第19話 疾走


 私はたまに花澄に連れられて神殿を出入りしつつ、普通の学校生活を送っていた。連続不審死事件はまだ続いていて、毎日誰かしらがむごたらしい遺体になって発見される。でも私の生活は変わらない。バスに乗って登校し、午前中の授業を受け、花澄とお弁当を食べながら雑談をする。お弁当の時間にはたまに毬絵も加わることがある。

 

「それでさ、物理の授業で寝ちゃったんだよね。誰か後でノート見せて」

「えー? 私は、授業ついていけてないからノートもぐちゃぐちゃだよ。冴子に見せてもらった方が良いよぉ」

「わ、私もついていけてるかは分かんないけど……私ので良ければ、貸すよ」

「助かる。後でジュース奢るよ」

「それは楽しみ」


 そう言った瞬間、背筋が凍るような感覚に襲われた。私は素早く振り返った。

 そこにはクラゲ型のユラユラ人が立っていた。


 最近の私なら、突然ユラユラ人が現れても動揺などしないはずだった。それがどうして今、怖いと思ったのだろう……。その疑問は、花澄の発言で解消された。

「あれぇ、あの子、毬絵のこと見てるよぉ。やる気じゃない?」

 私は戦慄した。

「まずい。どうしよう」

 一方の毬絵は何のことか分かっていない。

「急にどうしたの?」


 花澄はまた半笑いの表情を見せた。彼女は毬絵を助けてくれそうにない。ならば私がどうにかしなくては。尤も、花澄のようにユラユラ人を操る術を持たない私が、どれほどのことができるのかは分からないが。


「落ち着いて聞いてね」

 早口で毬絵に言う。

「今、怪物が毬絵のことを見てる。不審死する危険がある。急いで逃げるよ」

「ええ……?」

 毬絵は完全に当惑していた。

「私、オカルトとか信じてないんだけど……」

「いいから!」

 私は大声を出した。

「早く逃げよう!」


 私は毬絵の腕を引っ掴んで立たせ、走って教室を抜け出した。そのまま廊下を疾走する。毬絵は何か言いたげな顔をしていたが、おとなしく走ってついてきた。

 私は、何をすればいいのかは分からないから、とりあえず隠れようと思っていた。ユラユラ人の移動速度は遅いから、全力で走れば撒けるかもしれない。姿をくらまして、ユラユラ人が諦めるのを待つ。今はこの作戦しか思いつかない。

 とにかくあのユラユラ人の目の届かないところまで逃げなくては、という一心で走る。だが、パニックになっていたから、冷静にものを考えられない。まずは学校の外に避難しようとしたが、階段を降りようとしたところでまた別のユラユラ人を見つけてしまった。

「ああ、駄目だ! やっぱりこっち!」

 方向転換して今度は階段を登る。もちろん何か策があるわけでもない。私の足は自然と美術室に向かっていた。美術室の教壇の下に、毬絵を押し込める。


「冴子」

 毬絵の声は至って平静だった。

「本当に私が狙われているの?」

「花澄が言うには、そう」

「そっか。ここにいれば安全なの?」

 そう毬絵が尋ねた瞬間、美術室の扉をスウッと通り抜けて、ユラユラ人が姿を見せた。さっき教室にいたのと同じ個体だ。

「……ごめん、安全じゃなかった……」

 私は呟いた。それからダメ元でユラユラ人にこう言ってみた。

「そこの愚民、あなたの獲物は私の友達だよ。殺すことは許さない」

 ユラユラ人は全く耳を貸す様子が無く、一直線にこちらに向かってくる。そりゃそうだ、と私は思った。彼らに日本語は通じない。


 私は教壇の裏に張り付いて、毬絵を守る格好をした。だがユラユラ人は私の体を通過して鞠絵の目の前に立った。

 私は血の気が引くのを感じた。


「やめて……」


 最後の懇願もユラユラ人に届くことはなかった。ユラユラ人は細い足を矢のような速さで毬絵の腹部に突き刺した。

「痛っ」

 毬絵は声を上げた。

 ユラユラ人は攻撃の手を緩めない。目にもとまらぬ速さで毬絵をどんどん突き刺した。教壇の下が鞠絵の鮮血で染まる。

「毬絵!」

 私はどうにかユラユラ人から毬絵を遠ざけようと、毬絵の腕を引っ張ったが、そんな愚鈍な動きをユラユラ人は待ってはくれなかった。幾本もの触手が毬絵の腹を次々と貫いて、あっという間に毬絵の腹部には大きな穴が空いた。

 私は震える手でスマホを掴み、救急車を呼んだ。それから職員室にも電話する。もう毬絵が助かる手はこれしかない。ユラユラ人の攻撃を止める手立てが無いから、あとはなるべく早く処置を受けてもらうしかない。

 だが結局、救急隊員は間に合わなかった。毬絵は、臓物を引き摺り出されたまま、血溜まりの中でこと切れていた。


 先生たちが美術室に駆けつけていた。警察も来ていた。生徒たちは立ち入りを禁じられたので、美術室の外の廊下に人だかりができていた。

 私は泣いていた。こんな形で目の前で友達を失ったのもショックだったし、それが間接的には私のせいだということも耐え難い苦痛だった。

 私は担任の先生に背中を撫でられながら、警察の事情聴取を受けたが、話そうとしてもしゃくりあげるばかりで何も言えなかった。

「また今度にしましょうか」

 警察の人は言った。

「はい。すみません……」

 私は涙声で何とかそう言った。そして私は早退した。泣きながらバスに乗って、泣きながら道を歩いて、部屋に閉じこもって一層激しく泣いた。

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