第4話 内密の婚約話
あれから6年。
「レナちゃん、今日はいつものパンはまだあるかい?」
「ありますよ。最後の2つよ。おばちゃんはいつも運がいいわね!」
わたしはいま、王都ベルの城下町のパン屋さんで時々働いている。
このパン屋さんの入り口入ってすぐの壁にわたしの絵を2点ほど掛けさせてもらっていて、そこで絵を売らせてもらっている。
わたしの小さなギャラリーだ。
わたしが描いたので、値段もそう高くない設定にし、王都で人気のある風景画を中心に置いてる。 意外と好評でいいお小遣い稼ぎになっているのはうれしいところ。
絵を置かせてもらっているので、場所代を兼ねて、パン屋さんでお手伝いを時々している。
もちろん、パン屋さんはわたしの身分を知っているが、他言無用で伏せてもらっていて、パン屋のお手伝いのレナちゃんでこの辺りには周知されている。
あの日、転移魔法の詠唱を間違えて、隣国のフラップ王国のラストリアに行き、よくわからない乱闘に巻き込まれて、ディルとザックさんという人に出会い、坂道のあの家に逃げたのは夢だったのではないかと今となっては思う。
でもあの日、美しい湖と雄大な山々が描かれた絵を握りしめて帰ってきた。
わたしの手元に半分になった絵があるのだから、夢ではないことをいつも確信させてくれる。
あれから、転移魔法はすっぱり辞めた。
ラストリアでディル達と別れて、転移魔法で自室に帰る予定だったのに、なぜかこのパン屋に転移。
それは大騒ぎとなった。
そのご縁でそれからなにかとこのパン屋に入り浸っている。
年老いたご主人と女将さんが孫娘が増えたと言って、わたしを甘やかしてくれるので随分居心地が良い。
ほら、今日も…
「そろそろ夕方だし、今日も終了しようかね。レナちゃん、余っているパン、好きなだけ持って帰りな」
「女将さん、ありがとうございます!この干し葡萄の入ったパンをひとつください」
「それだけでいいのかい?」
「うん。これを食べながら、絵を描くのが至福の時よ」
干し葡萄のパンを棚から取り、ホクホクしながらパンを包んでいると、扉が勢いよく開いた。
「レナ!やっぱりここにいたのね!」
少し息を切らして、派手な巻き髪の麗しいご令嬢が中にドタドタと入ってきた。
「スカーレット!こんな時間にどうしたの?」
「レナ、わたし、お父様達が話していた内容をうっかり聞いてしまったの。大変なの!」
肩で息をしている様子から見て、侯爵令嬢であろうスカーレットがなにか重大なことをわたしに伝えたくて、走ってきたのだろう。
尋常じゃない。
「スカーレット、落ち着いて。何が大変なの?なにがあったの?」
スカーレットはふうと大きく息を吸い、落ち着こうと一呼吸おいた。
「レナに婚約の話が!お相手は隣国の王子よ!」
はああああぁぁぁ!!!!
頭が真っ白になる。
驚き過ぎて声も出ない。
スカーレットは侯爵令嬢で幼馴染みでもあり、親友でもある。
スカーレットのお父様はダズベル王国の外交の仕事をされているから、スカーレットがこんな話をうっかり屋敷で聞いてしまっても不思議ではない。
「スカーレット、本当なの?」
「わたし、家の図書室で本を読んでいて眠くなったからカーテンに身を包んで座り込んで寝ていたのよ〜」
普通の侯爵令嬢なら考えられないけど、スカーレットらしいと言えばそうなのかも。
「そうしたら、誰もいないと判断したお父様と恐らく隣国の方と思われる人が入ってきて密談し始めたの。第3皇女って言ってたからレナのことだと思って聞き耳を立てたのよ。そうしたら、隣国が婚約の話しを進めたいって…。」
なんて言うことだ。
普通、皇女ともなれば幼い時から婚約者が居てもおかしくない状況だったけど、わたしは姉が2人もいるということもあり、いままでその面倒なものからは上手く逃げてこられていたのに…
「スカーレット、確認なんだけど隣国ってどっちの?」
「!!!あーーーーっ」
隣国…どっちの隣国か、そこまで聞かずに慌てて出てきたのね。
ダズベル王国には、わたしが間違えて転移した西隣のフラップ王国、東隣に貿易大国のセイサラ王国がある。
うん。うん。
人懐っこくて、その少し抜けたところがスカーレットなのよ。そういうところ大好きだけど、今回はその重要な部分を聞いておいて欲しかった。
「どっちの隣国だろう…」
スカーレットも首を捻っている。
「なにか思い当たることはない?」
わたしも全くわからない…
東隣のセイサラ王国も西隣のフラップ王国も独身の王子はいた気がする…
わたしは第3皇女ってこともあり、そのあたりの外交や社交からも、のらりくらり避けてこられたからその手の話にはあまり詳しくない。
「そう言えば、この話はまだ王城には伝わっていないらしく、明日は父は用事があるから、明後日に登城して陛下にお話をするって!」
「そうなの!スカーレット、ありがとう!素晴らしい情報だわ!」
父には明後日に打診されるとなれば、じっとしていないわたしには、それ以降はなにかと護衛という名の監視がつくことが予想される。
行動できるのは明日しかない。
「スカーレット、知らせてくれて本当にありがとう。走ってまできて教えてくれるなんて…」
「あたり前でしょう。幼馴染み兼親友なんだから。レナにはこんな婚約話の前にやっておきたいことがあるでしょう。それを思い出したら、居ても立っても居られなくなって」
スカーレットは悪戯っ子のように片目をパチンとした。
さすがは、幼馴染み兼親友だ。
覚えていてくれたんだ。
「うん。フラップ王国のラストリアに行かなくっちゃ」
「そのために絵を売っては旅費を貯めていたんでしょう?」
「だいぶ貯まったいるわ。1ヶ月ぐらいなら、なんとかなるかも」
そう。
ちょうど1週間前にわたしは王立学園を卒業した。
第3皇女として残された時間は短い。
卒業したら、きっと近いうちに国内外問わずどこかに政略結婚させられるのは幼い頃からわかっていた。
だから、自由な時間がある間にあのラストリアに行って、朧げにしか覚えていないけど、坂道を上がったところにあるあの家を訪ねようと思っていた。
ディル達がまだ住んでいたら、約束を果たして絵に色を塗ろうと思っている。
なのに…
「…まさか、もう婚約話だなんて。決まったら、絶対に城から出られないわ…」
「そうね。国内ならまだなんとかなるかも知れないけど、ラストリアはほぼ不可能ね」
わたし達ふたりの話を心配そうに離れたところで聞いていた女将さんがこちらにやってきた。
「あら、あら。ふたりともなんて顔をしているの。そういえば、わたしの友人がラストリアでパン屋をしているんだけど、その話に興味はあるかしら?」
女将さんが意味ありげにニコニコしている。
「女将さん、勿論です!」
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