第11話 儀式


 私は祭壇の前まで来て、お母さんを見上げた。

 お母さんが何を思っているかは分からない。顔が無いから表情も読み取れない。

 お母さんは、以前のように、肌色の触手をいくつもひょろひょろと伸ばすと、私のことを抱き上げて祭壇の上に乗せた。こんなに細っこい触手なのに、随分と力持ちだ。


「……お母さん?」

 私は当惑してお母さんを見た。お母さんは私の向きを群衆の方に転換させると、自分も寝そべった体勢から起き上がって祭壇の上に立った。

 おおーっと群衆が再びざわめく。


「おああああん」

 お母さんは言った。

「おああああん」

 そして今度は私の顔の向きを自分の方に動かして、あのブラックホールみたいな顔でじっと私を見つめた。私は吸い込まれそうな感覚に陥り、ぼうっと立っているしかなかった。


 不意に、左腕に違和感を覚えた。何かがうごめいているような……。ぞっとした私は、神聖な儀式の最中であるにも関わらず、人目をはばからずに大慌てでブレザーを脱いで、赤い染みのついたワイシャツをめくった。

「ひゃっ!?」

 私の左腕が、縦に細かく分かれていた。血は出ていない。骨も肉も初めからそこに無かったみたいだ。ただ、肘から手首にかけての部位が、ばらばらに裂かれたようになっていた。それらは重力に従ってたわむように垂れ下がっている。その見た目はユラユラ人の触手を連想させた。


「こ、これ……どうなってるの」

「おああ」

「お母さんが、やったの? こんなこと……」

「そうだよ」

 祭壇の下から花澄の声がする。

「冴子はたった今、神様として認められたんだよ。ついに神様になれたってこと! おめでとう!」

 それから花澄は群衆に向き直り、こう叫んだ。

「るいあふ! さえこ!」

 おおーっと再び歓声。ユラユラ人たちは触手を踏み鳴らして興奮している。ばしゃばしゃと水音が鳴る。


「ちょっと待って!」

 私は震える声で抗議した。

「神様になるなんて、私は承諾してないでしょ!? どうして勝手なことをするの!!」

 だが誰も私の声を聞いていなかった。花澄でさえも。

 どうしよう、と私は思った。こんな姿じゃまともに日常生活を送れない。学校の人には変な目で見られるだろうし、叔母さんだって心配するだろう。仮に病院に行ったとて、医者が何かできるとも思えない。


 パニックを起こしている私を他所に、また音楽が鳴り始めた。ユラユラ人たちはまた一斉に踊り出す。それを前から見ていると、何だか意識が自分の肉体を離れていくような、奇妙な感覚に陥った。急速に思考が鈍る。体もうまく動かない。自分を制御できない。

「おあああ!」

 気づけば私は叫んでいた。

 これが正しいんだ、という気持ちになっていた。

 私には使命がある。ユラユラ人たちの心の拠り所になるという使命が。すると今度は右腕に違和感があった。見ると、手までいくつにも裂かれている。シャツをまくると、肘から手にかけてが例の触手みたいになっていた。

 動かせるかな、と思って力を込めてみると、思いの外容易に動かせた。一本一本が思いのままだ。 

 私が右腕を掲げてユラユラ人たちに見せると、彼らの興奮は一層高まった。ほとんど熱狂的なパッションをもってして無我夢中に踊り狂う。私は愉快な思いでそれを見ていた。いくら見ても見飽きない面白さがあった。ずっと見ていたかったけれど、しばらく経ってから、また太鼓がドンドンドンと鳴った。ユラユラ人たちは踊りをやめた。


 花澄が祭壇の前まで歩いて来た。そしてよく分からない挨拶のようなことを、ユラユラ人たちに向けて言った。

「ぬほすの、りつこ、けぞはん、めしきれ! るいあふ、さえこ、えしぬみ、みなびた!」

 ワーッと轟くような歓声が上がる。ユラユラ人たちはそれはそれは興奮して、ばしゃばしゃと触手を動かした。

 こうして、儀式は、大盛況のうちに幕を下ろした。


 やがてユラユラ人たちはその場からはけた。お母さんはずるり、とずり落ちるようにして祭壇から降りた。

「お母さん」

 私はそれを追いかけて、慎重に黒い祭壇を下る。お母さんは私を振り返ることなく、無言で神殿に入っていった。


 あの情熱的なダンスが終わったからだろうか、私はいくらか落ち着きを取り戻していた。

「元神様は偉大だったけど、冴子はもっと偉大になるよ」

 花澄は言った。

「……私、やっぱり、本当に神様になっちゃったのかな」

「もちろんだよぉ」

「お母さんは? 代替わりしたなら、また人間に戻れる?」

「戻れないよ」

 花澄は何でもないことのように言う。

「力を使い果たした神様は、ゆるやかに死ぬだけだからね」

「……そんな」

「大丈夫。冴子のお母さんは力が弱めだったから、十年程度で役目を解いたけど、冴子はもっと長生きできるよ」

「そ、そういう問題じゃなくて……」

「なあに?」

 花澄は潤んだ黒目で私を見つめた。

「冴子は、自分が神様になったのに、不満でもあるのかな?」

 私はまたしても急速に思考が鈍るのを感じた。

「不満は、ないけど……」

 気づけばそう口にしていた。

「ならいいよ。さあ、そろそろ夕方になるし、一旦ウツツ界に戻ろうね」

 花澄は神殿から離れて歩き出した。

 私はもやもやした気持ちを抱えて花澄について行った。

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