第17話 祭壇

 私たちは黒い祭壇のある部屋まで辿り着いた。

「さあ、冴子、祭壇の上に登って」

「……分かった」

 以前抱き上げられたことがあるから、祭壇のてっぺんがどんなものかは分かっているつもりだったが、予想していたよりかなり広く感じられた。


「うん。そこが冴子の居場所だよ」

「ずうっとここにいろってこと?」

「だいたいはそうかもねえ。神様っていうのは、いるだけでユラユラ界が安定する存在だからね」

「え……じゃあ、仕事って、ここで寝てるだけ?」

「うんまあ、基本的にはそうだけど、たまに食事を摂ったりするよ」

「たまに……?」

「週に一回くらい。それだけでもユラユラ人は生きられるから」

「でも私、ユラユラ人じゃない」

「すぐに馴染めるよぉ。ほら」


 花澄は私を指さした。私は立ったまま全身を見下ろした。それからあっと気が付いて、また制服のシャツをまくった。

 腕が肩から手首にかけてが、絹糸のような細さに裂かれていた。


「なるほど」

 私は納得した。

「つまりここにいると私はユラユラ人っぽくなっていくんだ?」

「そゆこと」

「でも……」

 私はちょっと困った顔をしてみせた。

「ずっとここにいるわけにはいかないよ。家にも帰らなくちゃだし、学校にも行かなくちゃ」


「別にそんなことしなくてもいいと思うけど」

 花澄は変なことを言った。

「えっ?」

「まあ、してもいいか。冴子は既に役目を果たしているわけだし」

「え? 私、何かした?」

「言ったでしょう、いるだけでいいって。冴子は先代より遥かに力の強い神様だから、もう効果は覿面だよ」

「効果って何の?」

「ユラユラ人を元気にする効果、かな」

「どういう意味?」

「いずれ分かる時が来るんじゃないかなぁ」

 花澄はにっこり笑ったが、それ以上説明してくれる様子は無かった。しばらく沈黙が降りた。

「あの……私、いつまでここにいればいい?」

「いつまでも。気が済むまで」

「あ、じゃあ、もう気は済んだかな……」

「そっか」

 花澄は制服の襟を正した。

「それなら。行こっか。ウツツ界に」

「うん」


 私はそろそろと祭壇を降りた。

 結局、ユラユラ界での神様の役割ってよく分からないな、と私は考えながら、花澄の後ろを歩く。

 だが、ゲートをくぐった途端、そんな考え事は吹き飛んでしまった。


 大波神社には、数えきれないほどのクラゲ型怪異がひしめいていたのだ。

「うわあ」

 私は思わず声を上げた。

「こんな大混雑、初めて見た……」

「冴子のお陰だね」

「私?」

「冴子が祭壇にいる間に、ユラユラ人の活動が活性化したんだよ」

「へ、へえ……」

「これまで神様が弱っていたせいでユラユラ人も弱っていたけれど、今日からは違う。冴子という立派な神様をお迎えできたから、みんな活発になってる。食事もちゃんと摂るようになるよ」

「そうなんだ……」


 あんな短時間でこんな効果があるんだ。

 それにしても壮観だった。ちょっと前の私がこれを見たら、頭痛を通り越して失神していたかもしれない。今なら平然としていられるけれど……。


 ユラユラ人たちは、神社の境内から、一匹また一匹と出て行って、てんでばらばらに町へと散って行っている。

 私たちもそれぞれの家に帰るために歩き出した。ところが、丁度二人の行く道が分かれるところで、衝撃的な事件が起きていた。


 小学生くらいの一人の少女が、お腹の中心部から内臓が掻き出された状態で、仰向けになって地面に倒れていたのだ。そしてそのそばには、クラゲ型のユラユラ人が佇んでいた。

「ひゃあっ!?」

 私は悲鳴を上げた。ユラユラ人はそのひょろひょろとした足で、現在進行形で少女の臓物を取り出していた。


「やだっ、何これっ! やめてっ! やめてったら!」

 私は無我夢中でユラユラ人に掴みかかったが、手はスカッとユラユラ人の体を通り抜けてしまった。これでは力尽くで止めることもできやしない。

「嘘でしょ!? きゅ、救急車!」

 私は震える手でスマホを取り出し、通報をした。

「少女が大怪我をしているんです! 場所は大波神社の近くの……」

 必死でしゃべりながら、頭の片隅で違和感がむくむくと膨れ上がっていた。

 花澄が、ただただ突っ立っているだけだったからだ。動揺もしない。助けようともしない。不思議な呪文でユラユラ人を操ろうともしない。まるで目の前の惨劇を何とも思っていないみたいだ。

 電話を切って、私は花澄を振り返った。彼女は半笑いで、意識不明の少女を見ていた。

 私は、さすがにぞっとした。


「花澄……?」

 私は恐る恐る話しかけた。その間にも少女はユラユラ人によって攻撃されている。一刻も早くこれを止めなければ。

「花澄、前みたいに呪文を使ってよ……! このユラユラ人を止めて!」

 花澄はまだ笑ったままだ。

「どうして? 冴子は被害を受けていないんだから、止める必要なんて無いと思うなぁ」

「何を言ってるの!? 子どもが死にかけてるんだよ! 助けなくちゃ!」

「もうその子は助からないよ。放っておこう。さあ、行くよ」

「そんなことできるわけないでしょ!」

「そう?」

 花澄は頭を傾けた。

「まあ、冴子がいいなら、ここにいても構わないけど」

 何という言い草だろう。私はしばらく空いた口が塞がらなかった。

 ユラユラ人は、少女から引っ張り出した臓物を持ち上げて、ぶよぶよの部分に持っていった。すると臓物はするんとぶよぶよの中に入って消えた。

「た、食べてる……!?」

 私はその凄惨な光景を、なす術もなく見守るしかなかった。

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