第6話 変形
歩いても歩いても、見渡す限りの赤い地平が続くばかりである。何の目印も無い。ばしゃばしゃと水を蹴りながら進む。本当に私たちは前へ進んでいるのかと疑問に思うくらい、周囲の景色は代わり映えがしない。
ところが、はたと花澄が立ち止まった。
「見て見て。ユラユラ人が帰ってきたよ」
花澄の指さす方を振り返ると、確かにそこには、私たちが通ってきたような膜が忽然と現れていた。私はびくっとした。全く気づかなかった。花澄はどうやって気づいたのだろう。
そのゲートから、例のぶよぶよの物体が現れた。私は身構えて警戒した。
そいつは完全にゲートを潜り抜けて、全身を現した。
途端にそいつの黒い頭の部分が、ボコボコッと泡を吹くようにして、不気味に変形し始めた。
「えっ」
私は声を上げた。
「何か形が変わってる」
「これから、彼が本当の姿に戻るよ。ウツツ界にいる時は、どういうわけか、クラゲ型になっちゃうみたいだけどね」
花澄はこともなげに説明した。
ボコボコッと音は続く。ぶよぶよの部分がみるみるうちに大きくなり、私たちの背丈くらいにまで肥大する。すると今度は、ブクブクブクッと水が沸騰するような音を立てて、ぶよぶよが変形し出した。何かを形作っているようにも見える。人間、だろうか。頭のようなものと、胴体のようなものが形成されていく。それから、色もどんどん変わっていく。
やがてゲートの前には、今までとはまた違った怪異が現れていた。
空洞になった大きな眼窩。あんぐりと開きっぱなしの口。灰色の肌。ぼさぼさのピンク髪。そして相変わらずもやしみたいな細い足を複数本生やしていて、それでうじょうじょと赤い水の上をほとんど腹這いになって歩行している。
そいつが変貌を遂げた途端、私は猛烈な頭痛と吐き気に襲われた。正直、こっちの姿の方が気持ちが悪いし、怖い。クラゲもどきなんて比にならないくらい。
思わずうずくまった私の頭を、花澄はそっと触った。頭痛も吐き気もスウッと収まっていった。
「大丈夫だよぉ、冴子」
花澄は言った。
「何かあっても私が守ってあげるから、安心してね」
私はこくこくと頷いた。
「立てる?」
「……うん」
のろのろと立ち上がった。ユラユラ人は、ゲジゲジが走るみたいに俊敏にその場を離れ、私たちの進行方向と同じ方へと消えていった。
「それじゃあ、気を取り直して、出発しましょうか」
「うん」
私は花澄に手を引かれるがまま、真っ赤な池の上をばしゃばしゃと歩いた。足は靴下までもうぐっしょり濡れていた。果てしなくどこまでもこの風景が続くような気がしていたが、やがて遠くの方に、大理石のような白い壁でできた、宮殿にも似た建物が見えてきた。その周りには同じく真っ白で統一された構造物がぽつりぽつりと並んでいる。
「冴子、疲れてない?」
花澄が気遣うようにこちらを見てくる。
「うん……大丈夫」
私は微笑した。もう随分歩いた気がするのに、一向に疲れてはいなかった。さっきユラユラ人の変貌に遭遇した時のショックがまだ残っているが、これは大したことではない。そういうものだと飲み込んでしまえば、少しは心が落ち着く。
「良かった」
花澄は言った。
「ここらへんからは、ユラユラ人たくさんいると思うから、気をつけてね」
「うん」
気をつけてってどうやって、と思ったが口には出さなかった。きっと花澄がいれば大丈夫だろうという気持ちがしていた。
実際、何匹ものユラユラ人に遭遇したが、頭痛は起きなかった。害虫の群れを見た時のような嫌悪感が走りはしたが、それで体調が悪くなりはしなかった。
このまま、彼らに囲まれても何の違和感も抱かなくなる時が来るのだろうか、と想像する。頭痛がするのは慣れていないからだと花澄は言った。この嫌悪感も慣れたら薄れるだろうか。
それは何だかおぞましいことのように感じられた。当たり前の日常が変貌していくような危機感もあった。
(私、どうなっていくんだろう)
不安で脈拍が速くなる。私は花澄の手をそっと握り直した。
花澄は、宮殿の方向に向かっているらしかった。白い壁がよりくっきりと見えるようになってきた。更に歩いて、近づいてよく見ると、白い壁には彫刻がしてあった。ユラユラ人の細い手足のようなものが丹念に彫られている。
「花澄……」
「ん? なあに?」
「あの、宮殿みたいなところ……誰か住んでるの?」
「ああ、うん。あれはね、神殿だよ。神様が住んでる」
私は首を傾げた。
「神様って、いるの? 本当に?」
「もちろんいるよ。ユラユラ人はみんな神様が大好きなんだ。謁見もできるから、今からしにいくんだよ」
「ええっ」
急に、異形のものたちが崇拝する神のもとに行くなんて。そんなことは聞いていないし、心の準備だってできていない。どういう物なのか、想像もつかなかった。
「あの、か、神様って、どんな感じ……? やっぱりうじょうじょしてるの……?」
「うじょうじょ?」
今度は花澄が首を傾げる。
「よく分からないけど、お優しいお方だよ」
「……そっか……」
優しいなら、頭痛とかも起こさないでくれると嬉しいのだが。あと、見た目的にも気持ち悪くない方向性でいてほしい。
やがて私たちは神殿の入り口に到着した。
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