第4話 お守り

 翌朝、私がバス停で降りると、また例の異界人がよろよろと覚束ない足取りで坂の辺りを歩いていた。私は軽く頭痛を覚えた。

 それは構わないのだけれど、シャキッとした姿勢のワイシャツ姿のおじいさんが、その異界人に向き合っていたのには驚いた。


 まさか二日連続で、化け物を視認できる人と出会うなんて。

 いや、おじいさんはたまたまぼうっと坂を見ているだけで、異界人を見ている訳ではないのかもしれない。

 そう思って高鳴る胸を懸命に抑えていたが、どうやらおじいさんは本当にユラユラ人をしっかりと睨みつけているらしい。ユラユラ人が足をうじょうじょ動かして移動すると、それを目で追っている。


 やがておじいさんは両手を変な形に組んだかと思うと、化け物ち近づいて、そのぶよぶよ部分に手のひらでぺちんと触れた。私は目を丸くした。


 あれに、さわれる人がいるのか。


 だが次にもっと衝撃的なことが起こった。異界人は、ソーダの泡が消えていくみたいに、足元からしゅわしゅわと掻き消えて、ついにその空間からいなくなってしまったのだ。


 頭痛は、ピタリと止んだ。


 私は、他の生徒が学校に向かう中、ぽけーっと立ち止まっておじいさんを見ていた。おじいさんは私の視線に気が付いたのか、にこっと笑いかけて私のもとまでつかつかと歩いてきた。

「お嬢さん、見えているね。ユラユラ人が」

 言い当てられた私は少なからず動揺した。ひっくり返った声でこう返す。

「は、はい。あの、さっきはあれ、け、消したんですか?」

 おじいさんはゆっくりと首を縦に振った。

「僕は仕事で祓い屋をやっていてね」

「祓い屋?」

「色んな怪異をやっつける仕事だよ。こうしてユラユラ人を殺すのも、役割の一つなんだ」

「こっ……」

 私は一瞬言葉に詰まった。

「殺しちゃったんですか? か、彼らは単に、観光に来てるだけなのに……」

「観光?」


 おじいさんは眉をひそめた。


「いや、彼らは人間に危害を与える。彼らのせいで死ぬ人間は後を絶たない」

「えっ……」

「お嬢さんが頭痛だけで済んでいるのは運が良いだけだよ」

「……」


 急に不安になってきた。私はユラユラ界に行っても平気なのだろうか。

 いや、それより、私からは話していないのに、なぜこのおじいさんは頭痛のことを知っているんだろう。


「あれの行動を観光だと言ったのは誰かな?」

 おじいさんは尋ねた。

「あの、学校の友達で……」

「ふむ」


 おじいさんは手を顎のあたりにやった。

「関係者か……? それともまさか、本人が出たのか……? いや、どっちにしろ……」

 何かぶつぶつ言っている。

「な、何ですか?」

「……つかぬことを聞くが、そのお友達の名前は、松原花澄かな?」

 私は度肝を抜かれて、目を皿のようにした。

「ええっ!? あの、はい、そうですけど……えっ? どうして分かったんですか? お知り合いですか?」

「知り合い……ではないけれどね。なるほど、そういうことか……」


 おじいさんは何やら深刻な顔をしていた。それから険しい声で言った。


「……お嬢さんは今日、松原花澄と一緒に、異界へ行くつもりだね?」

「えっ、あっ、はい」

 また言い当てられた。

「どうしても行くのかな? あまりおすすめはできないんだが」

「ええっと……」

 せっかくできた友達のお誘いを断るなんて、私にはできない。それにあの世界では、お母さんが生きているかも知れないのだ。行かないではいられない。

「……そうか。どうしても行くのか。……気を付けておいで。彼らの常識は僕たちとはかけ離れているからね」


 おじいさんはポケットをごそごそ漁り、神社でよく売っているような朱色のお守りを取り出した。

「これを持って行きなさい。もしもの時は中身を開けて、敵に投げつけると良い。きっと役に立ってくれるはずだからね」

 敵? ユラユラ界には、私の敵となるようなものがいるのだろうか。そもそもユラユラ人たちは頭痛の元凶だから敵といえば敵だが、慣れれば頭痛もなくなると聞いたし、何より花澄といれば何の心配もいらないはず。

「いえ、その、結構です」

「良いから、肌身離さず持っていなさい。さあ、早く受け取って。もうすぐ始業の鐘が鳴るだろう」

 おじいさんは私の手に無理やりお守りを捻じ込むと、すたすたと坂を下って行った。

 私はしばらく呆然としていたが、おじいさんの言う通りこのままでは遅刻するので、学校への道を急いだ。


「……っていうことがあったんだけど」

 私はお守りを見せながら花澄に説明した。花澄は顔をしかめた。

「嫌だなあ、その人。きっと悪い人だよ」

「悪い人……?」

「そんなお守り、捨てちゃいなよ」

「え……」

 お守りを捨てるなんて、罰が当たりそうで気が引ける。

「捨てちゃいなよ」

 花澄は繰り返し言った。私は曖昧に笑った。

「い、一応持っておこうかな。気休めにはなるかも知れないし……」

「ふうん」

 花澄はやや気分を害したようだった。私は慌てた。

「もちろん、花澄のことは頼りにしてるよ」

 そう言うと花澄はいつもの柔和な笑みを取り戻した。

 私は心底安心した。そしてお守りをそそくさとポケットに仕舞い込んだ。

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