第7話 神様


 入り口には精緻な彫刻が施されていた。縦に長い楕円形の口がぽっかりと穴を空けていて、周りはうじょうじょの触手の彫刻で覆われている。私は慄然とした。もしかして、これの中に入るのか。何だか食べられちゃうみたいで怖い。これ、私が中に入った途端に、パクッと口が閉じたりとかしないよね?

 花澄は私の手をぐっと引っ張った。私は目を見開いたまま、及び腰で後に続いた。


 神殿の中は、床も壁も天井も真っ白で、薄暗かった。部屋の形は円形。多くの白い柱が立っていて、一本一本に触手が無数に巻き付いたような彫刻がしてある。柱の中央には、正体不明のドーナツ型の明かりがぽわんと宿っていて、それだけがこの部屋の中の光源だった。一つの部屋を通り過ぎると、また楕円形の入り口があって、その先にまたまた円形の部屋が続いている。それぞれの部屋の柱の配置に統一性はなく、まるで赤子が無作為に置いたかのようにばらばらだった。


 一つ部屋を過ぎるごとに私は気分が悪くなっていった。だが花澄は歩む速度を緩めない。ぐいぐいと引っ張ってくる。私は荒い息を吐きながら何とかついていった。

 五番目の部屋を通り抜けると、次の部屋の前には扉が立ち塞がっていた。この扉の彫刻は一際複雑で、色んな種類のユラユラ人が奇怪な格好をしている姿が描かれている。

 地獄の門みたいだと私は思った。

 きっとこの先に神様がいるんだ。


 花澄は扉をノックすると、返事も待たずに無造作に扉を開けた。そんな不躾な真似をしていいのかと思う間も無く、うっと私は不快な気分になってしゃがみ込んだ。扉の隙間からは黒い瘴気のようなものが漂ってきていて、それを吸い込むと猛烈な吐き気に見舞われる。

 花澄がまた私の頭に優しく手を置いた。それでいくらかましになったが、胸がむかむかするのは収まらない。

「行くよ」

 花澄が言うので、私は吐きそうなのを我慢して無言で立ち上がった。そして、一層薄暗いその部屋の中に入った。


 部屋の最奥部には巨大な祭壇が置かれていた。仏壇みたいに真っ黒で、つやつやしている。それはいくつもの段を形成しており、最上部にはに平たい椅子があった。そこには白いクッションが敷き詰められていて、その上に何かが横たわっている。

 そいつは図体が大きくて、背丈が私の二倍くらいはある。体型はぼよぼよと太っていた。ゆったりした滑らかな黒い服を着ている。その広い袖から、無数のひょろ長いモヤシみたいな、肌色の触手が覗いていた。足元にも肌色の触手があって、こちらはタコみたいな吸盤がついており太めだった。そして顔は無かった。ブラックホールみたいに全ての光を吸収してしまうような空洞がそこにはあった。そしてその上に、何故かしっとりと濡れた黒い長髪がとってつけたように被さっている。


 花澄はその怪物を手で指した。

「神様だよ」

 そうだろうなとは思っていたが、想像を遥かに凌駕するほどの気色悪さだ。これが神様だとか、勘弁して欲しい。私は耐えきれなくなって、またしても床に膝をついた。頭がぐわんぐわんと揺さぶられているようだった。


「おあああああ」

 神様は言った。口もないのにどこからどうやって発声しているのか。内容はちんぷんかんぷんだったが、どういうわけかその言葉が花澄には理解できたようだった。

「うん。ここに有能な娘さんを連れて来ましたよぉ。これで一安心です。良かったねぇ」


 一安心? 良かった? 何が? だが私が何か尋ねる前に、神様は腕の無数の触手をみょーんとチーズみたいに伸ばして、何と私に襲い掛かった。

「ひっ」

 私は掠れた悲鳴を上げて、かばんを取り落とした。神様は私の腰に触手を回した。生温かいものがうぞうぞと細かく動く感触が死ぬほど気持ち悪かった。

 もがいているうちに、私は軽々と神様に持ち上げられてしまっていた。

 神様は何故か私のことを抱擁するような仕草をした。虚無の穴のような顔が間近に迫る。私は全身に鳥肌が立つのを感じた。最早悲鳴も出なかった。恐怖のあまり体中がカチンコチンになっていた。


「おああああ」

 神様は私を抱きしめながら何か言った。

「おああ……おあ……さ……」

 私は抗議しようとしたが、口をパクパクさせるばかりで一言も言葉にならない。そんな私の様子を気にした風もなく、神様は頑張って何か発言しようとしているらしかった。

「さ……さ……い……こ」

 神様は言った。

「……さ、え、こ」

 どうやら名前を呼ばれたらしい。こちらからは名乗っていないのにどうして分かるのか。

「さえこ」

 今度ははっきり言った。

「さえこ」

「……」

「さえこさえこさえこさえこさえこさえこさえこさえこさえこさえこさえこさえこ、さえこぉぉぉ」

「は、はい」

 私は頭がぐらぐらするのを必死で耐えて、声を絞り出した。すると神様はようやく黙って、満足げに頷いた。


「良かったねえ、冴子」

 花澄が下の方から声をかけた。何が良いものかと思ったが、花澄は続いて信じ難い発言をした。

「それ、冴子のお母さんだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る