第99話:泥をすするネズミ
昔、名君と称えられた領主は、疫病を運ぶとされたネズミを燃やし尽くし、彼らの住処ごと燃やした。
生き残ったネズミたちは火が届かない地下へと姿を消し、泥をすすり、生き延びて新しい故郷を求めた。光が届かぬ場所でも生きられるよう彼らは数を増やし続けた。
そしていつしか気が付き始めた。何故、自分たちが燃やされなければならないのか、と。
知らぬ誰かを救うために死なねばならぬ道理があるのか。
時が経ち、領主の子孫たちは病に侵され家は断絶した。かつてネズミたちを焼き払った呪いだろうと囁かれ、この昔話は幕を閉じる。
父の首が野に晒され、胴体は焼かれた日、サンディカ・ローレスは気が付いた。
幼い頃に聞いた昔話、これはまさに自分たちのことだと。
「———だから、俺は『泥ネズミ』と名付けたのです」
塞がれた闘技場の通路の奥で、ローレスは崩れ落ちた。剣を握る程の力もなく、この戦いで負けたことを悟ったのだ。
致命傷は負っていないものの返り血か自分の血かも分からぬ程に血にまみれたローレスは呟いた。
「俺を殺すがいい、飛龍の騎士」
テオは剣を突き付けたその相手を見て動揺した。
サンディカ・ローレス。
ジョラス・トラッドを腹心として置きながら切り捨て、アリスタとヴェロス、オスカーを路地裏に誘い込んで騙し討ちをした男のはずだ。
しかしテオの目には奇妙に映った。
一見すれば彼は誠実さと献身に満ちた青年で、言葉の端々には知性があった。
―――やはり、騎士の子ということか。
「降伏すれば命までは取らない」
「………」
ローレスは突き出された剣の切っ先を見つめている。
「もう勝ち目はない。戦う必要がどこにある?」
「———それはもう知っているはずですよ、飛龍の騎士。戦う理由を」
ローレスは剣先からテオに視線を移した。
「獲るべき命を放任するのは傲慢。助けてやったと恩を着せて自分が真っ当な人間だと思い込める。そして罪なき命を奪うのは怠惰だ。殺してしまえば複雑に考える必要はない。あなたはどちらを選びますか?」
突然の問答にテオは困惑した。殺されることを覚悟した青年の顔は冴え冴えとしている。
「俺はどちらも選ばない。正義を信じる」
「正義?」
ローレスは嘲笑した。
「あなたの行いは正義ではない、ただの偽善だ。誉れある騎士だと、そう思い込みたいだけではないですか。あの幼い女王に仕えた歴戦の騎士。自分を偶像化しているのです。俺の目からはあなたは憐れに映っています」
ローレスは剣先に自らの喉を近づけた。テオがほんの少し手首を捻れば剣先が彼の喉笛を突き刺すだろう。
「殺すがいい、飛龍の騎士。栄光の盃しか知らないあなたに、俺たちの苦しみは分かるはずがない」
テオは剣を下ろして一歩下がった。目の前の青年のその覚悟に慄いたのだ。
思うことも言いたいこともあるが、口論で勝てるとは思わない。そして胸の内を語るだけ無駄だと悟った。
「陛下は一度たりとも泥ネズミの抹殺を望まなかった。俺はその命令に従うまでだ。君の死で、女王陛下の名誉を汚すことはしない」
「己で考えることもせず、女王の理想に殉じると?」
「陛下は俺の考えも見抜いておいでだ。俺の意志は陛下のご意志であり、陛下の意志は俺の意志だ。君は王の全てが愚かだと思いたいようだが、そうじゃない。きっと先王も―――」
枯れ枝のように大人しかったローレスはわなわなと体を震わせ、あらん限りの力で声を上げた。
「あの王は卑怯者だ! 不名誉な罪で父を汚し、命を奪った! 俺は父の弔いすらできず、遺体を焼くこともできずに、磔にされたまま、カラスのエサになったんだぞ!」
ローレスに叫びに、テオの後ろで控えていた騎士たちが取り押さえ、テオは彼らに命じた。
「———連れていけ」
狂ったように叫び喚く復讐者に背を向け、飛龍の騎士は女王の元へと急いだ。
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