第42話 治癒魔法

小降りの雨の中、部隊は森の中を予定通り進み、やっと森を抜け池の周辺までたどり着くとそこは想像もしていない状態になっていた。


「「「なんだこれは?」」」

 一同が驚きの声を上げる。


 驚くことに、池の水は水と思えないような真っ黒で、周辺は土が盛り上がったり、草が踏み荒らされている。

 倒木も目につく。

 ここに間違いなく魔獣がいると一目でわかる。


「しっ、静かに!」


 先頭に移動していたディルがなにかに気づいたようだ。

 みんなに黙るように指示をする。

 ディルが風魔法を発動させ、風がピタリと止み、辺りは静寂に包まれた。

 

 わたしも防御魔法を解く。

 地面や草木に当たる雨音だけが響く。

 皆が息を殺し、雨の音以外に集中する。


 なにかの大きな息づかい。

 とても大きく近い。そしてひとつでない。


 静寂の中、緊張が走る。

 そして遠くの前方にそれは現れた。

 ディルや騎士様が剣を抜き、前方に走る。


「レナ嬢は我々の後ろにいてください」

 ザックさんが冷静な声でわたしに声を掛けると、わたしの前に立つ。


「いえ、ザックさん、わたしもみなさんと行きます。きっと魔法でないと魔獣は倒せない!」

 

 ザックさんの制止を振り切り、ディルに追いつこうと走る。

 しかし、日頃から訓練されている人たちに追いつける訳がない。

 ザックさんが必死の形相で追ってくる。


 走りながら転移魔法の呪文を詠唱する。

 わたしは心の中で呟く。

  (なる早で!!!)


 次の瞬間、最前列のディルの横に転移した。

 前方から迫り来るアーヴァンクに剣を向けてディル達は構えている。


 ディルはすぐに転移したわたしに気づくと叫んだ。


「!!!レナっ!後ろに下がれ!!」


 わたしも叫び返す。

「いいえ!わたしも一緒に!伝説の少女は勇者と一緒に戦って魔獣を倒したのよ!きっと魔法がないと魔獣は倒せない!」


 ディルがアーヴァンクから目を離し、わたしを見る。


「いいのか?」

「もちろん。そのために来たのよ。覚悟はとっくに出来ている。わたし達が力を合わせないときっと魔獣は倒せない」


 ディルの綺麗な漆黒の瞳の奥に決意が見えた。

「わかった。レナ、共に戦おう!」

「はいっ!」


 ディルが最前列の一緒に並んでいた騎士に声を掛ける。


「皆は我々の後ろに下がって援護してくれ」


「で…殿下、それは危険過ぎます!」

「っ!殿下!!」


「頼む。このままでは我々の魔法に皆を巻き込んでしまう」


 騎士様が渋々だが素早く下がり、援護の態勢を取る。

「行くぞ!レナ!防御魔法を展開してくれ!」


 わたしはコクリと頷くとすぐさま、迫り来るアーヴァンクの前に防御魔法を展開する。


 それと同時にディルがひらりと空中に舞い上がった。

 なんて風魔法!!

 

 展開した防御魔法にアーヴァンクがぶつかって轟音とともにひっくり返った。

 地響きがする。

 

 そこに空から勢いよく舞い降りてきたディルが剣を一振りするとアーヴァンクが二つに割れた。


 空中で状況を把握してきたディルが叫ぶ。

「皆、構えろ!数が多いぞっ!」

 

 前から横からとアーヴァンクが出てくる。

 皆が切っても切っても湧き出てくるようにアーヴァンクが現れる。

 わたしは、とにかくアーヴァンクの前に防御魔法を展開する。

 防御魔法の壁にアーヴァンクがぶつかってひっくり返ったところを騎士様達が切るということを繰り返す。


「ディル、アーヴァンクが湧き出てくるようなんだけど!」

「池から湧き出ているようだ!」

 ディルはこんな状況でも原因を把握しているようだ。


「うわっ!!!」

後ろで悲鳴が上がり、誰かが怪我をしたのか怒号が飛び交っている。

 皆の慌てぶりで怪我の状態がよくないのが伝わってくる。


「ディル、ひとりにしてもいい?」

「俺は大丈夫だ!様子を見てきてくれ。レナ、無理は禁物だぞ」

「大丈夫!」

 

 戦線を離脱して悲鳴の上がった後方に駆ける。

 怪我をした騎士様が2人の騎士様に担がれて安全なところまで退避しようとしていた。

 担がれている騎士様の背中は制服が破れ、真っ赤に染まり、顔に血の気がない。


「怪我の背中を見せて」


「「レ、レナ嬢!!」」


 担いでいた2人の騎士様が怪我をしている騎士様の背中に触れるわたしに動揺する。


 思った以上に傷が深い。

 このままでは助からない。

 急がなければ。

 誰も死なせたくはない。

 この力を…この魔法を。


 真っ赤に染まる騎士様の背中に意識を集中させる。

 わたしの手と背中がポゥと明るくなり、身体にほのかな熱を感じる。


 見ている者が一連の現象に息を呑む。


 治癒魔法が成功したようだ。


 担がれていた騎士様の目が開き、ほぅと息をつく。

担いでいた騎士様も唖然としている。


「上手くいって良かったわ!もう大丈夫!」

 わたしは治癒魔法が上手くいったことに安堵した。


 怪我をしていた騎士様の背中が綺麗になったことを確認して、急いで前方に踵を返し、転移魔法で一瞬でディルの横に転移した。


 ディルが剣を振りかざしながら、わたしが来たことを横目で確認する。


「レナ、大丈夫だったか?」

「ええ!後方の騎士様はもう大丈夫よ」

「なにをしてきたのかは後で聞く。いまから竜巻でアーヴァンクを1カ所に集める。そこを雷で頼む!」

「わかったわ。やってみる」


 ディルが大声で指示を出す。

「全員、後方に移動!」


 そこはさすが騎士様。

 サッと波が引くように全員が後方に下がった。


 それを確認したディルが詠唱を始めると、あちらこちらから同時に強い風が起こったかと思うとそれがすぐに何本かの竜巻に変化した。

 

 竜巻が動き出し、アーヴァンクを1頭…また1頭と巻き込んでいく。

 逃げ惑うアーヴァンクを次々に巻き込んでいく。

 竜巻から上手く逃げて来たアーヴァンクは、騎士様達によって斬られていく。


 何本もの細い竜巻はアーヴァンクを巻き込みながら、次第に太く大きくなり、やがて合体を繰り返し、1本の大きな竜巻になった。


 ディルは風魔法でその竜巻を制御しているようだった。


「レナ、いまだ!」


 わたしは詠唱を始める。

 この魔法は得意!

 頭でイメージを作る。


バリバリと空気を割くような轟音と同時に眩しいぐらいの稲妻が竜巻に落ちた。


 地面が激しく揺れて、そして竜巻が消えた。


 何も誰も動かない一瞬の静寂が広がる。


「終わった」

 ディルが一言呟いた。


 騎士様が歓声を上げる。


 終わった… 闘いが終わったのね。

 良かった。

 わたしはヘナヘナと座り込む。


 「レナ、大丈夫か?」

 ディルも屈んでくれて、心配そうにわたしを覗き込む。


 「うん。大丈夫よ」

 ふたり、見つめ合い微笑む。


「池の水も真っ黒。土も荒れてこのままじゃダメね」

 わたしは座りながら、荒れた大地を撫でる。


「ああ、このままにはしておけないな。この黒い池から、またアーヴァンクが湧いてくるかも知れない。でもどうしたらいいのか…」

 ディルが眉間にシワを寄せる。


 ふと、思いつく。

一瞬、アドレおばさんの顔が浮かび、忠告を思い出す。


 でも…

 わたしに出来ることは力の限り尽くそう。

 それがわたしに力を与えられた理由だ。


「デ…ディル、池や大地を再生させるわ」

「えっ?レナ…それは」


 わたしはディルの言葉を待たずに大地に手を置き、意識を集中させる。

 濡れている地面がひんやりしている。

 手と地面の間がポゥと明るくなり、どんどん身体が熱くなっていく。


 全ての魔力が大地に吸い取られるような酷く寒い悪寒のような感覚に襲われるが、ここでやめることは出来ない。


 手も身体も熱く、限界だ。

 気を抜くと意識を手放しそうだ。

 熱い… 熱い… あともう少し…


「池の水の色が変わったぞ!」

 遠くで誰かが驚きの声をあげて騒ぎ出したのが聞こえる。


 ーーー治癒魔法で大地を癒す。ーーー


 上手くいったのね…

 自らの力で確認する力はもう残されていない。

 座る力もなくなり、ぐらりと地面に倒れ込む。


「レナ!!!」

 ディルがわたしを慌てて地面から抱き起こし抱え込む。

 ディルの腕の中が心地よい。

 ディルが見たこともないぐらい泣きそうな表情をして、わたしを見つめる。


 声を出す力を振り絞る。


「デ…ディル、貴方の本当の名は?」


 ディルは少し息を呑み、困惑の表情を浮かべ、でも優しい綺麗な黒い瞳をわたしに真っ直ぐ向ける。


「俺はディカルト・フラップだ」


 予想はしていた。

 貴方が先頭に移動した理由。


 そして、確信した。

 騎士様が殿下と呼んだ瞬間。


「…ディカルト…殿下…」


「レナ、これ以上はしゃべるな。俺がレナを抱えて飛んですぐに病院に運ぶから…」


 自分に残された時間はなく、もう間に合わないのはわかる。


「レナリーナ・ダズベル。わたしの名…呼んで…」


「レナリーナ!!」


 ディルがわたしの本当の名を呼ぶ。

 それがこんなにうれしいものなのか…

 胸がきゅっとなり、目頭も熱く涙でディカルトが霞む。

「ディカルト、あ…ありがとう…絵の…や、約束…」

 ここで意識を手放した。

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