第46話 青い屋根の家

 今朝は雲ひとつない抜けるような青空。


 アドレおばさんのパン屋の朝はいつも通りの幸せの匂いでいっぱいだ。


 今日は居候のディルも手伝って、手際よく3人で開店準備を進める。

 パン屋を手伝う王弟殿下って… 深く考えないようにしよう。


「あんた達、朝食を食べ終わったら店のことはいいから、目立たないうちにさっさと出かけておいで。今日は、やっと絵を仕上げるんだろう」

 アドレおばさんがオーブンからパンを出しながら、にこにこしてこちらを見てくる。


 ディルが一瞬、隣にいたわたしを優しい眼差しで見る。

「アドレさん、ありがとうございます」

 わたしの隣で棚にパンを並べていたディルがうれしそうに応える。


 アドレおばさんが生温かい目でわたしとディルを見てくる。

 ディルはアドレおばさんのその目に気づいていないようだが、わたしは思わず赤面してしまう。

 「うん。アドレおばさん、ありがとうございます。行ってきますね」

 慌てて、わたしも返事をする。


 3人で楽しく朝食を取った後、アドレおばさんがサンドイッチを昼ごはんにと渡してくれて、早く行くように急かしてくる。

 わたし達は画材と絵を手に、追い出されるように店を出た。


 アドレおばさんがわたし達の後ろ姿を心配そうに見つめながら呟いていたのには全然気づかなかったけど。

 「あの子達、お互いの思いに気づいているのかね。今日は作戦通りに上手くいくといいんだけど…」



 まだ、朝が早いこともあり、ほとんど人通りはない。


 わたし達は手を繋ぎながら、厳密にはディルが手を離してくれなくて、ずっと手を繋いだまま通りを歩く。

 わたしの心臓は高鳴り、頬が熱くなっている自覚はある。 

 だから、今回の討伐の活躍で話題の王弟であり、まして黒髪の黒い瞳で麗しく目立つ容姿のディルと歩くのに、人通りが少ないのは本当に良かったと心底思う。


 「大広場を通って行くよ。あの時も大広場から、あの家に行ったのをレナは覚えてる?」

 ディルもまた、わたし達が大広場で出会った時のことをよく覚えている。


「あの時は必死に逃げていたし、まるで迷路のような路地を何本も通ったから、どこを通ったのか見当すらつかないのよ」

 わたしはラストリナに来てから、記憶を頼りに坂道を登ったところにあった青い屋根の家を探してみたが、路地のどこを通ったか細かいことを覚えていなくて、ウロウロはしてみたが結局は探し出すことは出来なかった。


 大聖堂がある大広場から、家々の朝の様子が垣間見られる石畳みの細い路地を通り、あちこち曲がりながらしばらく歩くと街外れに出てきた。


 記憶にある、坂道を登り切ったところにある青い屋根の小さな庭のある古い家に辿り着いた。


「レナ、お疲れ様。ようやく、ここにレナを連れて来ることが出来たよ」

 感慨深そうにディルは家を見つめている。


「この家は?」

「ああ、この家は生母の別荘なんだ。正しくは何代も前の先祖の家なんだけどね。だから、ここは兄やザックなどごく限られた人しか知らない家なんだ」

「そうだったのね」

 だから、あの時は隠れ家として使っていたのか。


 中に入ると記憶通りのままで、小さな玄関ホールに年代物の家具などなにも変わっておらず、懐かしい。


 ディルにエスコートされて2階に上がり、一番奥にある広い部屋を通るとあのバルコニーがあった。


 目の前に青とも緑とも言えるネオンブルーのチャドワ湖が広がる。

 

「……綺麗…ね」


 この景色を讃えるのに言葉では表現出来ない。


 もう一度、ここからこの景色をふたりで見られることができる幸せを奇跡を噛み締めるかのようにしばらく、ディルもわたしも無言でじっと湖を眺める。

 

 不意にディルが後ろから、抱きしめてきた。


「…ディル」

 わたしの後ろ髪に顔を埋めるようにディルが耳元で囁く。


「レナ、君と一緒にもう一度この景色を見られる日が来るなんて… 絵が仕上がったら、話があるんだ」

 ディルの熱い吐息を耳元で感じる。


「う…うん」


 頷くだけで精一杯。

 

「さぁ、6年を経ての約束を果たそう」

 ディルに頭をポンポンとされて、やっと羞恥心から解放される。


 画材を準備して、お互いが思い思いの額に入れていた絵を額から取り出し、テーブルの上で合わせてみる。


 それはとても感動的な瞬間だった。


「いま、再びひとつになるのは奇跡のようだな」

 ディルの綺麗な黒い瞳が潤むのがわかる。


「そうね。この日をどんなに待ったか。ずっとこの約束は果たしたかったの…」

 

 絵を見ながらこれまでのことが思い出され、目頭が熱くなり絵がぼやけて見える。


「それは俺もだ。俺はあの日からずっと、レナに恋をしている。絵を描いてるレナが綺麗だった。そして、ずっとラストリアにいられない俺を思って絵をくれたレナのその心が温かく優しく、あの頃は明日死んでいるかも知れない状況の俺の心に染み渡るように希望をくれたんだ」


 ディルが討伐の前日、アドレおばさんを交えて伝説の話を聞いていた時に少しだけ話してくれた、義母に命を狙われていたこと。

 ディルがフラップ王国の王族だとわかったいま、その事件はわたしも少しは知っている。

 父が隣国の騒動に頭を抱えていたのが思い出される。

 

「絵を塗ろう。今日中には仕上げなければな」

「大丈夫よ。すぐに仕上がるわよ」


 お互いの頬に伝う涙を愛しそうに見つめ、伝う涙を互いの手で拭い合う。


 ディルがわたしの頬に伝う涙を拭う手は、彼の心のように大きく優しくそして温かい。

 そして、わたしがディルの頬に伝う涙を拭う手で少しでも、ディルに安らぎを感じてもらえるなら。

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