祭壇の上で横になりながら、細かく裂かれたようになっている自分の触手をしげしげと眺めていた。花澄はこの触手のことを美しいと褒めてくれる。花澄に褒められると嬉しくて昇天しそうになる。もっと褒めてもらいたい。そのためにはもっと美しくならなくては。


 例えばお母さんは私の二倍くらいの背丈があった。あんな風になりたい。今、私は細部が変貌しているだけで、本当の神様の姿になりきれていないのだ。着ているものはいつも同じ制服なのだが、この制服に体が収まりきるようでは、神様としてまだまだだ。


「冴子」

 花澄が部屋に入ってくる。

「儀式の時間だよぉ。信者たちが祭壇を運ぶから、落ちないように気を付けてね」

「あー、うん」

 私は起き上がるのが面倒くさくて、寝転がったまま生返事をした。


「じゃ、四人とも、運んでちょうだい。くれぐれも揺らしたりしないようにね」

 花澄は信者たちに支持を出すと、部屋から出て行った。信者たちは黙って持ち場に着くと、重そうな祭壇を軽々と持ちあげて、すいすいと歩き始めた。

 神殿の入り口前に祭壇は設置された。集まっているユラユラ人たちは新しい神様に興味津々といった様子だった。


「えいあー」

「おおあー」

「むみゃー」


 みな口々に何か喋っている。やはり彼らが何を言っているのか、私にはまるで分からない。これも、そのうち分かるようになるのだろうか。お母さんも私には分からない言語で喋っていたから、私だって喋れるようになるはずだ。そう思いたい。

 少し待った後、会場では、以前のように笙と和太鼓の音がし始めた。楽しい踊りの時間の始まりである。私は高みからそれを見物していた。一番前の列には花澄がいた。彼女は四つん這いでばたばたしながら楽しそうに踊っていた。彼女は私と目が合うとにっこりと微笑んでくれた。

 ああ、なんて幸せなんだろう。私は心の底からの笑みを浮かべた。そして花澄の動きに合わせて、ちろちろと触手を動かしてみた。うん、とっても楽しくて、愉快で、幸福だ。

 私が踊りに参加しているのを見た信者たちは、大いに盛り上がり、一層体を大きくくねらせた。私は嬉しくて、頬が緩んだ。


 曲が終わり、踊りも終わると、私はまた祭壇ごと神殿の最奥部まで運ばれた。私が定位置につくと、ユラユラ人たちは忙しなく働き始めた。彼らは料理を運んでいる。触手をにゅーんと伸ばして、床から祭壇の上の方まで皿を移動させる。みるみるうちに、私の前には、御馳走が並べられていった。

 どれもが肉料理で、野菜や穀物なんてものは一切無かった。皿に乗ってはいるのだが、箸やスプーンやフォークは見当たらない。どうやら手で食べるようだ。

「いただきます」

 私は手掴みで料理を味わった。出された料理は、驚くほどジューシーでコクがあり、噛めば噛むほどに肉汁が染み出て旨味が増した。


「気に入った? 冴子」

 花澄が祭壇の下まで来て話しかけてくれた。

「うん。とっても美味しい」

「でしょう。この肉は、恵まれた人生を歩んできた日本人の女の肉なんだよ。子供のころから人気者で、一度も誰かにいじめられることがなかった人なんだよ。親の金で大学に入ったり、親のコネで就職したり、それはもう順風満帆な人生で、とても贅沢な生活をしてきたんだって」

「へえ」

「信者たちが、冴子に食べてもらうために一生懸命選別した人間なんだ。たんと食べていいからね」

「分かった。感謝しながら食べるよ」


 私はむさぼるようにして肉料理を食べた。七日ぶりの食事は体と心に大層沁み渡った。私はまだ完璧な神じゃないから、断食にも慣れていなかったのだ。早く私も、週一回の食事で事足りるような体になりたい。

 私は出された料理をぺろりと綺麗に完食した。お腹がはち切れそうになっている。私は大満足だった。夢見心地で、祭壇でごろんと横になる。

 花澄はその一部始終を、嬉しそうに見学していた。


「ねえ花澄……」

 私は寝そべったまま、下で立っている花澄に話しかけた。

「うん? なあに?」

「私、神様になれて良かったかも。花澄がいつもそばにいてくれるし、みんなからは感謝されるし、ごはんは美味しいし、身体もだんだん変化してきたし……」

「うんうん、そうだよねえ」

「それに、いるだけでいいって、すごく楽だもん。何も考えずにぼうっと座っているだけでいいんだから」

「冴子が良かったと思ってくれるなら、私もこれ以上嬉しいことはないよ」

 花澄は本当に嬉しそうに口角を上げ、目を細めていた。

「これまでに私がお迎えしてきた神様たちの中には、私と相性が悪くて早死にしちゃうお方も多かったから……そしたら信者たちは悲しむし、私は新しい神様を探さなきゃいけなかったし、色々と大変だったんだよね。でも冴子なら安心できる。これからも二人でユラユラ界を牽引していこうねぇ」

「うん。よろしく、花澄」

「よろしくねぇ、冴子」


 私たちは笑い合った。

 本当に、脳がとろけそうなくらいに、幸せな日々だった。あとは、もっと立派な神様になれれば、もう言うこと無しだ。

 私は鼻歌を歌いながら目を閉じて、幸福感に浸った。

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