第14話 意志
美術室にて、描き上がったユラユラ界の風景画をじっと見る。
まだあそこを訪れてから一週間しか経過していないのに、ひどく懐かしく感じられる。
私はクロッキー用紙を持ってくると、今度は神殿の中の様子を思い出しながら下絵を描き始めた。
ユラユラ界にてスマホで写真を撮らなかったことが心底悔やまれる。あの時は恐怖やら不安やらで頭がいっぱいになっていて、それどころではなかったのだ。
次に行くときは写真を撮るのを忘れないようにしなければ。もちろん絵のためでもあるけれど、私の大好きな場所なのだからちゃんと記録を取っておきたいという気持ちもあった。
ともかく今は写真が手元に無いのだから致し方ない。記憶を頼りに、あの複雑な構造と装飾をした神殿内部の様子を紙の上に再現するしかないのである。
四苦八苦しながら鉛筆を走らせる。特に、あの正体不明の証明や、複雑な形の彫刻は、描くのが困難だった。
納得できる形に仕上がる前に、部活の時間は終わってしまった。できれば今日中に下書きを完成させて、キャンバスに線を引きたかったのだが、その余裕は無かった。
まあいいや、焦ることはない。どうせならもう一度ユラユラ界に行って、撮った写真をしっかりと見ながら清書した方が良いに決まっている。
片づけを済ませた私は、花澄と毬絵と一緒に高校を出て、バス停までの坂道を下った。
花澄は徒歩での登校だから、バス停まで来たところでさよならだ。後には私と毬絵が残された。
「冴子」
毬絵が呼んだ。
「ん、何?」
「ちょっと言いづらいんだけどさ」
毬絵は珍しく口ごもった。あのはきはきした性格の毬絵が発言を渋るなんて、よほど言いづらいことなのだろう。
案の定、彼女は気まずい話題を繰り出してきた。
「花澄って、全然悪い人じゃないけど、ちょっと変わってるよね」
「えっ?」
私は面食らった。
「そ……そんなこと無いと思うよ? 花澄はすごく良い人だよ」
「うん、悪い人とは言ってないよ。でもね」
毬絵は真っ直ぐ私を見た。
「花澄といる時の冴子、ちょっと様子が変なんだよね」
「様子が……? どんな風に?」
「うーん……」
毬絵は考え込む。そしてこう言った。
「なんか、花澄に依存してるっていうか。最近は特に、花澄の言うことならほいほい従ってない?」
「えっと……」
私は困ってしまった。
「それって駄目かな?」
「駄目だと思う」
毬絵は例によってはっきりと言った。
「友達って対等なものでしょう? 冴子だってもっと自分の意志を持たないと」
「自分の意志……無いように見える?」
「たまにね、そう見えるよ」
「そうかな……」
まあ、はたから見たらそうかもしれない。確かに私は花澄の希望に従っている。でも、私は私の意志で、そうすることを決めているのだ。花澄の望みを叶える行動を取りたいから、そうしているだけ。授業でペアを組む時も、お弁当を食べにどこかへ移動する時も、美術部で活動する時も、自分の意志で花澄に従っている。だから毬絵の指摘はやや的外れに思えた。
「私は好きに生きてると思うんだけどな」
「そう。……冴子がそう思っているなら、そうなのかもね」
「そうだよ」
「そっか」
それでこの話はおしまいだった。丁度バスが来たので私たちは乗り込んで、席に座った。そして、また他愛のない雑談を始めた。
「今日は冴子は何を描いていたの?」
「……また、夢の中の風景を。最近、変な夢をよく見るからね」
「でもこの間は、あの絵が完成したら、次は一緒に胸像のデッサンをするって言ってなかった?」
「あ」
言われて思い出した。そういえばそんな約束をしていた。
「ご、ごめん、すっかり忘れてた。せっかく一緒にやろうって言ってくれたのに……。本当にごめん」
「いや、謝るようなことじゃないよ。気にしてないから。絵は好きなものを描けばいいと思うし」
「……そっか。ありがとう」
「それにしても、夢を絵にできるってすごいな。私なんかいつも起きた途端に忘れてるから、とてもできそうにない」
「たまたま覚えていただけだよ」
私は嘘を重ねることに罪悪感を覚えながら答えた。
「でも、また同じ夢を見たいって思えるような、強烈な印象のある夢だったんだ」
「完成させたらちゃんと見せてね」
「うん……頑張るよ」
やがてバスは毬絵が降りるバス停に停車した。
「じゃあね」
「うん。ばいばい」
私は二人掛けの席の窓側に一人で座って、考え事をした。
(友達とは対等なもの……か)
先程の毬絵の言葉を反芻する。
(でもそれってあくまで一般論だよね。私の場合は花澄に恩があるんだから、尽くしたいと思うのも自然じゃないのかな。それとも、変なことなのかな。今までちゃんと友達付き合いってものをしてこなかったから、よく分からない……)
ぐるぐると考えていたから、危うくバスを乗り過ごすところだった。私は慌ただしくバスを降りた。
かばんを肩にかけ直す。
そして家の方へと向かおうと足を踏み出しかけた時、誰かがじっとこちらを見ているのに気づいた。
(……? 知り合いだっけ?)
思い出せなくて、私はじっとその人の顔を見た。
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