第10話 踊り
ゲートをくぐった途端、私は脳味噌が雑巾みたいに絞られているかのような頭痛に見舞われた。深呼吸をして落ち着こうとしたが、喉の辺りがきゅっと締まっていて息ができない。
「あ……が……」
「まだ慣れてないみたいだねえ」
花澄が声をかけてきた。
「仕方がないなあ。ほら」
花澄はいつものように、手を伸ばして私の頭に触れた。痛みがすうっと引いていく。完全には消えなかったけれど、これくらいなら何とか我慢できる。
今更ながら、花澄って何者なんだろう、と思った。
ふうと溜息をつくと、周りの景色を見る余裕が生まれた。
私たちは神殿から少し離れた場所に立っていて、真横から儀式の様子を見る格好になっていた。
何百匹ものユラユラ人が這うような格好で触手を使って立っている。彼らはみな整然と神殿の方を向いていた。みんな目玉が無いのに、どうやって同じ方向を向いているのだろう。
時折、そのやたら多くて細っこい足を、ぐるぐると動かしている。赤い水がばしゃっと音を立てる。ばしゃっ、ばしゃっ、と不規則な水音は絶えることがない。
「私たちも行くよ」
花澄は言って、ユラユラ人の集団の先頭の方に歩き出す。私はユラユラ人の列の最前線にまで連れてこられた。私たちは正座をした。
「こんな前に来てもいいの?」
「いいんだよぉ」
「そっか……」
自分が数百のユラユラ人に背中を向けて神殿の方を見ていると思うと、背中がぞわぞわするし、何だか悪目立ちしているようで恥ずかしい。
やがて神殿の中から、あの黒い祭壇が運び出されてきた。その上にはお母さんが寝そべっている。祭壇の四隅には直立して歩行するユラユラ人がいて、粛々と祭壇を支えて運んでいる。あんな大きな物体なのに、ユラユラ人たちはたった四匹で平然とそれを持ち上げている。祭壇はちっとも揺らいだりしていない。
祭壇が神殿の前に置かれた。運び屋のユラユラ人も、他のユラユラ人の列に加わって、体を前に倒した。
みな一心に、お母さんのことを見上げている。
突然、雅楽の笙のような音が背後から聞こえ始めた。同時に和太鼓のようなものが激しいリズムで叩かれ始める。
「おああー」
「おああー」
「おああー」
ユラユラ人たちが一斉に何か言い始めた。低い声もあれば、高い声もある。私はちらっと横目で背後の様子を確認した。
ユラユラ人たちは奇妙な踊りを踊っていた。ひたすら体を左右にぐねぐねと捻らせている。いくつもあるゲジゲジみたいな足は、それに合わせて波打っている。音楽が鳴っているのにみんな動きがばらばらで、好きなテンポで踊っているようだった。
「冴子」
花澄が声を掛ける。
「私たちも踊るよ。神様に失礼の無いようにね」
「え……」
あれに参加したいとは微塵も思っていなかった。滑稽だし、意味不明だし、何が楽しいのかも分からない。
だが、花澄が言うなら仕方がない。私もやるしかないのだろう。
「でも、どうやって……」
「私の真似をすればいいよぉ」
そう言って花澄は四つん這いになり、ゆらゆらと胴体を左右に揺らし始めた。頭もそれに合わせて振るので、長い黒髪がさらさらとなびいた。更に花澄は、腕と足をランダムにぐるぐると回し始めた。
「おああー!」
一際大きい声で奇声を発する。がなり立てるような声音だった。この可憐な容姿からはとても想像できない声だ。
「おああー! おああー! おああー!」
「か、花澄」
「おああー! ほら、冴子もやって」
花澄は四つん這いのまま、私の肩を手で優しく叩いた。
ぐにゃりと世界が歪む。
私はほとんど無意識に、四つん這いになって、体を左右に振り始めた。
「おああー!」
普段なら考えられないような声量で、意味も分からずに奇声を真似する。
それから手足をどたばたと回した。うまく踊れなくて、私は何度も赤い水の上に倒れ込んだ。もう全身ずぶ濡れだ。
「それでいいよ、冴子」
花澄は笑って、一心不乱に踊りを続けた。
それからどれくらい時間が経ったろうか。私はずっと夢中で踊りをやっていたので、分からなかった。
やがて太鼓がドンドンドンと三回鳴って、音楽は終わった。私たちは踊るのをやめた。
花澄は赤い水を滴らせながら立ち上がった。私もそれに従う。
「よぎふる、べほはん、えいらは」
花澄は謎の呪文を唱え、両腕を大きく広げた。
「ふえいあ、てわわん、さえこ」
おおーっとユラユラ人がざわめいた。
「さあ、冴子」
花澄は言った。
「祭壇の真ん前まで、歩いて行ってね」
私はびっくりした。
「私が? あそこに? 何で?」
「そうすべきだから」
「ええ……? 花澄は行かないの?」
「行かないよぉ。冴子一人で行くんだよ」
「どういうこと? 何をするの?」
「それは行ってみてからのお楽しみかなぁ」
「何それ……」
「無駄口を叩いていてはいけないよ。いいからほら、行ってらっしゃい。きっと素晴らしいことが待っているから。早く!」
花澄は私の背中を叩いた。また、世界がぐにゃりと歪むような感覚がした。
行かなきゃいけない、と私は思った。
花澄の言う通りにしなくてはいけない。
「……分かった」
私は歩き出した。
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