第16話 形見

 翌日、待ちに待った放課後、私と花澄は早足で大波神社に向かっていた。いつものように、花澄がぷるぷるしたゲートを出現させる。私は逸る気持ちを押さえながら、ゲートの中に飛び込んだ。

 着いたのは、あの奇妙な装飾が施された神殿の入り口前だった。


「おかえりなさい、冴子」

 花澄は言った。

「え? おかえりって?」

「だって、ここは神様の住む場所だから。ここが冴子の家なんだよ」

「なるほど」


 私は素直に納得して、神殿の中に足を踏み入れた。そのまま真っ直ぐ進むのかと思いきや、花澄は左手に逸れた。

 部屋の左にも、次の部屋への入り口がぽっかり口を開けていた。


「何をするの?」

「先代へのご挨拶だよ」

「先代って……お母さんに会えるってこと?」

「そうだよ」


 私は少しの緊張と大いなる期待をもって花澄に続いた。

 部屋の中には相変わらずランダムに柱が立っていて、謎の光が灯っている。そして部屋の真ん中には寝台が置いてあって、そこでお母さんは一人で寝そべっていた。


 お母さんは、深く眠っているように見えた。黒い服からはみ出ている触手すら、ぴくりとも動かない。何だか起こすのが憚られたが、花澄は躊躇なくお母さんを揺り起こした。

「先代、冴子が挨拶に来ましたよ」

 お母さんはのろのろと寝返りを打って、億劫そうに起き上がった。

「おあー……」

 何か言っている。私は寝台のそばにしゃがんで、お母さんの顔、もとい漆黒の闇に向かって語り掛けた。


「お母さん、冴子だよ。分かる?」

 お母さんはもぞもぞと身動きをした。

「さ、え、こ」

「そう、冴子が来たんだよ」

「おああ」

 お母さんは以前のように触手を伸ばして私を撫でようとした。だが触手は思ったように伸びなかったらしい。代わりに私が顔を近づけると、糸のように細い触手が何とか私の頭に乗っかった。


 私は花澄を見た。

「お母さん、前より元気がないみたいだけど……」

「そりゃあそうだよぉ。死にかけてるんだから」

 こともなげに花澄は言った。

「えっ……」

「あれ、忘れちゃった? 役目を終えた神様は緩やかに死ぬんだって、教えたと思うけど」

 確かに、花澄はそんなことを言っていた。だが、こんなに早く衰弱するなんて聞いていない。


「今日にも命が尽きるかもね。だから冴子を呼んだんだ」

 私の胸の中に得体の知れない激情が湧きおこったが、すぐにそれは押さえつけられた。

「そっか」

 死に目に会わせてくれようだなんて、花澄は優しい。どこまでも良い人だ。

「お母さん」

 私は語り掛けた。

「ちゃんと私がそばにいるからね」

「……うぁ」

「寂しくないからね……次の神様はしっかり私がやるからね」


 そう言った途端、お母さんのか細い触手がカッと熱くなった。

「えっ?」

 瞬きをした私が目を開けると、そこは神殿の中ではなくなっていた。

 見覚えのある、私が小さい頃まで住んでいた家の中に、私とお母さんは二人だけで立っていた。花澄はいなくなっていた。そして何より、お母さんは人間の姿に戻っていた。


「冴子」

 優しい声が耳に届く。

「冴子、負けないで。私みたいにならないで」

「お母さん?」

「お母さんの命の結晶を冴子に託すから、しっかりと自分を保っていなさい。そして、きっと世界を滅ぼしてね。神使いを倒してね」

「何を言ってるの?」

「冴子ならできるって、お母さん信じてるから」


 お母さんはしっかりした二本の腕で私を抱きしめた。

 私は、お母さんの言っていることが一つも分からなかったけれど、もうすぐお別れなんだということだけは理解できた。熱いものが頬を伝った。

「愛してるよ、冴子」

 お母さんがそう言ったのを最後に、バチンッと音がして、部屋の風景は消滅した。


 お母さんは相変わらず神様の姿で、寝台に横たわっていた。私の頭に置かれていた触手が、だらりと力無く落ちて行った。しゅわしゅわしゅわ、とお母さんの体が足元から徐々に消えていく。

 お母さんが完全に消えてなくなるまで、私はじっと目を離さずにいた。


「ご臨終だね」

 花澄は厳かに言った。

「これからは冴子が本格的に神様をやるんだよ」

「……うん……」

「じゃあ、祭壇の部屋に向かおうか」


 花澄はあっさりと部屋を去った。私は急いで立ち上がって後を追おうとしたが、ふとブレザーのポケットに異物が入っているのを感知した。

 取り出してみると、それは、きらきらと光る透明の球体だった。大きさはビー玉ほどだ。手触りはつるつるしていて、ひんやりと冷たかった。

 どうしてこんなものが急にポケットの中に現れたのか、考えられる可能性は一つだけだった。

 これがお母さんの言っていた命の結晶というやつだ。つまりこれは、お母さんの形見。


「冴子?」

 花澄が振り返って私を呼ばわる。私は球体をポケットに隠した。何故かこれは花澄に見られてはいけないもののような気がしていた。

 花澄はあの部屋での私たちのやりとりを聞いていなかったと、私は確信していた。だからこれは秘密にしておかなければならない。お母さんは世界を滅ぼすとか物騒なことを言っていたけれど、せめてその言葉の意味が分かるまでは、この球体の存在は隠しておいた方が良いだろう。

「ごめん。今行く」

 私は小走りで花澄の後を追った。

 

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